「すまないね。今回ばかりは外せないんだ」
玄関に立った夏油様は黒いスーツケースを片手に振り返った。荷物がそこまで多くはないのは、現地で調達するためなのか。はたまた双子達へのお土産を入れて帰ってくるためなのか。恐らくどちらもなのだろう。そう思いながらも、今は足元でぐずっている少女達の背をそっと彼の元に押し出す。
「いえ、わたしは大丈夫です。それより、二人の方が寂しいと思います」
菜々子ちゃんと美々子ちゃんは泣きはらした顔で夏油様に縋り付く。
「夏油さま、いつ帰ってくる?」
「遅くても二週間したら帰ってくるよ」
「え〜長いぃ〜」
「お土産買ってくるからね。いい子にしてるんだよ」
この会話を聞いたのは何度目だろうか。両手で数えきれなくなった頃から数えるのをやめてしまった。
夏油様は双子をあやしながら「アフリカって何が有名なんだろうね」とぼやくように呟いた。詳細は知らないけれど、とある人に会いに海外出張に向かわなければならないらしい。どうやらいろんな場所を転々としている人のようで、彼はなかなか捕まらない、と零していた。急に日本を発つことが決まったのもこのタイミングを逃すわけにはいかないのだろう。
彼は「二人こと、よろしく頼むよ」と言いながらも不安げな顔で頭を抱えた。
「病み上がりの君に頼むのは気が引けるな。本当に間が悪い……」
「体調も回復してますし、気にしないでください」
全快とは言い難いけれど、一ヶ月の時間を要して体調は大分良くなった。彼が言うには、記憶というのはたった一言で言い表わせるけれど、五感やそれに伴った感情など膨大な量の情報なのだ。それがこれまで蓄積していた数年分の量となると、脳が処理するにもそれなりの時間とエネルギーが必要らしく、「平気に思えるかもしれないが大人しくしていてくれ」と彼に念を押され、ここ最近はほぼ家の中で過ごしていた。
彼を見送りに出ると、外はすっかり冬の気配に包まれていた。もう十二月か、と早いような遅いような不思議な気分に陥る。吐いた白い息を目で追っていると、彼は渋い表情でわたしに声をかけた。
「小まめに連絡するようにするからね。まずは空港に着いた時と、現地に着いた時には連絡する。それから、一日二回朝晩必ず──」
連絡の頻度について真剣に語る彼に、真面目な性格だとは思っていたけれど、案外心配性なんだなと感じながら相槌を打つ。彼も幼い双子をわたし一人に任せるのは不安なのだろう。もっと信用されるように努力しなければ、と胸の内で己を叱責する。
未だ彼から離れたがらない双子達に向かって「二人ともよかったね、夏油様いっぱい連絡くれるって」と励ますように声をかければ、彼は苦い顔で釘を刺した。
「
「は、はい。もちろんです」
そう曖昧に頷けば「何だか自分が情けなくなってくるよ」と彼はため息を吐いた。それが白く色づくのを見つめながら、わたしにできることは謝ることしかない。しかし、彼はゆるゆると首を横に振り「断じて君のせいじゃない」と余計に頭を抱えてしまった。
そうやって互いに困り果てていると、迎えの車がやってくる。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
三人で彼に手を振って車が遠のいていくのを見送る。
帰国の時期について、彼は遅くて二週間と言った。仕事が早く片付けばもっと早く帰ってこれるということだろう。ならば、わたし達にできるのは仕事の成功を祈ることしかない。その間、何事もなく過ごさなければ、とわたしは双子の手を引いてまだ彼の温もりが残る家の中へ入った。
夏油様のいない日々は、想像していたよりずっと早く過ぎ去っていく。昼間は双子の勉強を見ながら家事を済ませ、三人で食事の準備し、お風呂に入り、寝る。その中に彼がいないだけで、この家に来てからの生活とあまり変わらない。彼からの連絡は別れ際告げられたように頻繁にやってくる。これまで必要以上の連絡は取っていなかったせいか新鮮に感じられた。
時折彼から異国の風景が送られてくるので、それを三人で眺めながらカレンダーに×をつけていく。「わたし達も写真を送りたい」という双子の要望に何枚か写真を撮るも、わたしのセンスがないせいか二人に思い切りダメ出しをされた。「こういうのは照明と角度が大事なの!」と豪語する菜々子ちゃんが自撮りをはじめ、それに美々子ちゃんと巻き込まれる形で撮影会に参加させられたのは一昨日の話だ。
こたつの中で眠ってしまった双子達をいつ起こそうか、悩んでいると家のインターホンが鳴った。来訪者に思い当たる節がない。もし、知らない人だったら居留守を決め込もうと、少し緊張しながらインターホンの画面を覗き込む。すると、そこには予想外にも見知った顔があった。わたしは慌てて玄関に向かい戸を開ける。
「孔さん……?」
「ああ、アンタか」
先日顔を合わせた時と同じスーツと煙草の香りを身に纏った彼に「夏油様は今いませんけど……」と眉を下げた。
「知ってるよ。夏油の奴からアンタ達の様子を見に行くように頼まれてな」
「そうだったんですね……」
念には念を入れて彼にお願いしたのだろう。居た堪れない思いで肩を竦ませる。
そんなわたしに気づいているのかいないのか、彼はチラリと部屋の奥へ視線を移し「変わりはないか?」と問う。
「はい、大丈夫です。二人は今お昼寝中ですけど」
「ならいい」
そう呟いた彼は、何かを思い出したようにふと視線を戻した。手荷物の中から紙袋を差し出される。
「チビ達と食べろ」
「わ、ありがとうございます!」
有名な洋菓子店の袋に気分が舞い上がる。先日お昼の情報番組でやっていたデパ地下スイーツ特集に出ていたな、なんてのんきに袋の隙間から中を覗き込む。
きっと二人も喜ぶ、と彼にお礼を言おうと顔を上げた。すると、彼は予想外にもわたしの顔を凝視していたので、驚いて首を傾げた。
「どうかしました?」
「いや、思ったより元気そうだと思ってよ」
バツが悪そうに後頭部を掻いた彼に、わたしは何のことを指しているか察し「ああ……」と呻きながら頷いた。
「孔さんもいろいろ動いてくれていたって夏油様から聞きました」
夏油様には過去に空っぽのわたしを見られている。きっとその時の印象が強いのだろう。これ以上わたしが苦しまないように、辛い記憶が戻らないように、と水面下で立ち回ってくれていた。その中で孔さんにも協力を仰いでいたらしい。わたしが本部で孔さんに会ったことも、夏油様が所持していた資料にわたしの名前が書かれていたことも、それをわたしに見られて夏油様が焦ったことも、今考えれば全て納得できた。
「本当にありがとうございました」
「まあ、依頼だからな」
金で動いていると言いたげな彼に、ふと笑みが漏れる。
「それでもです。夏油様や孔さんのおかげで、ちゃんと過去に向き合えている。感謝してもしきれないです」
過去だけじゃない、それまで見えていなかった現実をも直視することができた。こんなことで満足してしている場合ではないのだが、満ち足りた思いなのには変わりなかった。
「思い出したことに後悔はないっつーことか」
わたしは迷うことなく首を縦に振る。それを見た彼は「それなら夏油の努力も報われるだろうよ」と言った。
そして、その見守るような優しい瞳から一転、彼は一瞬の沈黙を味方につけ、厳しい顔つきに変わった。
「──タカツキ≠チて言ったか」
「え……?」
思いもよらぬ名前が飛び出したせいで思わず硬直してしまう。そんなわたしなど、彼は気に止めることなくその先を言い継いだ。
「別件の仕事でその呪詛師の名前を聞いた。アンタには直接関係はないが、最近呪詛師界隈でも名前が挙がることが多い。……恐らく夏油は伏せてるだろうが念のため伝えておく」
「ありがとうございます。……でも、なんで」
「アンタはきっと知っていた方がいい。……そう思ってな」
それはまるで、強い人間になりたいと、意志を固くしていたことを見透かされているかのようだった。
「何かあったら夏油に連絡しろよ」
それだけ告げて、彼は去ろうと背を向けた。わたしは彼へもう一度礼を言い頭を下げると、彼は「ああ、そうだ」と何かを思い出したように足を止めて振り返った。
「明日、空いてるか?」