
じわじわと顎を伝っていく汗を拭う。疲労と暑さに肩を上下させながら荒い息を零す。膝に手をつくと、無防備に曝された頸が徐々に熱を持っていくのが分かった。
「それで終わり? 手加減してやってんだから一発くらい当てられるようになりなよ」
「……もう一回、お願いします」
私は頭上から振る五条先輩の声に重たい首をもたげ、炎天下に切り抜かれた己の影から顔を上げた。
彼の稽古はスパルタだった。座学で戦術を組み立てて、実践で体に馴染むまで叩き込む。その容赦のないやり方は、きついことには変わりないが変に気遣われるより断然マシだった。
竹刀を構え直す。呪力が触れたら勝ち、と己に言い聞かせながら集中力を研ぎ澄ませ、彼の間合いに踏み込んだ。
「うん。うん。それ、さっきも見たけど」
五条先輩は両手をポケットに突っ込みながらスイスイと切先の軌道を避けていく。めげず攻撃を繰り出すも、やはりそれも軽々と交わされてしまった。
触れればいい。触れるだけなら。
私は足元から頭上に向けて竹刀を振り抜いた。もちろん軌道は読まれ、彼は上体を逸らすようにして回避する。しかし彼の重心は後ろに移動した。再び竹刀を振り下ろすのでは体勢を立て直される。だからその前に何としてでも勝負をつけなければならない。
私は振り抜いた勢いのまま、天に竹刀を放つ。彼の視線がそちらに移ったのを捉えながら、前傾姿勢のまま間合いを詰めた。
ドン、とかなり重たい音がする。彼の腹のあたりにタックルした形になってしまったけれど、五条先輩は半歩下がっただけだった。
「触れれば勝ち、ですよね」
私は呪力が触れていることをアピールするために、しかとしがみつき彼を見上げた。
逆光のせいで表情が見えない。その代わりに私が放った竹刀の影が、彼の頭上に差し迫っているのが見えた。あ、と声をあげる前に竹刀は彼の無限に弾かれて芝生の上に転がった。
私が彼に触れているのだから、無限は解いているのかと思ったけれどそうではなかったらしい。そういえば、新たに無下限呪術を適応する対象を自動で選べるようになったと言っていたけれど、このことだったのか。
──だとすれば、もしかすると私は彼の術式に弾かないもの≠ニしてプログラムされているのだろうか。
静けさの中そう考えていると、急に怒号が降る。
「お〜ッ、お前は! 呪霊に体当たりすんのかよ!」
「と、時と場合によっては……」
「丸腰で突っ込まないように得物使った訓練してんだろ! バカ!」
確かに得物の訓練としては不適切だったかもしれないと思った瞬間、身体がグイッと引きつけられ、そのまま宙へ弾き出された。
「あ。ヤベ」
私を見上げる彼が、そう呟いたのを確かに拾い上げる。
何が何だか分からない。空中に放り出されている私の背後には屋根が迫っていた。背骨が折れたら重症になるな……とどこか冷静に思いながらも、支えるものがない宙では受け身を取るために体勢を変えられない。
身を竦ませていると、ふと落下にかかる重力がなくなった。
「あっぶな〜……慌てて術式使っちまった……」
ごめん、と言う五条先輩に抱き抱えられ、ゆっくりと地上に降ろされる。
私は先ほど彼に触れていた両手に目を落とした。
「五条先輩、私に無限張ってないですよね……? なんでですか?」
「お前を助けようとしてんのに無限張ってたら意味ないじゃん」
「あ、それは……助けてくれてありがとうございます」
いそいそと頭を下げれば、彼は「いや、吹っ飛ばしたの俺だし……」とバツが悪そうに後頭部に手をやった。
「あの、それで、無限のことは今のじゃなくて……五条先輩、この前無限を適応させるものとさせないものを自動で選択できるようになったって話してましたよね?」
「ああ、そうだけど」
「じゃあ、さっきあの弾かれた竹刀は無限を適応させたもので、私はさせなかったもの、ってことですか?」
「それさぁ、もしてかしてお前を術式の自動選択に組み込んだかって話?」
察しの良い彼に、私はコクコクと頷く。
「なんでそんな前のめりなんだよ。そんなん触れられるように組み込んでるに決まってんじゃん。それにたとえ組み込んでなくても、訓練なんだし意図的に触れられるよう選択してるけど。なんかおかしい?」
「いや、おかしいというか……拍子抜けというか……」
私が無下限呪術に是とされている。五条先輩の言い分は理にかなっているはずなのに、それだけが引っかかり、どうにもすんなりと飲み込めずにいた。
お〜い、と聞き慣れた声が遠くから聞こえる。私は形容しがたい気持ちに戸惑いながら声のほうを見やると、そこには元気よく手を振る灰原がいた。
こちらに小走りでやってきた彼はは五条先輩に「お疲れ様です!」と礼儀正しく頭を下げる。そして両手に持っていた袋を私の目の前に掲げた。
「花火もらったからみんなでやろう!」