「貴女ほどではありませんよ。いくらなんでも自己肯定感が低すぎる」
「うーん……やっぱり、自分自身で生まれるべきじゃなかったって思ってるからかな」

 あはは、と乾いた笑いを交えながらそう告げると、彼が細めた眼差しで「何故か」を問いかけられた気がした。

「自分の生まれた意味って分かる?」
「……いいえ」
「私は五条悟という人間が誕生したから生まれたの」

 薄暗くなり始めた視界の中で彼の瞳が揺れた。口を噤んだ彼に、嫌と言うほど思い知らされてきた私という生命の意味を、価値を、打ち明ける。
 こんな話をされても気持ち悪いと思われるだけだ。話しているこちらも胸糞悪くなってくる。身じろぎ一つさえせずに私の話に耳を傾ける彼に、引かれてしまうことは仕方がないと諦めて全て白状した。

「家の醜い考えが嫌いだけど、それによって生まれた自分はもっと嫌い」
「……周りの人はそうは思ってませんよ」
「そうかな。……確かに、灰原も硝子さんも夏油さんも優しいもんね」

 きっと善人である彼らは私のことを可哀想だと憐んでくれるんだろう。しかし、それは私の本意ではない。別に私は同情を買いたいわけではないのだ。それをしたければ、すでに皆に過去を打ち明けているはずだ。
 願わくば、善人である皆と対等でありたい。この高専生活に身を置いている今だけは彼らと同じでありたかった。叶わない望みだとしてもぼんやりとそんな幻想を抱いてしまっていた。
 視線をつま先に落とした私に七海はボソリと呟いた。

「私は、どう見えてるんです」
「七海も優しいよ。私のこと知りたいって言ってくれた」

 それは間違いなく彼の優しさだ。私は「ありがとう」と礼を述べると、彼の表情がみるみるうちに険しくなっていく。

「優しくなんかない」

 彼から放たれた強い否定をどう受け止めて良いか、私にはどうしても分からなかった。

「ごめん、その、褒めたつもりだったんだけど……」
「今、私が何を考えているか知ったら、そんなこと言えませんよ」
「え、ええ……?」

 怒らせてしまったのだろうか、と不安になりながら弁解するも、それすら受け付けない七海にさらに困惑を隠せなかった。

「皐月さん」
「は、はい」

 ……そういえば、七海に名前を呼ばれる機会はなかなか無いかもしれない。
 突然改まって呼びかけられた私はドギマギしながら背筋を伸ばした。彼はそんな私に強張った表情を解き、悩ましげに目を細めた。

「それでは褒めたことにならないんですよ。貴女にとっての優しさが、私の思う通りなら尚更」

 やはり、私は七海のことが分からない。否定された意味が何を指すのか、理解できなかった。
 ……もしかしたら七海も同じなのだろうか。私たちは互いを何も知らないから、彼は先ほど私のことを知りたいと言ったのだろうか。

「……この先は同情だと思われたら悔しいので言いません」
「七海……」
「早く灰原を探しに行った方がいいです。きっともう別の場所に移動してしまったでしょうが」

 背を向けた七海に呼びかけても振り返ることはなかった。茂みを踏み分けて去っていく彼の背中は、怒っているわけでも憐んでいるわけでもなかった。ただただ葛藤がその肩に乗っている。
 悩みの種をまいたのは私だ。あのまま隠し通すのは彼に不誠実だと思ったから打ち明けたけれど、やはり人を不幸にしかできないのなら私はもう口を閉ざした方が良いのかもしれない。
 立ち尽くす私の足元にはもう寄り添ってくれる影はいない。光が眠りについてしまったのと同時に闇に溶けてしまった。日が落ちたことに全く気づかなかった私は、七海の言う通り灰原を探しに、寂しい足元で雑草を踏みつけるようにして歩き出した。



   ◇◇◇



「悟、暇なんてないんじゃなかったのかい?」

 夏油は心底可笑しそうにその大きな肩を震わせていた。親友の言っていることとやっていることの矛盾を指摘するも、相手はそう簡単に納得するような性根の持ち主でないことくらいはお見通しだった。

「暇じゃねぇよ。不審者だったらとっ捕まえようと思っただけだし」

 やたら楽しそうな夏油に対し、不機嫌に口を尖らせた五条は、カラスが止まり木にしていた枝の上でしゃがみ込み頬杖を付いた。
 皐月が彼らに気付くくらいなのだ、彼らが彼女たちに気付かないわけがなかった。通り過ぎたと見せかけて、五条と夏油は気配を消して挙動不審な後輩たちの様子を伺い、先程の会話の一部始終を木の上から盗み聞いていた。
 五条は「あんなので隠れたつもりってガキの隠れんぼかよ」と悪態をつく。

「初々しくて可愛らしいじゃないか。持ってる術式ものも磨けば光る。育てがいがあるだろう?」

 五条は初めて皐月たちと任務に就いた時のことを思い返した。
 あれは使いようによっては間違いなく上へ登り詰められる才能を持っている。それにもかかわらず祓えない≠ニ初めから自らの可能性を否定し、強くなろうとする気概すら見せず諦めている。それが何より理解不能で腹立たしかった。
 五条自身、熱血という訳ではないけれど、持ち得たものを、先を考え続ける思考を、いとも簡単に放棄している彼女を愚かしいと思った。強くなければ生き残れない、そしてただ強くても確実に生き残れるとは言えないこの世界で、自ら停滞を望んでいるように思える彼女の存在が未知なるものでしかなかったし、死に物狂いで己を磨く場所に身を置いているのならば尚更異質だった。彼女の生い立ちがどうであれそれは変わらない事実である。

「そもそもやる気のない奴は育てようにも伸びないだろ」
「面倒見るのは御免って言ってたのは誰だったかな」
「俺が育てるとは言ってないけど」
「へぇ?」

 地面へ飛び降りた五条を追って夏油も足場の枝を蹴る。

「まぁ、訳ありだとは思ってたけどなかなか難儀だね」

 夏油は「薄々察してたんだろう?」と五条に問いかけた。

「あんな奴、腐るほどいる」
「けれど彼女は彼女だ。尊重されるべき一人の人間だよ」

 幼い頃から五条悟≠ノ気に入られようと差し向けられた少女はいくらでもいた。彼からしたら皐月もそのうちの一人だった。彼女自身に背負わされた事情は気の毒だと思わなくはないが、それより己の身に降り掛かる面倒事が増えるのは勘弁して欲しいと厄介がる気持ちの方が強かった。多かれ少なかれこの呪術界という腐敗した世界に生まれ落ちた限り、皆何かしら仄暗いものを背負っているものだ。彼女が自分だけが酷い目に遭っていると思い込んでいるのか、もはや周囲に目を向ける心の余裕すらないのかは定かではないけれど、どうにかして自分の感情と折り合いをつけなければ彼女は確実に潰れる人間だった。
 それは夏油に言われなくても理解しているし、夏油も五条が分かっていないからわざわざ言葉にしたわけではない。音としてこの世に放つことで生まれる意味もある。

「だから何なんだよ。俺には関係ない」
悟には・・・、そうだろうね」

 やけに彼女の肩を持つ夏油に訝しげに眉を寄せ「面倒くさ」と言い放った五条。己が地雷となり得る人間にわざわざ近づきたいとも思わない。それならば、彼女の望み通り嫌ってやろうじゃないか。
 ──これってある意味人助けだろ。俺、優しーじゃん。
 それがお互いに一番幸せになれる道だ。そう五条は己の考えに名案だと心の中で手を打ったのだった。





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永遠に白線