枕を持って自室を出た。ペタペタとホテルのスリッパで絨毯張りの廊下を歩き、隣の部屋をノックする。
 しばしの沈黙の後、ジト、と目を細めた七海がドアを開けた。

「ほんとに来たんですか」
「……いいって言った」
「まぁ、了承はしましたけど……」

 七海はそう口籠るけれど、廊下での立ち話は良くないと判断したのか、備え付けのパジャマのままでその場に突っ立っている私を一瞥し、すぐに部屋の中へ招き入れた。

「取り敢えず入ってください」
「お邪魔します」

 部屋の間取りは私の部屋と変わらない。よくあるビジネスホテルの一室で、最小限の広さと設備だ。
 徐に冷蔵庫からペットボトルを取り出した七海は、私と違い上下スウェットを着ている。寮で遭遇する時と同じ姿に気づき、あ、と声を漏らした。

「わざわざ部屋着持ってきたんだ」
「サイズが合わないので。丈が足りない」
「七海、スタイルいいもんね。脚が長くて羨ましい」

 ロングシャツタイプのパジャマのため、私は膝下までしっかり丈があるけれど、七海が着たら確実に膝上丈なのでミニスカワンピース状態になってしまう。
 確かにそれでは格好がつかないなと思う反面、七海のミニスカ姿も面白いなと胸の中で笑いを噛み殺した。

「そういう問題じゃないと思いますけど。男女どちらが着てもいいように作られているせいか、単純にサイズが中途半端なんですよ」
「確かに、私も袖が余ってる」

 邪魔だと思い、枕を小脇に抱えながら袖を折る。すると七海は音を立てて持っていたペットボトルを机の上に置いた。苛立ちを隠せない声音で「そこじゃなくて」と言い放ち、私へ手を伸ばした。

「先にここを気にするべきでは?」

 とん、と襟元に指先が触れた。
 私は襟周りがぶかぶかのせいで、全てを隠しきれていない胸元に視線を落とし、ようやく七海が何を言いたかったのか察する。

「あ……うん、そうだね。その通り」

 気まずい思いでそう言うけれど、隠す術がない。
 どうしようかと慌てて考える私をよそに、七海の指は襟をなぞりながら下に降りていく。それに焦りながら、私はえ、あ、と意味を持たない声を上げた。
 彼の指の動きに目が離せない。すぐ下にある心臓が大きく脈打っている。息をするのも忘れて固唾を飲むと、指はくるりと襟の裏に回った。

「ここにボタンがあるの気づきませんでした?」
「あ……」

 襟を裏返すとボタンが付いていた。反対側の襟にはボタンホールがあり、首元までしっかり閉められるような作りになっている。
 七海は威圧するようにジロリと私を見て、隠されていたボタンを留めていく。

「もう少し気にしてください」
「はい……すみませんでした」

 高ぶる心音の余韻を感じながら、心底反省して謝罪する。七海は「よろしい」と一言言い放ち、固い態度を解いた。

「枕持ってきたんですか」

 きっちりと施されたベッドメイクを使いやすいように崩しながら問う七海に、私はうんと頷き抱えていた枕を手渡した。二つ並んだ枕に、以前硝子さんと歌姫さんと一緒に布団を並べて夜通し話し倒したことをことを思い出す。

「なんだかお泊まり会みたいだね」
「……こちらの気も知らないで呑気ですね」

 ただただ微笑ましく思っていただけに、七海の刺々しい言葉が刺さった。

「ベッド狭くしてごめん……」
「別にそういうことじゃないんですが。……まぁいいです。もう寝ましょう。明日も早い」

 七海はセミダブルのベッドのシーツを剥ぎ、体を滑り込ませた。

「電気、消してください」
「あ、うん。おやすみ、七海」
「……おやすみなさい」

 七海の後を追うようにベッドに入る。起床時間にアラームをセットして、頭上のスイッチをいくつかいじるとようやく部屋が真っ暗になった。
 枕に頭を預け、天井を見上げる。隣の七海はかなり端に寄ってくれているようで、ギリギリ身体が触れ合わない距離を保っていた。
 私は静かに目を閉じる。視覚が封じられたせいか意識が聴覚に移った。眠気はなかなかやって来ず、空調の音が静かに響く室内で微かに聞こえる七海の息の音。寝息というには浅い呼吸に、私はこちらに背を向けている七海にそっと声をかけた。

「……七海、起きてる?」
「寝てます」
「ふふ、起きてた」

 寝ている人間は、まず寝てますなんて宣言はしない。即答した彼に私はおかしくなり小さく笑った。

「話したくなかったら律儀に返事しなくていいのに」
「そうだとしても、声をかけてきたからには何か話したいことがあるんでしょう。無視するのも寝覚めが悪い」

 そう言う七海に、私は何か話したいことがあっただろうか、と首を捻った。

「話したいこと……ないかも」
「は?」

 拍子抜けしたのか、少々間抜けな声を上げた七海がこちらに顔を向けた。
 暗闇の中で視線が交わる。目が慣れたのか距離のせいか分からないけれど、案外はっきりと彼の驚いた表情が見えた。

「先に寝ちゃったのか確かめたかっただけ」

 なかなか寝付けない私を置いて行ってしまうような感覚に少し不安になってしまった。
 七海は丸くしていた目を細め、再び苛立ちを露わにした。

「貴女って人は……なんなんだ、本当に。とにかく寝ますよ、寝てください、寝ろ」
「あ、布団……!」

 早口で捲し立てた七海は寝返りを打ち、私の分の掛け布団まで奪っていく。

「七海、ごめん。怒らないで」
「なんで怒っているのか、分からないくせに」

 僅かに残された布団を引っ張り彼の背中に謝ると、恨めしげな声音が返ってくる。私は分からないことに、再びごめんと謝った。
 しぶしぶこちらを向いた七海は少し身体を起こし、独り占めしていた布団を戻して私の肩に掛ける。

「こんなこと、誰にでも簡単にしないでくださいよ」
「しないよ。誰にでもなんて……七海にしか頼めないのに」

 降り注ぐ真剣な眼差しに、私は弱々しく口を開いた。
 私は一番に七海へ信頼を置いている。それに灰原の死は関係ない。私に寄り添い叱ってくれる誠実さがそうさせている。
 ポツリポツリとそう打ち明ければ、七海は納得したのか諦めたのか、自身の頭を枕に預けた。

「喜ぶべきか悲しむべきか分からないですね……幻滅されないよう、頑張らなくては」
「幻滅されるとすれば私のほうじゃ……?」
「そうとも限らない。何があるか分からないんですから」
「そうかな……? う〜ん、そうかも……?」

 七海が言うと変に説得力がある。私は曖昧に頷きながら、もぞりと身体を捩る。
 足先が七海の素足に触れた。引っ込めるのもあからさまで、戸惑いに視線を彷徨わせると同じように戸惑う七海と目が合った。
 するり、と七海の足が私の脚の間に割り込む。目を逸らさずに温もりを求め合うように絡め合う行為は、苦しいほどに刹那的であり、何故だか安心感があった。

「おやすみ」
「おやすみなさい」

 私は促されるまま、七海の胸元に顔を埋めた。温かさと彼の脈動を感じる。
 それまで狭かったベッドが、触れ合った分だけ広く感じた。





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永遠に白線