採花 壱
あまりに色々なことがあったせいで、そのまま保健室で眠りついた翌日。硝子さんの診察を受けて問題ないとお墨付きをもらった後、私は高専内にある一つの神社にやって来ていた。
昨日「じゃあ、最後にアレを伝えなきゃね」と妙に気になる言い方をした五条さんが今朝提示してきたのがここなのだけれど、特に思い当たる節もないので困惑したまま階段に腰掛け彼を待つ。
「お疲れサマンサー!」
いつもと変わらぬ調子で手を振る五条さんの後ろには、意外にも虎杖くんの姿があった。彼もまた、何故ここに連れてこられてきたか分かっていない様子だった。
目的を尋ねてみても「いーからいーから」と誤魔化され、神社の奥の襖を開き中に誘導された。
「へぇ〜、中ってこんな感じになってんだ〜」
薄暗い室内は見かけよりずっと広かった。それは感覚的な問題ではなく確実に外装の神社とは釣り合ってない。
感心する虎杖くんと同様に私も巨大な空間に陳列した大小様々な得体の知れない物体たちを見回した。
「そうそう。ここは高専が保有する呪物を保管する蔵だよ」
「じゃあ、これ全部……」
そう呟いて再び周囲に目を向けゴクリ、生唾を飲み込んだ。
数多の呪物に囲まれているかと思うと、やけに胸の内が騒ついた。その訳は教えられずとも何となく分かる。これらは全てここに
本来なら聞こえもしない私を呼ぶ声が頭の中に無数に反響した。それを幻聴だと言い聞かせながら耳を塞ぐ。
「当てられたか」
虎杖くんの手の甲に現れた口からそう声をかけられた。まさか、昨日の今日で私に構ってくれるとは思わなかったので驚いてしまう。けれど、そのお陰で余計な雑音が全てかき消された。
「あー、そっか。君にとってはいろいろとキツい場所になるわけか」
宿儺さまの言葉に対して、何事もなく同調する五条さんの様子に違和感しか感じなかった。ますます昨日何があったのか気になるところであったけれど、恐らく宿儺さまと変わっている間の記憶がないであろう虎杖くんの前で話すわけにもいかず、ただ頷くだけにした。
「さあ、悠仁。これ持って」
「何これ、箱?」
「用があるのはこの中身だけどね。とりあえずこれを外に運び出そう」
虎杖くんが抱えるほどの大きさの木箱の中身は、卓上に置くような比較的小さな鏡台だった。なんでもこの中に呪霊が封印されているらしい。鏡というのは古くから不思議な力があるものだと信じられており、力を持たない非術師でもしっかりと手順を追えば意外と簡単に封印を行うことができるそうだ。
素人の合わせ鏡の儀により行われた封印は、対になっていた鏡を紛失してしまったため、いざ封印を解いて中の呪霊を祓うことができず、困り果てていたところをこの高専に持ち込まれたものだと言う。五条さん曰く、呪力によってこじ開けることはできるが、依頼主は呪術界にも影響力のある国のお偉いさんの所有物で、破壊することは許されないそうだ。
「僕の前でその力使ったことないよなーと思ってさ。丁度いいし、ちょっとやってみてよ」
境内の開けた場所で五条さんはそう軽く言ってのけた。彼なら初めから六眼で分かっているのでは、という疑問も湧いて出たけれど素直に頷いた。
「分かりました、暫く使っていないので成功するかは分かりませんけど……」
私の記憶がある限りでは、この高専に来る前にしか使っていないので不安ではあったけれど、やるだけやってみることにした。血を媒介とするので「刃物か何かありますか」と問いかける。
「その役、買ってやろう」
いつになく弾んだ宿儺さまの声音に、私は虎杖くんの手の甲へ視線を向けた。
「綺麗さっぱり自分の付けた傷が消されたからってそう食いつかなくてもいいのに〜」
「ほざけ」
憎まれ口を叩く五条さんを軽く流した宿儺さまは、そのまま私の親指の付け根に噛み付いた。昨日の出来事が頭をよぎるけれど、思ったより手加減されていたようでそこまで深い傷にはならなかった。
指先にまで伝った赤を、晴天を写し出す鏡面の青の上に落とした。トン、と平らなそれに触れ、一枚隔てた奥に眠る呪霊へ向かって指を差した。水面に揺らぐが如く滲んで溶けていった己の血を見送ると、いつかあったように眩い光と共に突風が吹き付ける。
「ふうん、なるほどね」
そう零した五条さんは、中から出てきた巨大な百足のようなおぞましい姿の呪霊を前に虎杖くんに向かって「悠仁、後はよろしく!」と軽く手を上げた。
これを祓う役割のために彼は呼ばれたのだろう。「うしっ」と拳を叩いた彼は恐れることなく呪霊に立ち向かって行く。高専内で訓練をしているところは見たことがあったけれど、実際に呪霊と戦っているところを見るのはこれが初めてだった。
「あの程度だったら今の悠仁なら問題なく倒せるよ」
少し離れたところに移動して、虎杖くんと呪霊の戦いを眺めながら「何かあっても僕がいるしね」と五条さんは余裕たっぷりに頭の上で手を組んだ。
「あの、何か分かりましたか」
「うーん、そうだね。──この六眼をもってしても分からない、ということが分かった、かな。予測を立てることはできるけれど断言はできないんだよなぁ。ま、答え合わせは宿儺とやるのが確実か」
想定外な彼の返答に言葉を失っていると、虎杖くんの明るい声が響いた。
「せんせー! これでいいー?」
「いいよー! 悠仁、グッジョブ!」
いつのまにか呪霊を倒し終えた彼がこちらに走り寄ってくる。「楽勝だった」とあっけらかんと笑う彼に「悠仁も成長したねぇ」と少々大袈裟に五条さんは何度も頷いた。
鏡台を箱の中に仕舞い、一件落着とこの場を締めるのかと思いきや、彼は唐突に「それじゃあ、少し出かけよっか」と明るい声で笑った。
「え、俺もついて行っていいの?」
「いいのいいの、旅は道連れ世は情けって言うでしょー」
「それって少し意味が違うんじゃ……」
「細かいことは気にしない! 少し遠出だから近道しまーす!」
地面に円を描き始めた彼は、私たちに円の中心に来るよう促す。三人きっちり収まると、彼は両手を組んでパン、と一つ手を鳴らした。
「どこだ? ここ」
瞬きの間に周りを囲む景色が変わった。虎杖くんは不思議そうにぐるりとあたりを見渡している。けれど、私には見覚えがあった。
深い緑に囲まれた土地。町へ続く細い一本道に佇む古びた公衆電話。じっとりと人々の念に濡れた湿り気のある風が纏い付き、まるで人が立ち入るのを嫌がるように頭上で木々がざわざわと音を上げている。
「……私の故郷だよ」
もう二度と返ってくることはないと思っていた場所に立っている。それが不思議でたまらなかった。ここを発ってからまだ一年も経っていないというのに、随分昔の記憶のように思えた。
「なぜここに……?」
静かに問うた私に五条さんは「見れば分かるさ」と集落の中に足を踏み入れ、振り返った。
「君に嘘をつくのはもうやめるって決めたからね」
踵を返して一人先に進んで行ってしまう彼の背中を、私と虎杖くんは急いで追いかけた。
集落の中は静かだった。私がここに住んでいる時も閑静なものだったけれど、そういう部類のものではない。──つまりは、人間の住んでいる形跡が無いのだ。
「これ……人、居るか?」
私と同じことを思ったらしい虎杖くんが集落の空気に釣られたように静かに声を上げた。
「……五条さん、これは一体どういうことなんですか?」
あの後、何が起きたのだろう。事件は? 警察は? あの悪習は? 一体どうなったんだ。
私の問いかけに、五条さんは誰の往来もない道のど真ん中で立ち止まった。
「死んだんだよ」
静寂に張り付いた彼の言葉は、言われてみればこの集落にぴったりだった。それでも、驚きに声を漏らす以外、道はなかった。