宵祭り・裏 弐







 大丈夫ですか、という七海さんの声で顔を上げた。
 持っていた呪具を床に突き、重心を支え肩で息をしていた私は、消毒液の香りが濃い空気を吸い込み、呼吸を整えてから小さく頷く。

「大丈夫です。すみません、なかなか祓いきれなくて……」
「ついこの前まで呪術も知らなかった人間がここまでできれば上出来ですよ」

 私はその褒め言葉を素直に受け取ることができず、眉を下げ小さな微笑みで返す。
 私が死なずに戦えているのは自分の力ではない。確かに動けるように真希さんに稽古をつけてもらったり、伏黒くんと体力作りに励んでいるけれど、根本にある呪力の要は間違いなく宿儺さまによってもたらされたものだ。全ては宿儺さまのおかげなのに、私が褒められるのは居心地が悪い。
 褒めてもらえるなら宿儺さまを、と口にするのも憚られる。きっと七海さんは五条さんと同じような反応をするだろう。彼はあくまで規定側≠ネのだから。
 静まり返った院内にはかすかな機械の電子音と、揺れるような呪霊の声が響いていた。避難できない患者や少数の医師・看護師は一ヶ所に集め、補助監督が結界を張って呪霊の侵入を防いでいる。私たちは病棟の上から病室に蔓延る低級の呪霊を祓い、現在一階正面入り口まで降りて来ていた。

「宿儺さまの指……封印されていた呪物って、どこに置いてあったんですか?」

 コツコツと革靴の音を響かせながら半歩先を行く七海さんへ尋ねる。
 彼はちらりと私の顔を見ると、足を止め進行方向を指さした。

「あの下です」
「地下ですか……」

 先の見えない闇へ続く階段。私達がじっと見据えると、頭上の蛍光灯がバチバチと音を立てて点滅した。まるで霊障だと身構える私に、七海さんは「ついて来てください」と一歩前に出た。

「一気行きましょう。視界が悪い。足元には気をつけるように」
「分かりました」

 軽く鉈を振るい握り直すのを合図に、私たちは走り出した。
 駆ける足音を遮るように蛍光灯が割れる。それでも足を止めることはせず、階段を駆け降りていく。踊り場で折り返すと、下からずるりと水気を含んだ音が近づいてくる。

「下がって」

 七海さんの指示通り壁際まで下がる。
 這い寄って来たのは、巨大なナメクジのような呪霊。幸い動きは遅い。呪霊に向かって鉈を打ちつけると、びしゃりと音を立てて飛散した。
 これで先に進めると安堵したのも束の間、飛び散った呪霊の一部が明らかに意思を持って私めがけて飛んで来た。

「わ、私……っ?」

 なんで、と声を出す間もなく粘液のようなそれらを避ける。不安定な体勢を壁で支えると、手を付いたところにあった姿見がぐにゃりと歪み、身体が沈んでいく。

「な、なみさ」

 何かが身体にまとわりつく。私は必死にもがき、こちらへ駆け寄ってくる彼へ手を伸ばす。

「目を瞑ってください」

 私はその手が握られると同時に目を瞑った。
 パリンと甲高い音が響く。その衝撃と共にぐいっと前方に引っ張り出された。

「怪我は?」
「ない、です。助けてくれてありがとうございます……」

 七海さんに肩を支えられ、目を開くと鏡の破片が散乱していた。彼は「失礼」と私の頭に手を伸ばし、割れた欠片を丁寧に払い落としていく。

「ここの呪霊たちは、長年呪物から漏れ出る呪力の質を覚えている。恐らく貴女から感じる両面宿儺の呪力につられたのでしょう」
「じゃあ、やっぱりどこかに宿儺さまの指が……」

 私は階段下に続く闇へ目を向けた。まだ呪霊の気配は消えてはいない。この先にも数体待ち構えていることは確実だった。

「貴女のおかげで隠れている呪霊たちをおびき出せそうです」

 七海さんの手が離れていく。代わりに自身の手で触れられていたところに手を伸ばした。
 破片は綺麗に払われている。彼への信頼と安堵でそっと胸を撫で下ろす。

「よかったです」
「何も良くありませんよ」
「え、でも……」

 言葉尻の強さに驚いて彼を見上げる。眉間には深い皺が刻まれていた。

「呪霊たちをおびき寄せる餌にされていることに何も思わないと?」
「役に立てるならそれで。五条さんともそういう約束をしてます」
「あの人は……」

 七海さんはそうやって深いため息と共に頭を振る。

「貴女も貴女だ。さすが五条さんの教え子と言うべきでしょうか」
「……それって、いい意味、ではないですよね」
「ええ。残念ながら、私はあの人のことを信用も信頼もしていますが、尊敬はしていないので」

 あまりに確信を持った発言に、はは……と苦笑を零す。

「それでも、目を離せないあの人の気持ちが分かりました」

 チラリと私に視線を向けた七海さんは、進むべき先へ足を向けた。

「私の横から離れないでください。何かあってからでは遅いですから」

 私はしっかりと頷いて横に並ぶ。階段を下り、地下に降り立つと数体の呪霊が待ち構えていた。
 それらを薙ぎ払っていく彼の横で、囮としての役目を果たし、時にはおこぼれを預かろうと出て来た低級呪霊を祓う。それを繰り返し、ひとまず地下の呪霊を一掃することはできた。しかし、肝心の呪物・宿儺さまの指が見つからない。

「七海さん。これだけ呪霊を祓っても見つからないってことは、そもそも呪霊の仕業じゃないってことなんじゃ……」
「というと?」
「呪霊が指を取り込んだ少年院の事例というより、虎杖くんと同じ事例という可能性はないですか?」

 故意かどうかはさておき、人が呪物を取り込んでしまう。その事例があるからこそ、元々の呪霊が原因だ≠ニいう前提が間違っている可能性が浮かび上がってきた。
 七海さんは立ち止まり、顎に手をやって思考を巡らせている。

「確かに、ありますね」
「受肉して虎杖くんのように自我を保ってるのか、それともそのまま身体の所有権が宿儺さまに渡っているのか……」
「いや、そもそも確実に受肉しているとは考えにくい。耐性があるのなんて虎杖くんが稀な例です。そんなリスクを犯して特級呪物を取り込もうとは思わないのでは……あるとすれば、単に人の手によって持ち出された。それなら受肉より可能性は高い」

 なるほど、と彼の推理に相槌を打つ。
 人が原因であれば、何かしら手がかりが残っている可能性が高い。人と言っても非術師というより呪詛師である可能性の方が高いのだが、残穢以外辿るものがない呪霊と比べれば幾分もマシなはずだ。
 私はふと天井を見上げる。こちらを向いたレンズと目が合った。

「……ありますね、監視カメラ」
「ええ。早速手配して確認しましょう」

 一階に戻り警備員室に入る。念のためまだ帳を解いていないため、外からの指示で機械をいじっていく。
 操作は思ったほど難しくなく、簡単に録画された映像がデスクトップに映し出された。

「大体の日付は絞れますよね」
「ええ、といっても長いので、人の出入りがない部分は早送りしましょう」

 重なった矢印をクリックする。まばらに移動する人々の様子に目を凝らす。
 大体は看護師や医師といった病院関係者が映っている。特に不自然な点は見受けられない。ただ、時折霊安室に出入りする遺族や業者が映り込んでいる。大抵看護師と共に映っているが、明らかに忙しなく周囲に視線をやり、何かを探しているような動きをしている人物が二名。

「これ、」
「動きが不自然ですね」

 映像を一時停止させた七海さんが、低く唸るように同意を示した。
 画面に映る人物の顔は解像度が低く鮮明には見えないが、明らかに若い学生服を着た少女だった。

「映像の解析は専門の者に任せましょう。この後の動向を辿るのは補助監督が担います。術師の稼働が必要であればまた声がかかるはずです」

 今後の動き方を淡々と説明してくれる七海さんの横で、私は粗く不鮮明な彼女たちの顔を、ただただ食い入るように見つめていた。
 嫌な予感とも呼べない、靄のような翳りが胸の中を支配する。彼女たちは宿儺さまの指をどうするつもりなのだろうか。今回の件で少年院や虎杖くんの事例などを挙げてきたけれど、もしかして彼女たちは私と同じなのではないのだろうか。
 もし、もしも、そうであるなら。私は──

「私たちは高専に戻りましょう」

 ポン、と肩に乗った手に、我に返った。思考を引き戻された私は、はいとただ頷くことしかできずにいた。
 着信音が鳴る。七海さんはスーツのポケットの中で震えていたそれを取り出した。

「はい。……ええ、そうですか。こちらも終わったので高専に戻ります」

 病棟から出た私たちは、帳を通り抜ける。自然と上がった帳を見上げる私の横で、彼は相槌とこちらの状況を伝えている。
 相手は恐らく補助監督の誰かだろう。伊地知さんかな、と予想を立てながら車に乗り込む。院内に残る補助監督たちは後処理が残っているため、七海さんの運転で帰ることになった。
 通話を終え、エンジンをかけた彼は、不意に助手席に座る私へ問いかけた。

「内通者の話は聞いていますか?」
「……内通者? あ、もしかして、私が疑われてる件と関係あります?」

 心当たりがあるのはそれくらいだ。首を傾げる私に、彼は首を縦に振る。

「そうです。結果的に貴女の無実は晴らされました」
「え、そうなんですね」
「もっと喜ばないんですか」
「たしかに。でも、疑われて当然だと思ってますし」

 私への信用は、私が何か高専側に利益をもたらした時のみ得られる。まだ何も成し遂げていない私は常に疑いの目で見られることを免れられない。

「監視されるのは慣れたので」
「……貴女が高専預かりになった経緯は大まかにですが聞いています。それでも、慣れるべきことではないと思いますが……そうですか」

 七海さんは静かに口を閉ざした。
 私は通り過ぎていくヘッドライトに照らされた、彼の横顔を見つめた。その視線に気付いたのか、彼は「話を戻します」と呟く。

「内通者は京都校二年の与幸吉。虎杖くんたち東京校一年生三人が調査に出向いたところ、本来身を置いている場所がもぬけの殻になっていた。この時点で彼が黒だと確定されました」
「そんなことが……」

 まだ高専内部のことを知り始めて日が浅いためか、自分の知らないところで様々な思惑が蠢いているのだと、どこか他人事のように感じる。
 虎杖くんたちはそんな重要なことを任されていたのか。調査する側として選ばれたということは、三人は白と見做されているのだろう。そのことにそっと安堵する。

「あの人が今日貴女を私に任せた理由、分かりますか?」

 視線は前方へ向けたまま、不意に尋ねかけてきた七海さんに首を傾げる。

「理由って、来る前に五条さんが言ってた通りじゃないんですか?」

 一級の七海なら現場での判断もこの子の監視も任せられる≠サう言った五条さんの言葉を思い返す。
 しかし、七海さんはゆるゆると首を横に振った。
 
「それもありますけどね。あの人は内通者の件で、いつでも動けるようにしておかなければならなかった以上、貴女を見張っておくことはできない。だから私に貴女との任務を頼んだんですよ。……両面宿儺の指が関わるのならば、貴女の意識も内通者の件ではなくそちらに向く。そう考えたんでしょう」
「そこまで考えてくれていたんですね……」

 普段表に出さない優しさに触れるたびに、いずれ彼と道を違えた時、後ろ髪を引かれることなく突き放せるか不安になる。
 いっそのこと、私の心が揺れることを見越しての行動だったらいいのに。与えられる優しさが、打算ではなく純粋なものであることを、私は一番恐れている。
 視線を落とし、膝の上で拳を握る。なんと言うべきか言葉を選んでいると、七海さんは、ふ、と柔らかく息を吐いた。

「貴女はあの人の大事な生徒だということです」

 その言葉が余計に胸に刺さる。
 五条悟の生徒≠ニいう、私の人生に存在しなかったはずの肩書きが、私の意思とは別に深く根を下ろそうとしていた。









永遠に白線