真実の追撃 壱

 意識が覚醒していったのに、特にきっかけなどなかった。そこには目が覚めたという事実しかなく、ただ「よく寝た」とぼんやり思っただけだった。
 ジジジ、ともうすぐ寿命を迎えそうな蛍光灯の点滅が、コンクリートの壁に影を作っている。無機質に思えるその部屋は一見病室に見えたけれど、その薄暗さと冷たい何か──死に近い気配のせいで、霊安室にも似たものを感じていた。閉鎖的で陽の光や外の空気が入ってくるような窓などなく、換気扇の音だけがやけに響いている。
 ……私の傍に宿儺さまは居なかった。
 上体を起こせば、身体の節々に鉛でも入れられたかのように凝り固まっている。何だか前にも似たようなことがあったな、とデジャブを感じていると、何の前触れもなく部屋の扉が空いた。
「起きたか」
 白衣を着た女性が入ってくる。肩の上を滑らかに流れる長い髪に、大きく垂れた瞳と目元の涙ぼくろが相まって物憂げな雰囲気を纏っていた。その人は「顔色はいいね」と声をかけながら、私が占領しているベッドの傍の丸椅子に腰を下ろした。
「あの、ここは……?」
「呪術高専、て言っても分からないか」
 けだるげな動作で足を組み、肘をついた彼女は上目遣いで私を見つめた。
 呪術、ということは私はあのまま目隠しの男たちに捕まったのだろう。あの状況から生きていたことは奇跡に近いけれど、嬉しくもなんともなかった。
「……私、捕まったんですね」
「あー、詳しいことは五条から聞いて。私もよく分からず押し付けられただけだから」
 脳裏をよぎった五条と名乗った男。彼に会わなければ宿儺さまの行方を聞き出せそうにない。正直あの男と顔を合わせたくなかったけれど仕方がない。
 目の前の彼女に男の所在を問うと、無言で脈を取られ、下瞼を引っ張られる。そうして身体のあちこちに触れ、私に異常がないか的確に確認した彼女は「問題ないね」と小さく微笑んだ後、ポケットに手を突っ込み立ち上がった。
「待ってて、今五条呼んでくるから」
 そう身を翻した彼女の白衣の袖を思わず掴んだ。自分でも何故かは分からなかったけれど、きっと女性と話したのが久しぶりだったからかもしれない。
「あの、面倒見てくださったんですよね。ありがとうございます……お名前、聞いても大丈夫ですか?」
「ま、仕事だからな。家入硝子だ。これからよろしく、となるかは五条との話次第だが、握手はしておこう」
 ポケットから出した彼女の手をそっと握る。冷たい指先だったけれど触れ方は優しかった。
 そのまま彼女はヒラヒラと手を振って部屋を出ていった。
「……宿儺さま」
 シン、と静まり返った部屋に零れた呼びかけ。返答はもちろんない。
 宿儺さまの声が聞こえないなんて、ついこの間までは当たり前だったのに。応えてくれたらいいな、とは思っていたけれど、ずっとずっと私が一方的に語りかけるだけの日々だったのに。たった数ヶ月、彼と一緒に過ごして言葉を交わしていただけでこんなにも傲慢になってしまった。
 小さく息を吐いた。その時、それまで静かだった室内に男の声が響く。
「元気そうで何よりだよ」
 や、と手を挙げ、音もなく入って来た男に内心驚きつつも、嫌な顔が出ないよう気を付けながらその声掛けに会釈した。
「……五条さん、でしたっけ?」
「お、よく覚えてたね」
「先程、家入さんがそう呼んでたので思い出しました」
「あ〜、なるほど」
 五条さんは先ほど家入さんが座っていた丸椅子に座り、クルクルと回り始めた。身長も高く、体格も良いので普通にしていても威圧感があるけれど、こんなに子供っぽいところがあるのか……いや、意外とは思ったがやっぱり目隠しのせいで変な人にしか見えない。第一印象というのは簡単には覆りはしないのだ。
 どういう心境でこの行動を取っているかは全く分からないが、何だかもったいぶっているように思えてならない。こちらから話しかけなければ話が何も進まないのならば、勇気を振り縛って話を切り出すしかなかった。
「あ、あの! 宿儺さまは……」
 勢いが尻すぼみになった私の言葉に、彼は椅子の回転をピタリと止めて笑いを零した。
「アハハ、自分の心配より宿儺の心配か〜」
「……何かおかしいでしょうか」
「いやいや。気を悪くしないで、ただ君がどんな人間か見えてきただけ」
 こんな短い会話で分かるほど私の中身は薄っぺらいのだろうか。腑に落ちない。
 やはり、この男は苦手だと再確認していると、目の前の彼は「宿儺の話の前にさ」と静かに口火を切った。
「まずは順を追って説明しよう。君も気になるでしょ、あの後のこと」
 私がビルの上から落ちた後どうなったか、気にならないはずがない。彼は私が頷くしかないのを分かってか、返事を待とうともせずに話し始めた。
 なるほど。性格にも難がある人なのだと認識しつつも、それを口に出して文句を言える間柄ではないので、私も黙って彼の話に耳を傾けるのだった。


永遠に白線