
「最近五条さんと仲良さそうですけど、ついに和解でもしたんですか」
隣を歩く七海に唐突に話を振られたせいで、それまで話そうと思っていたことが全て抜け落ちてしまった。
私は西日に照らされた彼の横顔を見上げた。眩しくてつい顔をしかめる。
「和解って……別に喧嘩してたわけじゃないし、もともと私が悪いんだから」
「ネガティブ、出てますよ」
「……うう」
小さくうめいた私は、小脇に挟んでいた資料をギュッと両手で抱え直す。
七海はやれやれとでも言いたげに首を傾げた。
「それでいきなりネガティブなことを言ったら注意してほしい≠チて一体どういう風の吹き回しですか?」
そうだ。その話をしていたのだった。
私は七海に事の経緯を説明した。五条先輩に稽古をつけてもらえることになったきっかけ。五条悟を利用する≠セなんて、私の中にはなかった選択肢。その途方もない前向きさに、少しでも近づいてみようと思ったこと。彼の時間を奪っている以上、義理を返すためにはできる限りの結果とそれに臨む姿勢を見せなければならない。
「時間はかかるだろうけど、ちょっとずつ変えていけたらなって」
「そうですか。……それは、とても良いと思います」
どこか噛み締めるようにしっかりと頷いた七海。私はそんな彼を覗き込み、己の中にある情けなさを取り払うように少々大袈裟な身振りで意気込んだ。
「後輩も入ってきたし、いい加減しっかりしなきゃいけないよね」
「まぁ頼り甲斐はないよりあったほうがいいのは確かですね」
「よかった。やっぱりそうだよね」
彼の反応に胸撫で下ろす。
七海はいつも安心感をくれる。彼が首を縦に振るだけで背中を押されたような気分になる。それはきっと彼が誠実に向き合ってくれているのが分かるからだ。
しかし七海は私の晴れやかな内心とは違い、腑に落ちない表情で「でも」と零した。
「なんで私に頼んだんですか。ポジティブなら灰原が適任ですし、家入さんなら頼みやすい。それに稽古をつけてもらってるなら五条さんでもいい。それなのに何故」
「……ごめん、迷惑だった?」
「だからネガティブ」
「ああ……」
彼の指摘に頭を抱える。変わろうと決意を固めたはずなのに、長年の癖とは簡単に変わってくれないらしい。すでに染み付いてしまったものは私の一部でいて私自身なのだ。
やるせなさにのろのろと顔を上げた私は、七海に問われていたことへ答えを出した。
「自分で少し変わったなって思えたのは七海のおかげだったから。七海がもっと怒っていいって言ってくれて、本気で両親に感情をぶつけられた。あの時に自分の中に諦めるだけじゃない選択肢が生まれたっていうか……上手く言葉にできないけど、だからこそ五条先輩との特訓もやってみようと思えたし、今も頑張れてる」
「そんなこと考えてたんですね」
「うん。可笑しいかな」
「いいえ。まったく」
「よかった」
少し驚くように目を丸くしていた彼に「七海には感謝してることが多くて頭が上がらないな」と眉を下げて小さく笑った。
「ちょっとポジティブになるために灰原パワーもらってくる」
「どんなパワーですかそれ」
冗談めいた会話に続き「灰原と一緒にいると元気になるでしょ」と言えば、彼もまた「まぁ、それは」と同意を示す。
「もうすぐ夕食ですし、灰原と三人で食堂に行きましょうか」
「うん」
同じ方向に歩幅を合わせて歩き出した。灰原の部屋に着き、ドアをノックすれば程なくして部屋の主が出てくる。
軽く世話話をして食堂に向かう途中、灰原が私を見て声を上げた。
「あ! 皐月も資料貰った?」
「うん。灰原には別で渡したからってさっき補助監督さんに呼ばれて」
腕の中にある紙の束を掲げながらそう言えば、灰原はいつもの眩しいほどの笑顔を浮かべた。
「なかなかこんなことないから楽しみだよね」
「楽しみって……任務なんだからしっかりしないと。それに今回は私たちだけじゃないんだし」
「そうだね。しっかり先輩らしいとこ見せないと!」
意気込む彼に、私は首肯し同意を示す。頼り甲斐を見せなければと思っていたのは、私だけではなかったらしい。
その横で何も聞かされていない七海は一人首を傾げていた。
「任務ですか?」
「そう、僕たち潜入調査することになってさ」
「潜入調査⁉︎」
珍しく声を上げる七海に調査対象が全寮制の有名私立高校だということと、大まかな概要を伝える。相次ぐ生徒の失踪に過敏になった大人たちがセキュリティを強化してしまったことで気軽な調査ができなくなり、わざわざ生徒に扮して調査しなければならなくなってしまったのが潜入調査になった経緯だ。
「でもそんなに長期にはならない予定だよ」
あくまで調査だ。長くても一週間くらいだろうか。全て解決できれば万々歳だが、無理をする必要はないと言われている。それに今回の主役は私たちではない。
七海に「二人でですか?」と問われ、首を横に振り「あとは伊地知くんも一緒」と返す。
「どうかした? 七海」
「いえ、まぁ……順当に選別されるなら正直自分なはずだと思って」
「……それ、私が今の人選の実力に見合ってないってこと?」
「そんなこと言ってないでしょう。灰原パワーもらったんじゃなかったんですか」
「そうだった……」
灰原パワー? と首を傾げる灰原の横で、再び頭を抱える羽目になってしまった。
確かに定員三名で灰原と私が選ばれているなら、残る枠に七海が選ばれると思うのも無理はない話かもしれない。
「七海が選ばれなかった理由なら単純だよ」
「まぁ、そうだよね。それでしか納得できないもん」
「何です、二人揃って」
居心地が悪そうな七海を前に、私は灰原と目配せしながら口火を切った。
「七海、綺麗だしその容姿だと絶対目を引くから。だから潜入とかには向いてないってこと……だよね?」
灰原に同意を求めそう問えば「そうそう!」と力強い答えが返ってきた。その横で捉えどころのない表情の七海が「綺麗……」と呟いていた。
「金髪緑眼ってやっぱり目立つから。そういう意味では夏油さんも五条さんも容姿に特徴があるから除外されるしね。今回は伊地知くんの初任務でもあるし、僕らの代が見てあげるようになってるわけだから打倒な人選でしょ?」
「そうかもしれませんが、潜入で三人はさすがに多いのでは?」
「それぞれ学年ごとに振り分けられてるの。普通の高校は三学年だから。塔も分かれてるみたいだし、一人で全校生徒に目を光らせるのは難しいでしょ?」
なるほど、と私の説明にひとまず腑に落ちた様子で頷く七海。その背を灰原がバシッと力強く叩いた。
「心配しないでよ七海! 僕らですぐ片付けて帰ってくるからさ! ねぇ皐月!」
「うん、頑張ってくる」
「過度な心配はしてないですが……気をつけて」
片眉を下げ、少々困っているようで安心しているような表情の七海を前に、灰原と頷き合った。