「秋ってだけで読書の秋とかスポーツの秋とか、わざわざ銘打ってるのっておかしくね? 他の季節は言わないのに」

 日本人というのは何故こうも秋と言う季節を枠にはめたがるのか、常々疑問だった五条は、くだらない話題だと自覚しつつも、暇を弄んでいる時間を消費する程度の話題にはなるだろうと、隣の席に座る夏油に問いかけた。
 携帯の画面から目を上げた夏油は「ああ、言われてみれば確かに」と今まで不思議に思ったこともなかった様子で頷いた。

「元々ある言葉に派生しているだけなんじゃないか?」

 実りがあれば収穫も多くなる。収穫が多くなれば食材が増え、食欲も増える。そういった連想ゲームのように実りの秋から派生して、収穫の秋、食欲の秋とその他の様々な秋≠ェ増えていった。それが夏油の見解だった。

「本当のところは知らないけど、固定した印象をつけることで都合が良くなる人たちがいたんだろうね」
「ふーん、便乗する人が多ければ多いほど人の目に触れやすい、か。大衆は知らず知らずに受け入れて気が付きもしないっつーのも滑稽な話だよな」
「人々の認識に浸透するというのは、案外そういうことの繰り返しなのかもしれない」

 社会を動かすのは人の欲だ。しかし、誰かの欲が何処に潜んでいるのかなど、大抵の人間は気に留めてすらいないのだ。それを不幸かどうかを決めるのは、個々の価値観に委ねられている。従って、彼ら二人がこの場で議論するのは不毛であった。
 木枯らしでカタカタと小さく揺れる窓の外へ、視線を流した夏油は、静かに携帯を折り畳んだ。

「それに皆好きだろう。物事に何かしら名前をつけるの」
「そりゃそうだろ。その方が楽だからな」
「ああ、楽してちゃ気づくものにも気づけないからね。悟も考えることを放棄してないで、ちゃんと向き合った方がいいと思うよ」
「は? どういう意味だよ」

 物事の認識に限定した名前を結びつけておけば、同じ物事にぶつかった時に迷わない。一番最短ルートで辿り着けるのは効率的とも言える。それは悪い事ではないが、マニュアル化されるばかりでは思考は停止する。それはあらゆる事象に当てはまり、夏油が言いたいのは五条の抱えた皐月への感情についてだった。
 問いただす五条の動きが止まったのは、最悪のタイミングで例の彼女・・・・が教室の戸を開けたせいであった。

「珍しいね、どうかした?」

 高専に通う学生の数が少ないとはいえど、一つ下の学年の皐月が自分から近寄ってくるなど、普段は滅多にないことだった。そう、特に五条がいる時は。そういう意味も込めて、夏油はこちらへ歩み寄ってくる彼女へ声をかけた。

「今日は一人?」
「はい。七海と灰原は二人で任務なので」
「ハッ、お荷物は留守番ってことか」

 五条は苛立ちをぶつけるように彼女へ噛み付く。
 それはただの八つ当たりでしかなかった。けれど、そうするしか五条の腹の底で渦巻いた、得体の知れぬ感情を吐き出す術がなかった。
 確かに己の手で、己の言葉で傷つけたはずだというのに、両者の間にそびえ立っていた壁など、まるで初めから無かったかのように、取り払った彼女の意図がまるで分からなかったのである。最初に距離を取ったのは、紛れもない彼女だというのに、一体どういう風の吹き回しか知ったことでは無いが、彼女から向けられた感情に振り回された五条が腹を立てるのも無理はない。そして、己が振るった刃が全く刺さらなかったことが何より納得いかなかった。少しは傷ついた顔をすればいいものを、本当に五条に嫌われたかったことを証明するように、彼女はあの真夏の空の下で、全てを見上げながら、晴れやかな表情で笑ったのだ。
 あの顔を思い出すだけで、五条の中で怒りが沸々と湧き上がる。視界の中で平然と彼女が笑うたび、その怒りがドロリとした粘着質じみたものに変化する。顔を覗かせた正体不明の感情を憎悪≠ニ名付けた彼は、考えることをやめた。その方が五条にとって楽だった。

 そんなことなど知る由もない彼女は「またすぐそういうことを……」と呆れ嗜める夏油に「大丈夫ですよ」と表情を和らげて笑うものだから、五条の機嫌は悪化の一途を辿るばかりだった。
 そのあからさまな態度を横目に、夏油は彼女へ用向きを尋ねる。

「先生から書庫の片付けを頼まれて、先輩たちにも手伝ってもらえと……」
「なるほど、分かったよ。私たちもちょうど暇してたところだったから。硝子も一服終えたらすぐ戻ってくると思うよ」
「ありがとうございます」

 座学の授業は午前で済んでいるため、時間は十分にあった。珍しく三人とも任務が入っていないこともあって、二つ返事で承諾した夏油に、意を唱えた五条は、心底ダルそうにぼやく。

「俺はパス。めんどくせぇ」
「悟の方が面倒臭いよ、ねぇ?」

 嫌味たっぷりの夏油に同意を求められ、皐月は何と答えて良いかわからず「え、いや、えっと」を繰り返すが、絶対零度の威圧を放つ五条の態度に凍りついた。

「あ゙? なんだと」
「ああ、そうだ悟、硝子が戻ってきたら書庫に来るよう伝えておいてくれ」

 行こうか、と五条のことなどお構いなしに彼女の背を押し、教室を出た夏油は内心笑いが止まらなかった。この場に硝子が居なかったのが悔やまれるな、と愉快なこの状況を共有できる相手がいないことを心底残念に思った。教室に一人置き去りにしてきた五条が、今何を思っているのか考えた夏油は、小さく喉の奥を鳴らした。

「夏油さん、ありがとうございます」
「悟のことなら心配しなくても大丈夫だよ。あんなこと言ってるけどすぐに来るから」

 隣で申し訳なさそうに頭を下げる彼女に、定められた未来を語るように告げる夏油。
 彼女は、いくら考えても、何故夏油がそうやって言い切れるのか分からなかった。
 人手がいるとは言えど、五条先輩にまで手伝ってもらおうとするのは無謀だった、反省していたところだったので、あの一切こちらを見ようともしない彼が、自分の意志でやって来ることなど想像できないでいた。
 背後で戸を開いた音がする。夏油と肩を並べて歩いていた彼女は振り返って目を見張った。

「悟、早いね」

 どこかバツが悪そうな雰囲気を醸し出している五条に、夏油は特に驚くわけでもなく声をかけた。
 まさか夏油の言った通りになるとは思っていなかった彼女は、小さく声を漏らし、彼は預言者か何かなのではと思いながら、夏油さんすごい、と心の中で灰原ばりの賞賛を送った。

「空気ヤバ」
「硝子さん……」
「ちょうどいいところに戻ってきたね、書庫の片付けを手伝って欲しいって」
「オッケー。皐月、面倒臭いクズどもは置いてさっさと行こう」

 煙たさを纏った家入は、瞬時に目の前で何が起きたかを理解し、皐月の肩を攫って書庫へ歩き出した。五条と彼女が対面している時点で、何も起こらないはずがないのだ。

「私が含まれてるのは納得いかないんだけど」
「クズはクズだろ。大差ない」

 どうせ面白がって見ていたんだろう、という視線を夏油に投げかける。けれどもし、その場に自分がいたとしても、夏油と同じように五条の様子を見て面白がっていただろうな、と思い直した。家入としては、彼女を助けてやりたい気持ちは十二分にあるけれど、発言の分別は付いている。特に五条に関して、助言してどうにかなる人間でないことは、同期として嫌というほど理解していることもあり、自分自身で答えを見つけるしかないと放棄するしかなかった。夏油はその答えを見つけるきっかけを与えたのだということを察し、埃っぽい空気が閉じ込められた書庫の扉を押し開けた。

 書庫、と呼ばれるその蔵のような建物は、図書室とは別で呪術に関係のあるありとあらゆる書物が保管されている。古い本や状態が良くない本も多いため、定期的に手入れをしないと駄目になってしまう物もある。何度か書庫の片付けをしたことがある彼らは手際よくこなしていく。

「埃かぶってるけど」
「えっ」

 突然五条に声を掛けられた皐月は、思わず動揺で声を上げた。先ほどまでハタキで埃を落としていたため、その時に付いたのか、と五条の視線を頼りに彼女は自分の髪を適当に払う。

「そこじゃない」
「……ここですか」
「違う」
「じゃあこっち……?」

 不毛なやり取りに音を上げた五条は、躊躇いがちに彼女の髪へ手を伸ばす。彼の視界の中で、初めて彼女に触れたあの瞬間・・・・がチラついた。
 五条も正直やりすぎたとは思っていた。殺されかけた上に反転術式を習得したあの時は、これ以上ないほど気持ちが昂っていたこともあり、確実に正気ではなかった。何の考えもなく苛立ちや本音を全て彼女へぶつけ、それを笑顔一つで返されたことは、五条にとってはある意味トラウマとなっていた。自分が犯した仕打ちが何倍ものダメージとなって返ってきたことなど、今まで生きてきた中で一度もなかったのだ。これほどまでに感情を乱され、それにまた動揺し、そう感じてしまった自分のことも彼女のことも理解不能で、後に残ったのは拒絶という負の感情でしかなかった。
 彼女の髪から埃を払った五条は、指先に残る柔らかい感触を隠すようにポケットの中へ仕舞い込む。「ありがとうございます」と頭を下げた彼女は躊躇いなどなく真っ直ぐに五条を見据えていた。
 五条が抱える苛立ちも憎悪も、元を辿れば全ては彼女の行動の理由が分からないからだ。
 ──嫌われたいというなら、もっとそれらしく嫌な態度を取ればいい。何故こちらに歩み寄ってくるように平然と距離詰めるんだ。
 五条は長い沈黙の中でそう思い、ようやく口を開いた。

「なんで避けねぇの」
「避ける、ですか」

 どうしてそんなことをしなくてはいけないのか、いまいちピンと来ない彼女は、五条の反応を探りながら問いかける。

「避けた方がいいですか……」
「いい、そういうのダルいから。いちいち言わせんな」
「……すみません」

 謝罪するしかない彼女に、一瞬顔を覗かせた苛立ちを押し留め、対話を試みる。

「あそこまで言われたくせに、前よりしっかり目を見て話すようになったよ、お前」
「へぇ……そうでしたか」
「無自覚かよ」

 特に大きなリアクションもない彼女に少々呆れつつ、その程度のものに感情を乱されていたことが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
 大きなため息を零した五条に、彼女は自分の中で考えをまとめ、噛み締めるように彼の言葉を否定した。

「自覚は……あったかもしれません」
「は?」

 意図的にやっていたのならそれはそれでムカつく、と五条は声を漏らした。

「私、あの時先輩にはっきり嫌いだと言われて、安心したんです」

 五条の放つ威圧に負けることなく、彼女は五条が理解できなかった理由を話し出す。

「私も私のこと嫌いなので、同じだなって。自分の価値観を肯定されて嬉しかったんです」

 彼女にとってはそれ以上でもそれ以下でもなかった。彼女自身を嫌いな者同士ということで、彼に対し仲間意識さえ芽生えてたのだ。
 礼まで告げ始めた彼女へ、五条が言い放ったのはあの時のような故意に傷つけようとする言葉ではなかった。

「……マジか、ヤバ」

 怒るとか、憎むとか、呆れるとか、もうそういう次元の話ではなく、あれほど苛立った彼女の笑みを愕然と見つめるしかなかった。
 彼女の行動の理由を知ったところで理解に苦しむことには変わりなく、今まで見えていたようで全く見えていなかった彼女を構築するものが何なのか、五条は今まさに目の当たりにしていた。
 これまで決めつけていた彼女へ向けた感情を取り払って、新たに残ったものに向き合う。どれも簡単に名前をつけられそうなものではなかった。けれど、それでいいと思った。楽をしてしまえば、また同じことの繰り返しだ。
 
「……救いようがないな、お前」
「え……私、五条先輩に救われましたよ」
「ハァ〜〜〜、清々しいほどに最悪だわ」

 五条の大きなため息が、開け放った窓から流れ込んでくる乾いた空気の流れに乗り、消えていった。





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永遠に白線