
午後八時。すっかり日が暮れた夜道を、学生全員で寮からゾロゾロと列をなして校庭に集まる。
灰原曰く、花火は任務先で通りかかった商店街のくじ引きで当たったらしい。彼らしいと思いながら、道端の茂みから聞こえる虫の声を聞く。
後始末さえしっかりすれば問題ないと、校庭を使う許可をくれた夜蛾先生のおかげで広い場所ですることができた。許可を取ってきた灰原にも感謝しつつ、花火の包装を開けていく。
「ロケット花火は一番最後にしようか」
「じゃあ先に何やる? やっぱり普通のから?」
そうしよう、と灰原と会話している横で、バラバラと中身を出した先輩たちを囲んで会話が飛び交う。
「あ、ネズミ花火もあるんだ」
「ネズミ花火って何? ネズミの尻尾にでも花火括りつけんの?」
「違いますよ。こう地面を素早く移動する花火なんです」
「なんだ。硝子の実験用のラット持ってこようと思ったのに」
「さ、さすがにそれは不味いですよ……」
「そうだぞ五条。勝手に殺そうとするな」
口々に言い合った後、硝子さんが普段から携帯しているライターで蝋燭に火をつけた。それを囲むようにして、各々手に持った花火に火を移していく。
シュバ、と音が鳴り、先端から稲の穂先のように光が噴き出した。火薬と煙の匂いがツンと鼻の奥を刺激するけれど、不快ではない。
「おりゃ! 四本持ちだ!」
「贅沢だな」
両手に二本ずつ持った花火を振り回しながら校庭を駆け回る五条先輩と、それに苦笑する夏油先輩。五条先輩に勝らなくとも灰原や七海、伊地知くんも心なしかテンションが上がっているように見える。
私の傍にいた硝子さんはコンクリートの階段に腰掛ける。ちょいちょいと花火を振り、気持ちばかり火花の煌めきを楽しむと、満足したのかポケットから煙草を取り出し、あろうことか花火で火をつけようとしている。
「硝子さん、危ない……」
「大丈夫、大丈夫。ホラ、皐月にも分けてあげる」
硝子さんは煙草の煙を吐き、私が持っていたまだ火をつけていない花火の先に自分の花火の火を近づける。
丸い先端に火が移り、先ほどの花火より大きな火花がバチバチと出てくる。それに感嘆の声を漏らしていると、一通りはしゃぎ終えた五条先輩がこちらに寄ってくる。
「俺にもちょーだい」
新しい花火こちらに突き出してくる五条先輩。私は彼の足に火花が飛ばないように気をつけながら、彼の横にまわる。
持ち手を傾けて火を分け与える。煌々と輝き出した五条先輩の花火と、寿命を終えたように消えていった私の花火。あ、とお互いの声が重なった。
顔を上げると自然と目が合う。煙によって薄く靄がかかる中、彼の花火が光源となって私たちを下から照らした。
より濃く香る火薬の匂いに、爆ぜる火花の音。私が灯したものによって照らし出された、普段見ることのない彼の瞳の色。許可なくTシャツの隙間に入り込む風と、サンダルを履いた無防備な素足の熱。
「あ……私、花火水に浸けてきます」
よく分からないまま息を呑んでいた私は、その場から逃げ出すようにバケツの元へ向かう。火が消えた花火を水に沈めると、ジュッと音が鳴る。悲鳴にしても短いなと思った直後、背後が忙しなくなる。
「皐月さん! 足元!」
「え、うわ……っ!」
珍しく張り上げた伊地知くんの声で足元を見ると、シュルシュルと音を立てたネズミ花火が迫っていた。
後ずさりながら避けようとするけれど、絡みついたように足元から離れてくれない。ひょいと身体を傾けた先にいた七海にごめんと言いかけた瞬間、ネズミ花火はパンッと弾けた。
それが終わりの合図だったことを知らなかった私は、思わず飛び上がり七海にしがみつく。
「びっくりした……」
ドドド、と早鐘を打つ心臓をなんとか撫で下ろしながら、炭と化したネズミ花火を見つめる。そろりと七海の顔を見れば「怪我は?」と問われたので、私は首を横に振った。
「大丈夫、ないよ」
「それはよかった。……それで、その、いつまでそうしてるつもりですか?」
「え? あ……なんかごめんね」
安全な大木か何かにしがみついた気持ちでいたけれど七海だった……
申し訳なさと気まずさでぎこちなく身体を離す。
「意識してんの?」
急に背後から声をかけられ、肩をびくつかせる。私は五条先輩の言葉の意味が分からず首を傾げた。
「えっと、何のことですか」
「俺の時は全然意識してなかったくせに、七海は意識すんのってこと」
そもそも意識、とは。五条先輩とは稽古の一環だったし、七海とは単なるハプニングだ。それを意識的にやってたかということなのだろうか。
再び首を傾げ、七海に助けを求めてみるけれど、彼も五条先輩と同じように私へ視線を注ぎ答えを待っているように見えた。仕方がないので五条先輩の質問に素直に答える。
「あの、別にどっちも意識してないですけど」
その言葉を放った瞬間、二人はピシリと固まった。
何かまずいことを言ってしまったのかとおろおろし始める私の肩に手を置き、涙を流しながら爆笑している硝子さんにコソッと耳打ちする。
「え……意識して抱きついてたら流石にまずいですよね? わいせつ罪とかそういうので逮捕されちゃう」
「まって、皐月っ、面白すぎるからやめて、ヒ〜ゲホゲホッ」
笑いすぎて咳き込んだ硝子さんは息が整うと、固まっていた二人に「噛み合わないねぇ」と含み笑いを残して私の背を押した。
残った花火をもらいに灰原の傍に行くと、はい、と細い花火を何本か手渡された。
「残ってるのはもう線香花火くらいだよ」
「あんなにあったのに、意外と早かったね」
人数もいるし余らないだろうとは思っていたけれど、まだまだ残っているかと思っていたので拍子抜けする。
線香花火もいいよね、まだロケット花火も残ってるし、と灰原と話していると、彼と一緒にいた夏油さんがパン、と自分の腕を叩いた。
「蚊ですか?」
「え、ああ……そう。ちゃんと喰われてしまった」
自分の手の平に視線を落とした彼は、自らの血と潰れた蚊を目視すると力なく笑った。
「塗り薬は持ってないんですけど、虫除けスプレーならあるので使ってください」
「ありがとう」
「いえ、もっと早く貸せてればよかったですね。かゆそう……」
うっすらと丸く隆起した皮膚を見つめながらそう言うと、彼もまたそこに視線を向け小さく呟いた。
「もう手遅れ、か」
「え……」
「手、洗ってくるよ」
一人立ち上がり、校舎にある水道に向かって背を向けて歩き出す。そんな彼の背中を見て、灰原と顔を見合わせた。
「夏油さん、なんか元気ないよね」
「うん……」
大丈夫かな、と言いつつも追いかけることはせず、私たちは線香花火に火をつけた。
繊細な火花が立ちどころに出ては消えていく。橙色の火の玉がジリジリと重力に逆らおうとしているのを見つめながら、私は小さく笑った。
「灰原が傍にいれば元気になるかも」
「そう?」
「そうだよ。灰原パワーがあるから」
そう冗談めかして言えば、何それ、と灰原も笑った。
最後の線香花火に火をつける。長く持たせるコツを聞いたことがある気がしたけれど、忘れてしまったのでただただ揺らさないようにしてひたすら延命する。
「まだ夏は終わらないのに、なんか物寂しくなるな」
「みんなで賑やかに盛り上がってたのに、いざ終わるとなると名残惜しいからかな。やろうと思えばまたできるのにね」
一足先に火が落ちた灰原は、私の線香花火を見ながら同意を示す。残りは締めのロケット花火だと皆が準備を始めようと動き出すのにつられ、手元がブレるとあっけなく終わってしまった。
「火ぃつけるよ」
硝子さんの掛け声に、みんなロケット花火から距離を取る。いつの間にか傍にいた七海が、火元に視線を向けながら尋ねてきた。
「大きな音苦手なんですか?」
「特別苦手ってわけじゃないけど、さっきのは急だったから……」
「ならこっちは大丈夫そうですね」
ロケット花火も大きな音が鳴る。だから心配してくれたのだろう。「気にかけてくれてありがとう」と礼を言うと、ふと七海の口元が緩んだ。それを見逃さなかったことに少し嬉しくなる。
皆と同じように私もまたロケット花火に目を向けた。パッと打ち上がったと思ったら、特に光るわけでもなくパン、と乾いた音が反響するのみ。
一同終わったのかよく分からないと言いたげな微妙なタイミングで、おお〜と声を上げる。初めから打ち上げ花火に比べたら見劣りするのは明らかだったけれど、やはり少し物足りない。
締まりそうで締まらないなと苦笑し、またやろうと言いながら手早く片付けを済ませ、まだ煙たい校庭を後にした。