採花 弐

「え……」
「君も薄々気付いてたでしょ? この土地の人間から神≠取ったらどうなるか」
 彼の言う通りだった。私が宿儺さまが死んだと聞かされて狂ったのと同じように、皆もまたこの地を守ってくれているという信仰すべき神が居なくなってしまったことに絶望したのだ。
 手をとるように分かってしまう皆の感情が、私の記憶を想起させ余計に胸を締めつけた。
「……私のせい、ですね」
 そう呟いた私の言葉に、五条さんは首を横に振った。
「それを言うなら僕らも見張っていたのに助けられなかった。見張りも大勢つけていた訳じゃなかったし、僕が出張で連絡がつかなかったタイミングだったのもあってね……それに、この集落の誰が君の立場でもそうしたんだ。宿儺がこの土地を離れることを望んだ、それが全ての原因だ」
 そこまで言い切って彼は小さく息をついた。誰のせいでもない、この土地に住む人間の運命を握っていたのは神であった宿儺さまなのだと彼は言うけれど、そんなに簡単に自分を納得させられるほど私は器用ではない。
 目を伏せる私に彼は肩を叩いた。
「そう、この事を言えば、君はそうやって自分のせいだと思い込んでしまうと思ったから言わないでいたんだ。……だけど、隠されるのはもう嫌なんだよね?」
「……はい」
 どれもこれも彼の優しさで出来ていた。私に嘘を与えるのも真実を明かすのも全て彼の気遣いだった。
 真実を噛み締めるように頷いた私は、「自殺ですか?」と問う。私が宿儺さまが死んだと聞かされて一番最初に実行しようと考えたことはそれだったから。
「いいや、呪霊に殺されたんだ」
 声の高さを落とした彼は、「悠仁、残穢は見える?」と虎杖くんに問いかけた。
「うん、薄らとだけどいろんな所にこびり付いてる」
「そうだ。じゃあ、ここで問題。その呪霊は一体どこからやって来たでしょう?」
 新たな問いかけに虎杖くんも、私も頭を悩ませた。
「どこから? でも、見張りが付いてたって先生言ってたよね?」
「ああ。染み付いた宿儺の呪力に惹かれた呪霊たちが寄ってくる可能性があったから見張らせてたよ」
「じゃあ、その引き寄せられた呪霊じゃねぇの?」
「こちらもただ見張っていた訳じゃないんだ。もともと張られていた結界術が解ける前に帳≠降ろしたんだ。中の人間は行き来できるけど、呪霊は中には入れないっていう帳をね」
 一つ一つ可能性を潰し、導き出されていく答えに私と虎杖くんは顔を見合わせた。
「呪霊が中に入れないってことは……」
「内側からの発生……?」
「ピンポーン! 大正解!」
 この場に似つかわしくない明るい声音が響き渡る。
「信仰の対象を無くした人々の負の感情、拠り所をなくしたことの恐怖、絶望、喪失感、それらが呪霊の発生源だ。……これも心当たりがある、よね?」
「そう、ですね……」
 そんなの、まるで私ではないか。
 限界を迎えた私の負の感情が呪霊の源となったように、皆もまた同じ運命を辿っていたというのか。
 ただ、私と皆の違いは宿儺さまが傍に居たか居なかったかの違いだけだ。私は宿儺さまが居たから助けられただけであって皆と何ら変わらない。それが何よりの私がこの土地に生まれ、育ち、生きた証だ。どこまでいっても私たちは同じ穴の狢なのだ。
「この事件が起こったのは、君が負の感情から呪霊を生み出したあの時より前の話だ。だから、君にもその可能性があると分かってたんだ。……そう、分かっていたから無理矢理にも野薔薇や恵と関わりを持たせて少し自由を与えた。監禁を続けるよりそっちの方が効果的だと思ったんだ」
 それまで呼吸を忘れていた私は、ゆっくりと息を吸った。
 あれらの行動の裏にそんな事が隠されていたなんて、思いつきもしなかった。過ぎてしまったことを言っても仕方がないけれど、彼のことを思うとあまりにもやるせなかった。
「でも、見誤った。君が少し回復に向かっていると油断したんだ」
「……私も言いませんでした。それに、今またあの時に戻ったとしても私は同じ選択をすると思います」
「……だよねぇ、君はそう言うよね」
 私が作り出した沈黙はこの土地によく馴染んだ。ここでようやく私はこの土地に故郷としての居心地の良さを感じたのだった。
 ふと、視線を逸らして辺りを見渡す。記憶より一層色褪せた民家を見つめながら、つい本音を零してしまう。
「父も母も死んだのでしょうか……」
「知りたい?」
 そう聞かれしまえば即答はできなかった。即座に肯定できないなら、それはもう私が知る必要はないのだろう。
「どうでしょう……もう知ったところで私にできることはないですから」
 一度縁を切った身。もし生きて逃れていたとしても、再び会いたいとは思わなかった。私も、父も母もこの土地で罪を犯した。後は罰が下るのを待つだけなのだから、再会しても結局誰も幸せにはなれないことは分かりきっている。
 静けさの中、再び五条さんが口火を切った。
「恐らくだけど、君の力は君だけにあった訳じゃないはずなんだ。きっとこの土地にいた人間には皆あったんだよ。今になっては確かめる術はないけどね」
 彼は自嘲めいた笑いを浮かべた。
 同じ力が皆にあったかもしれないということに驚くより、彼の様子と確かめる術がないという言葉に、やはり両親も死んだのだろう、と悟った。それか、彼も知らないところまで両親は逃げたのか。なんだかそれはありえないような気がして、死んだと思う方が自分の心の中にストンとはまる気がした。
「僕に分かるのは君の力は呪力や術式ではないと言うことだ。六眼で分からなかったということはそれしかない」
 そう言い切った彼は「呪力が負のエネルギーというのは知ってるよね?」と授業の内容を復習するような口調で問いかけた。
「はい。呪いというのは基本的にマイナスなものだと」
「そうだね。じゃあその逆はどうだろう」
「逆……?」
 すぐにピンと来るものではなく、思わず首を傾げた。
「マイナスとマイナスを掛け合わせてプラスの力にする反転術式とは違って、元からプラスの力だ」
「……ネガティブではない、正の感情により伴う力、ということですか?」
「うん。僕があり得ると思ったのはそんなところかな」
 五条さんが分からない≠ニいう事実が証明になった、呪いではない力。「本当のところは宿儺が一番よく分かってるんじゃない?」と言う彼の呼びかけに、宿儺さまは愉快そうに声を転がした。
「呪術しか脳のない単眼的思考しか持ち合わせていない人間風情が良く気が付いたな」
「宿儺こそ呪いの分際でよく言うよ」
 笑顔で噛み付き合う二人に任せていては話が先に進まないので、私は「宿儺さまは知っているのですか?」と話を振った。
「知っているも何も、うんざりするほどこの土地に住む人間を見続けてきた身として気づかん方がおかしいだろう」
 呆れ混じりのため息をついた宿儺さまは徐に語り始める。
「その力は呪いではなく祈り≠セ。この土地を救ったと、もう記憶にさえない出来事を持ち出して、救われた恩を返すために土地神として祀り上げ、人々を集め信仰を起こし祈りを捧げ、そして神の復活を望んだ。信者たちが千年もの時の中でそれらを続けてきた証がその力だ。先祖の代から糸を撚るように紡いできた祈りが、色濃くお前の身体に宿っている」
 真剣な声音に耳を傾けた。
 つまりは、人々の……いや、私の先祖たちの念が折り重なってこの力として形になったということなのか。
 宿儺さまは「言霊とは恐ろしいなぁ、ゾッとする」と言いつつも、一切そんなことを感じているとは思えないほど快活な口調で語った。
「両面宿儺の復活を望んだ民の祈りが、時代と共に封印されたものを解く力へ形を変えていったってことか」
 五条さんは「なるほどね」と言いながらもそう驚いた様子もなかったので、彼にとっては想定の範囲内だったのだろう。
 隣で頭を抱えている虎杖くんと同様に、私も脳内がこんがらがってきた。情報を整理するためにも一つ一つ言葉に出して確認する様に問いかけた。
「正の感情であるのが祈りで、負の感情であるのが呪い……ということは、祈りは呪いにはなり得ないんですか?」
「基本はその考え方で間違いないけど、時として祈りだって呪いになり得る。特に憎しみの感情による呪いは顕著だよ。人はただ憎むだけじゃ済まないでしょ? 対象に痛い目にあって欲しいだったり、死んで欲しいだったり人を呪うものであっても漠然とした何かへ願う行為は間違いなく祈りだ」
 分かるような、分からないような曖昧な理解だったけれど、私の知る祈りは五条さんが説明してくれたそれとは確実に違っていた。
「私の、私たちの祈りは他人を貶めるようなものではありませんでした。ただ、宿儺さまに感謝を捧げるだけの清いものでした」
 それだけは断言できる。けれど、それが正しいものであったのか自信がなくなり視線を彷徨わせる。そんな私に宿儺さまは事実のみを告げた。


永遠に白線