潔白な罪 参

「あちゃー、一足遅かったね」
 社の屋根の上で一人の男が落胆した。軽い物言いとは裏腹に漏れ出た重たいため息。彼の──五条悟の白髪は、夜の闇に攫われることなく夜風に揺れている。
 五条は宿儺の呪力の気配を追って、中部地方のとある山村まで足を運んでいた。宿儺の封印が解けたことで一時的にこちらが探れるほどの呪力が溢れ出していたが、今はそれがない。恐らく、宿儺の指から放たれる呪力を自らコントロールしているのだろう。
 それにしても、と彼は小さな集落を見渡した。どうやら少し前に警察沙汰の事件が起きていたようで、住民の間にはピリピリと緊張感が走っている。何があったのか、直接聞けたものじゃなかったが、町の方へ降りればすぐに事件の情報が手に入った。
 どうやら数年に一度起こる女子児童失踪事件≠フ犯人がこの神社の神主だった、ということだった。しかし、その神主も死亡。状況からして生贄≠ニした少女を殺めてしまったことに後悔をして、自身も死を選んだ。という筋書きらしいが、これまで続けてきたその行為に、今更後悔などするものなのだろうか。
 そう考えると不自然な点が多い。そもそも、その神主の死に方は到底自殺でできるようなものではなかったという。遺体があった祠周辺は全て赤く染め上げられ、肉が飛び散っていたらしい。まるで首に爆弾でも仕掛けていたかのような死に方。けれど、当然そこに爆発や火薬の痕はなく、ただ肉塊が転がっていただけなのだ。
 おかしい、と誰でも思う。しかし、誰も真相を掴めない。町の住民は皆口を揃えて「神の祟りだ」と言った。それはこの場においては言い得て妙だった。
 これはまさしく神≠ニされた両面宿儺≠フ仕業だ。
 神主が宿儺の怒りを買ったのか、はたまた宿儺による戯れの一端だったのかは分からないが確実に死に貶めたのは宿儺だ。
 もっと早くに宿儺の指を見つけ出せていれば、神主も死ぬことはなく、失踪事件も起こらなかったはずだ。今更悔いても仕方がないが、こんな辺鄙な場所でこんなおぞましいことが起こっていたなど全く知らなかったし、気づきもしなかったのだ。
 この土地にはこんなにも宿儺の呪力が根付いているというのに、これまでその呪力に釣られた呪霊の被害はなかった。それも不可思議な点だと思ったが、すぐに謎は解けた。この土地を囲んでいる森に、山に、結界がかかっていたのだ。外部の呪霊がやってこないよう、封印された両面宿儺の呪力が外に漏れ出ないよう厳重に。
 かなり古い結界からは、この土地に根付く呪物信仰の歴史を感じさせた。どうりで気づかないわけだ、と心の中で両手を上げて降参する。
 ここにもう宿儺の指がないのなら、用済みの結界は次第に弱くなり消滅するだろう。そうなれば残った宿儺の呪力に釣られて、うじゃうじゃと呪霊が寄ってくるに違いない。
 ここはしばらく誰かに見張らせた方が良いな。また何かあってからじゃ遅い。
 五条は腰掛けていた屋根の大棟から腰を上げる。そして、都会の空より何倍も暗い夜空を仰いだ。
 完全に謎が解けていない事が一つある。それは現場にその場にいた誰のものでもない血液≠ェ残っていたこと。亡くなった少女の他にも犠牲者が居たのではないか、と憶測を立てていたけれど、それは警察に押収された宿儺を封印していた木箱と呪符にベッタリとついていたことが分かり、すぐに別の可能性に気づいた。
 ──宿儺はその場にいた別の人物に封印を解かれ、持ち出された。いや、宿儺が持ち出させたのかもしれない。その何者かと縛り≠交わした可能性もある。
 どちらにせよ、封印の解かれた宿儺にあちこち動かれること自体、厄介なことに変わりはない。
「──さて、宿儺は一体どんな足を手に入れたのやら」
 五条は挑発的な笑みを浮かべる。「是非とも顔を拝んでみたいものだね」そう呟いて夜の闇の中に消えていった。


永遠に白線