採花 参

「お前たちにとって信仰自体が救いだったのだろう。勝手に祈ることで勝手に満足していた。そう、それがどれだけ独りよがりな行為か理解もせず、愚かな信者たちはただ祈りを繰り返す。それが己の忠義で正義だと言うように。信者にとって祈りが呪いになり得るかもしれないと、その可能性を考える思考自体存在しないほど純粋な行為なのだろう。余計にタチが悪い」
 そうだ。私たちはそんなことなど思いもしなかった。純粋無垢に祈り続けた証がこの力だと言うなら、なんと皮肉なことなのだろう。この信仰そのものも、私が殺したも同然の信者たちも、私自身も、全部全部悪習の一部だった。遥か遠い昔から時間をかけて勝手な人間の祈りエゴだけをひたすら煮詰めて煮詰めて、そうして限界まで煮詰まった先に生まれ落ちたのが私。愚かな人間の集大成。まさに愚の骨頂というわけか。
 ああ、こんな信仰、終わらせて正解だ。純粋無垢な祈りでも、捉え方によって呪いになり得るのなら、私たちが宿儺さまを呪っていたも同然ではないか。その過ちにも気付かず、千年もの間こんな馬鹿げたことを続けて来たのか。
 身体の力が抜けへたり込んだ私に、宿儺さまは全てを見透かしたように喉の奥で笑った。
「お前はたかだか人間風情のくだらん感情に左右されるほど、俺が柔に見えるか?」
「いいえ……」
 柔らかい声音が余計に残酷だった。
 いつだって自分勝手で愚かな人間に、宿儺さまは影響されたりしない。揺るぐことのないその存在によって、また愚かな私は勝手に救われるのだ。

 帰り際、無理を言って母校である中学校へ寄った。卒業もできなかったその場所は知っているようで、もう知らない場所になってしまっていた。長居はできなかったけれど、一目見ることができてこの土地にもう悔いは残ってはいなかった。
 来た時と同じように地に円を描く五条さんのつむじからふと視線を上げる。なんだか誰かに見られているような気がしたその直感は当たりだった。唯一町にある歩道橋の上から誰かが私を見下ろしている。西日が眩しくて目を細めてしまったけれど、あれは間違いなく生贄として妹を失った川原くんだった。
 彼は慌てた様子で踵を返して階段を駆け降りていった。
「よし、行くよ!」
 準備が整った五条さんの声に私も虎杖くんも頷いた。パン、と乾いた音と共に見知った町並みが視界の中でブレる。その中に彼の姿はなかった。きっと見られてはいない。彼が追いついた時には私たちはもうその場にはいないことを少しだけ残念にも思い、これで良かったのだとも思った。


◇◇◇



 私は身軽になった心地でその夜を迎えた。
 予感はあった。
 寧ろ待っていたと言っても良い。
 既に自室で床に就いていた私は部屋の中に何者かの気配を感じ、徐に瞼を押し上げた。
「宿儺、さま……」
 部屋の扉は昨日の一件でしっかりと閉められなくなってしまっている。まるで初めから招き入れるように隙間の空いた扉から入ってきた彼は、私の枕元に立った。虎杖くんはどうしたのか、また無理やり体を乗っ取ったのか、そんな質問は無粋に思えて口を閉ざした。
 無言で見下ろす彼に、私はゆっくりと身体を起こす。その静けさはもう昨日のような意図のわからぬ沈黙ではなく、私が彼に告げなければならないことがあると機を伺っていたことを察し、促すような沈黙だった。
 人間など過ちに気づいたところですぐに変わることなどできない。私のような愚かな人間にできることなんて、今も昔も全てを曝け出して吐露することしかないのだ。
「……宿儺さま、私は貴方の手足となって恩を返すためにここまでやって来ました。けれど、その必要はなくなった。貴方は私なんかよりよっぽど使い勝手の良い手足を手に入れました。……羨ましい。虎杖くんが心底羨ましい。私では出来ないことが彼には出来る。もし私が彼ならば今よりもっと宿儺さまのお役に立てる、だから彼のようになりたいと、そう思っていたんです」
 浅ましい胸の内は言葉にするだけで目を背けたくなってしまう。それを堪えて、ひたすら言葉を絞り出す。
「でも、もし今宿儺さまの器になれるか試してみるかと選択権を与えられたら、私はきっとその可能性すら選ばない。失敗したらただの無意味な死ですから。……それなら、私は使えないお荷物だとしても貴方の傍に居たい」
 宿儺さまと離れるのが怖い。その依存が生まれ落ちた時から定められたものだとしても、それ以上に私は彼から離れられなくなってしまった。
「私はずっと宿儺さまを神さまだと思って生きてきました。けれど、それは愚かで烏滸がましいことなのだと気付かされた。結局、私が何をして、何を望んだところで烏滸がましいことには変わりないんです。──それならば、私は貴方と共に生きて、貴方と共に死ねたらと、そう願ってしまうんです」
 私は彼を見上げた。青白い月明かりの中にいる彼があまりにも美しくて、込み上げてくる感情は瞬きによって押し留めた。
「これが、愛なのでしょうか。……そうなのであれば、私は貴方のことをこれ以上ないほど愛しています」
 己の胸が締まっていく苦痛に震わせた言葉は、告白というより懇願に近いものだった。
「宿儺さま……どうか私を神でも呪いでもない、貴方だけのものにしてください」
 私たちが神と呼んだように、ここにいる皆は彼を呪いと呼ぶ。そう、誰かにとって神であり、誰かにとって呪いである彼を、もうそんな側面的な見方で捉えるのはやめた。人間が勝手に与えた属性に囚われることなどない貴方と向き合わせてほしい。
 宿儺さまはゆっくりと伸ばした手で私の髪を梳いた。その流れを愉しみ、一房零れ落ちた髪を掬い上げて耳にかける。露わになった輪郭を目でなぞり、手で撫でて、それまで硬く結んでいた唇を開いた。
「お前はどうしようもないほど無垢で愚かで、故に危うい」
 愛猫でも可愛がるかのように、親指の腹で目の端を撫で、耳の裏を掻いた彼は、己の目尻を溶かした。
「だからこそ、ここまで堕ちてくる時を狂おしいほど待ち望んでいたぞ」
 細められた四つの目の奥に宿る爛々と燻った熱を向けられる。凶器にもなり得るそれを、私はただただ見つめ返した。抗うことはしない。全てをありのまま受け入れると「良い顔だ、見込んだだけのことがある」と機嫌の良い声色が降ってくる。
 そして、少し冷えた唇が静かに重ねられた。いつかのただ触れただけのものとは違う、熱く溶け合う感覚に目の前が眩んだ。濡れた唇を何度か啄まれ、弄ばれる。熱を持った吐息と共に離され、私は自然と滲んだ涙を拭うように瞳を瞬かせ彼を見上げた。
「仕置きに手酷くしてやろうかと思ったが、気が変わった」
 そのまま伸し掛かった体重に身を任せ、私はすっかり冷えてしまったシーツに身体を沈めた。
「命拾いしたなぁ。喜べ、うんと優しくしてやろう」
 欲に濡れた彼の瞳の中で、私もまた同じものを宿して見つめ返していた。それが何だか嬉しくて、可笑しくて、この上なく幸せで。
 己の口元に笑みが浮かぶのを感じながら、近づく彼の鼻先にゆっくりと瞳を閉じた。


永遠に白線