「お〜い」
「どうも」

 真っ直ぐ伸びる石畳の両脇に石灯籠が連なる道の先。鳥居の向こう側から手を振り、大きな歩幅でやってくる五条悟に目礼で返す。

「悪いねぇ、わざわざ来てもらって」

 彼は悪びれなく大げさな身振りで、わたしの背中を馴れ馴れしく数度叩いた。その勢いについ前のめりになる。本当はそんなこと思っていないだろう、と突っ込みたくなるのを抑え、わたしは「いえ」と呟いた。

「あの、なんでわたしに連絡したんですか? ……正直、貴方から本当に連絡が来るとは思いませんでした」
「うーん、まぁ本当のところは身柄を押さえた呪詛師と、その被害者を会わせるなんてしないんだけどさ。君の先生、なーんにも吐かないわけ。別にそのまま殺してもいいんだけどさ、君を呼べば全て話すって言うもんだから、君には協力してもらうほかないでしょ」
「先生が、わたしを……?」
「そ、君に会いたいんだってさ」

 その言葉に目を丸くする。
 先生は一体何を考えているのだろうか。今さらわたしを呼び寄せて、何を話すのだろう。謝罪か、あるいは罵倒か、考えつくものはそれくらいだったけれど、もともと寡黙な彼がこの期に及んでわざわざそんなことをするだろうか、と困惑する思いがつい表情に出てしまう。

「……どうして、なんでしょう」
「さあ? 君の口から聞きなよ。それに、他にも聞きたいことがあるから、君も僕の誘いに乗ってここまで来たんでしょ?」
「聞きたいこと……」

 言い淀んだ末に言葉を探すけれど、見つからない。いざ先生を前に何を問うのか、ただ会えば何かが変わると思っていたわたしは、思考を放棄していただけだと思い知った。

「ま、安心しなよ。術式を使えないようにしてあるし、何かあっても僕がいるし」

 考え耽っていた様子を見て、五条悟はわたしが先生と直接会うこと自体に不安を感じている思ったのだろうか。彼は「僕、最強だから」と自信に満ち溢れた口調で言い継いだ。
 そういえば、とわたしは彼と夏油様が親友だったことを思い出し、この呪術高専で彼とどのように過ごしたのか聞いてみたいと思った。彼から見える夏油様を知りたかった。きっとわたしとは違うものが見えている。そんな気がして、到底できるはずもないことを思い描いては胸の内に仕舞った。
 たどり着いた寺のような建物の中に入り、地下に続く階段を降りていく。先生によって閉じ込められた結界の中でも、同じように地下へ階段で降りていったなと薄暗い記憶を想起した。
 やがて通されたのは、よくドラマなどで見る刑務所の面会室のような場所だった。ガラス張りの向こう側に人が一人座っている。ただ、普通の刑務所とは違う点を挙げるのなら、壁一面にお札のような禍々しい紙切れが貼り付けられているところだろうか。奇妙な緊張感に包まれたその空間に圧倒されていると、ガラスを隔てた向こう側で拘束されている男がゆっくりと顔を上げた。
 カチリ、視線が交わる。昔と変わらず薄く目にかかった前髪の奥で、陰鬱な瞳がわたしを映している。
 先生は笑った。薄く、微かに、唇の端を上げた。それに対して、わたしはどんな顔をして良いか分からず、傍に佇む五条悟を見上げた。

「君はここで待ってて。僕は先にあの男と話すことがある」

 彼はそう言って部屋を出て行き、先生のいる透明な壁の向こう側へ入って行った。
 ガラス張りではあるものの、こちらとあちらでは音が遮断されているのか、彼らの会話は一切聞こえなかった。何を話しているのだろうかと、分かるわけもないのに彼らの唇の動きを見つめていると、わたしがいる部屋のドアが開いた。コツ、と靴音を響かせながら入って来たのは、白衣を纏った家入さんだった。

「……家入さん」

 そう声を掛けるも、彼女は何も言わずに私の隣に肩を並べた。
 頭上の蛍光灯がジジ、と音を立て点滅した。音が閉鎖された無機質な空間で、わたしは静かに前だけを見つめていた。

「思い出したんだってな」

 やがて口を開いた彼女に、わたしは小さく「はい」頷いた。すると、彼女は微かに眉根を寄せた。

「……私のせいだな」
「何がですか?」
「私が声をかけたせいで記憶が戻った」

 それまでこちらに視線を向けなかった彼女が「そうだろ?」と眼差しで訴える。わたしはそんなことない、と咄嗟に首を横に振った。しかし、確かに彼女と再会したことも記憶がないことに対して、疑問を持った一つの要因であるのは間違いなかった。思い直したわたしは肩を竦める。

「……きっかけは、たくさんあったんです。家入さんと会えたことはその中の一つに過ぎなくて、きっとあのまま過ごしていたとしても、わたしは思い出していたと思いますし、むしろあの時、家入さんに声をかけてもらえてよかった」

 わたしは彼女の方へ向き直り「ありがとうございます」と頭を下げる。

「以前助けてもらったことへのお礼をちゃんと言っておきたくて」

 目を丸めた彼女へ、言い訳をするようにそう告げる。彼女はふと柔らかい息を吐いた。微笑を浮かべ、そのままわたしの肩を励ますように軽く叩き、再び前を見据えた。

「……アイツにも言えればよかったな」
「アイツ?」
「そう。あのクズじゃなくて、もう一人のクズの方」

 ガラスの向こう側にいる五条悟を顎でしゃくった彼女は、遠い目で記憶を呼び起こしているようだった。
 話の流れからして彼女の言うアイツ≠ニは夏油様のことだろう。クズ呼ばわりされていることが少々気になるが、わたしから夏油様の名前を出すことはできず、理由を尋ねることもできない。
 わたしは彼女の視線をたどり、五条悟見つめた。彼らは夏油様とどんな学生時代を過ごしたんだろう。もしわたしが呪術師として高専に通っていたら、彼らと学生生活を共にできたのだろうか。羨む気持ちよりも、わたしの人生に一ミリでもそんな選択があった可能性に何だか嬉しくなった。
 わたしの視線に気づいた彼と目が合う。彼は手招きでわたしを呼び寄せる。「行ってこい」と言う彼女の言葉に背を押され、一度部屋を出て隣の部屋の扉を押し開けた。ガラス越しに見ていたより、ずっと禍々しい雰囲気に息を呑む。

「──人間とは、まったく魅惑的な被造物である=v

 数年ぶりに聞いた先生の声に心臓が跳ね、肩を震わせた。拘束されて身動きが取れない彼は、顔だけをそっと上げてわたしを見上げた。

「そして、恥辱や弱さをプライドや信仰に転化する、打ちひしがれた魂の錬金術ほど魅惑的なものはない=v

 彼は聞き覚えのある哲学者の言葉を空で述べた。何故彼がこの言葉を放ったのかは分からないけれど、彼はわたしの全てを見透かしていた。
 狼狽えるわたしに、彼は追い討ちをかけるように問いかける。

「──君はどうでしたか?」

 先生のもとから解き放たれたこの数年、わたしは彼の手によって人間としての底辺まで突き落とされた。今、こうしてなんとか人として立ち直ることができたのは、夏油様がわたしを再び見つけ出し、手を引いて導いてくれているお陰だった。
 結局は他力本願でしかなかったのだ。自力で立ち上がって歩き出すことができなかったわたしは、その弱さを信仰に転化させた。まさに、彼が述べた通りだった。
 彼の予想通りの人生を歩んでいるわたしは、観念して項垂れた。

「……それならわたしの魂は、きっと一等魅惑的ですね」
「そうですか……傍で見守ることができなくて残念です」

 クスリ、と己の置かれている状況とは裏腹に、彼は上品に笑った。その様子に、自然と喉の奥が締まり呼吸が阻まれる。動揺を隠すことができず、拳を握り合わせ、唇を噛んだわたしに、それまで静かに見守っていた五条悟が近くに寄ってくる。そして、楽しげに口角を上げては、耳元で「聞きたいことは思いついた?」と囁いた。
 ただけしかけるようでいて、鼓舞されているのだと思えたからだろうか。不思議と嫌な気はしなかった。
 わたしは再び先生へ視線を戻す。彼は変わらぬ様子で「お久しぶりです。元気そうですね」と改めて挨拶を口にした。

「あの時は、まさか僕も呪術師が介入してくるとは思いませんでしたから、泣く泣く貴女を手放すことになってしまいましたが、また会えてよかった」

 つらつらと述べる彼の言葉に嘘はなかった。しかし、それが本心であるが故に、ますます彼のことが分からなかった。
 わたしが「先生」と呼び掛ければ、彼は「はい、なんでしょう」と凶悪な呪詛師とは思えないほど善良な教師の顔で続きの言葉を待ち構えていた。

「……教えてください。一体、貴方は何がしたかったんですか」

 何が彼をそんなに駆り立てているのか、わたしには理解できないどころか、何も知りはしないのだ。
 彼はわたしの問いを驚くどころか、あたかも予想がついていたように数度小さく頷くと、ゆっくりと語り始めた。

「貴女も知っている通り、僕はこれまでたくさん悪いことをしてきました。善悪の区別もつかない頃から、貴女のように無知を利用され、悪を搾取されてきました」

 淡々と言葉を並べていく彼に、わたしは驚きで目を丸くした。彼の過去を初めて聞いたこともそうだが、まさか彼もわたしと同じ境遇だったなんて。だったら尚更、己と同じ苦しみを与える側になる理由が分からない。
 困惑で眉根に力が入る。彼はわたし達にまるで授業でも行うように問いかけた。

「善く生きる≠ニは魂を傷つけず、魂をより善いものにすることです。では、何をしたら魂は傷つくと思いますか?」

 唐突なその質問に、わたしと五条さんは顔を見合わせた。「そりゃ悪く生きることでしょ」と即答する彼に、確かにと納得する。先生はその答えに満足そうに微笑んだ。

「必死に善を……人間としての善さ≠学んだ時には、もう僕の魂は傷だらけでした。僕と同じように打ちひしがれた魂は足掻き、決して善の道には戻れない。僕は絶望する中で、その弱さこそ人間の特権で本質だと思いました」

 記憶を掘り起こすように宙を見上げた彼は、すっと視線を戻して「弱さに魅了された僕にとって、貴女たちは希望だった」と言った。

「それが、わたし達を限界まで追い詰めた理由ですか」
「はい、それが全てですよ。……予想していた答えとは違いましたか?」

 彼の行ってきた悪事の動機は、到底理解を得られるものではない。だからこそ、彼は孤独になってしまったのかもしれない。
 そう思いながら、わたしは戸惑いがちに頷いた。けれど、すぐに「でも」と口にする。その先に続く言葉があることを示唆したわたしは、緊張を逃すように深く息を吐いた。

「……先生はそうすることでしか生きられなかったんですね」
「ふふ、優しいですね。そうだとしても、僕は悪だった。……だからといってはなんですが、貴女はどうか、善く生きてくださいね」

 ただ、悲しい人だと思った。彼は己の悪に気づき、反省し改めようと誓い、善く生きたいと思った時には、もう元に戻ることはできなくて、その弱さを肯定することでしか自分を保てなかった。
 人は誰しも悪ではあれど、完全な悪など存在しないのかもしれない。明確な善悪の線引きがないから、人は惑わされる。そんな不安定な弱さに、彼は狂わされ、救われたのかと思えば、わたしは彼を責めることはできなかった。
 わたしだって善く生きるだなんて、今更できるわけがない。ただ口籠るしかないわたしに、彼は「さて」と話題を切り替えた。

「僕は先ほど、裏で糸を引いている呪詛師、その他諸々の非術師の情報を、全てそこの彼に伝えました。用無しになったので、すぐにでも処刑されるはずです」

 その言葉を受けて、わたしは「そうなんですか?」と五条さんに眼差しで問いかけると、彼は「生かしておく理由がないからね」と戯けたように頭の後ろで手を組んだ。

「貴女をここに呼んだのは最後に顔を見たかったからだけではなく、もう一つ理由があります」
「もう一つ?」
「はい。実はこちらが本題です」
「は? 僕、聞いてないけど」
「ええ、言ってませんから」

 凄む五条さんに怯むことなく、静かにそして楽しげに笑みを浮かべた先生は小さく頷いた。

「悪を裁くという善いことをすれば、貴女は善く生きることができる」

 何となく嫌な予感がした。自分の創り上げた思想に支配されている彼が、一度思い込んでしまったら取り返しのつかないところまで堕ちてしまうことを、身をもって体験しているわたしは既視感を覚える。
 彼の思想を曲げることは、もうどうやったってできない。押し付けられたそれに対して、どう応えればいいのか、わたしの中ではもう結論は出ていた。

「──貴女に殺して欲しいんです」

 重たい一言だった。けれど、どこかでやっぱり、と腑に落ちる自分もいた。だからこそ、善悪に囚われた彼を断ち切る役目をわたしが負うべきなのだと思った。
 自分の死を価値のあるものにしたい。彼の思惑はただそれだけなのだろう。「分かりました」と即答するわたしに、五条さんは驚きの声を上げた。

「え、マジ?」
「駄目ですか?」
「駄目か駄目じゃないかで言えば、確実に駄目なんだけどさ。だってそれ、本来僕の役目だしね」

 五条さんは先生へ向けていた視線をわたしに移すと、まるで新しいおもちゃでも与えられた子供のような満面の笑みを作った。

「でもいいよ! 僕がOKなら大抵どうにでもなるし!」

 了承を得られたのは喜ばしいけれど、その横暴とも思える理屈に「五条さんって偉い人なんですか?」と問えば、彼は「そうかもね」とクツクツと笑った。そして、わたしを部屋の隅に呼び寄せると、ズラリと並べられた拷問具のような武器を楽しげに手に取った。

「それじゃ、何で殺す? 呪具あるけど使う?」
「急に乗り気ですね……」
「いや〜だって面白いから」

 彼は曖昧に「はあ」と首を傾げたわたしへ、いくつかある呪具の中から一番使い勝手が良さそうな刀剣を手渡した。

「ただの復讐劇よりよっぽど面白いよ」

 清々しくも不敵に笑った彼は、先生を一瞥し「あとは君の好きなようにやっちゃって」と年季の入った呪符が一面に貼られた壁に寄りかかった。
 わたしは手の中で異様な存在感を放つ刀の柄を握り、すらりと刀身を露わにする。白波を宿したような刃文が輝くのを目でなぞり、鞘だけ彼に返して刀をそっと握り直した。

「先生。最後に一つ、聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょう」

 柔らかな物腰で頷く先生に、わたしは慎重に口火を切った。

「信仰は、依存は、悪でしょうか」

 わたしにとっては道を選ぶ基準は夏油様で、それが善でも悪でもどちらでも良い。しかし、
 彼はわたしに善≠望んでいる。彼を憂いなく送ってやるには、わたしが善である必要がある。
 先生の持つ善悪の天秤にかけた時、依存で成り立っている私の生き方はどちらに傾くのだろうか。
 彼は穏やかに携えていた笑みを消し、生徒の相談に乗る時と同じ面持ちで真剣な眼差しを向けた。

「仮に、今貴女が何かに縋って生きていたとしましょう。その何かは、貴女にとってなくてはならないものだから、命をかけてでも大切にするでしょう?」

 彼の問いかけに「はい」と確かに頷き返す。それを見て、彼は安堵したように、柔らかく吐いた息に言葉を乗せた。

「……何か大切にする心だけは、善であるはずですよ」
「そうですか……それなら、よかったです」
「僕も、僕を殺すのが貴女でよかった」

 笑いながら首筋を晒す彼に、刀を振るった。鋭利な切っ先が柔らかな肌を斬り裂く寸前、彼は小さな声で「ありがとうございます」と礼を告げる。そしてすぐに血飛沫の水音が、彼の言葉に覆い被さるようにして鼓膜に張り付いた。
 人に刃を向ける抵抗は不思議となかった。何故だろう、と刃先を伝う赤色の雫を見つめながら考えれば、答えは意外と簡単だった。常日頃から人の形に見えているものを祓っている。それで耐性がついたのだと思えば納得がいった。

「いやぁ、顔色一つ変えずにやるとは思わなかったよ。君、大分イカれてるね。呪術師向いてるよ」
「そうですかね……」

 呪術師の彼を前に呪詛師だとは言えず、ぎこちなく視線を流した。行き着いた先には赤黒い血の海が広がっていた。その様子を目に焼き付けていると、部屋の外へ出るように促された。
 確かにいつまでも留まるようなところじゃない。転がった首を一瞥し、暗い地下室を後にした。

「君達の話、僕には全部、ものは言いようだって聴こえたけどね。自分達を正当化するもしないも、自らを納得させられる言葉選びを次第ってことでしょ」
「確かに、そう言われてしまえばそうかもしれません」

 新鮮な外の風に当たっていると、どちらともなく肩を並べて歩き出す。校庭で数人の生徒が体術の訓練をしているのを横目に、わたし達は門の方向へ足を進めた。

「五条さんは、そんな言葉に頼らなくても自分を貫けそうですね」
「んー……まあ、ごちゃごちゃ御託を並べるのが性に合ってないことだけは確かかな」
「すごく、羨ましいです」

 嫌味なく溢れた本音に自嘲する。もし人生をもう一度やり直せたとしても、彼のようにはなれないと思った。それほど、生き方を変えるのは難しい。言い訳するように一つ一つ行動に理由をつけなければ、自分に自信がないわたしはどうやったって動き出せない。

「先生は確かに偏った思想を持っていたと思いますけど、共感はできました」
「共感ねぇ」
「わたしも自分が揺らがないように、何か一つに固執してしまうので」
「それがさっきの依存の話?」
「……そうでもしないと、自分を見失ってしまいそうになるんです」

 爪先に当たった小石が転がり、道を逸れて傍の草むらの中に消えていった。それを見たわたしは、ふと立ち止まる。

「五条さんから見ればおかしいのかもしれません。それでも、わたしはこれ以外に生き方を思いつきません」

 おもむろに足を止め、振り返った彼は深いため息とともに「はぁ〜、極端すぎ」とこめかみを押さえた。

「僕も君と同じように極端にしか考えられない人間を知ってるけど、君、そいつに似てる」

 そう零した彼は、たった一歩でわたしとの距離を極端に詰める。

「全てを理解してはあげられないけど、他人がおかしいと決めつけることなんてできないよ」
「……そんな風に言ってくれる人が近くにいて、その人は心強かったでしょうね」
「言えなかったよ。残念だけどね。それに気づいた時には、もう道を違えた後だった」

 道を違えた≠ニいう言葉にピクリと反応を示す。思わず顔を上げたわたしに、彼は困ったように眉を歪め笑った。

「君は僕の親友みたいにならないようにね」
「親友……?」
「そ、今でも僕の親友で、君の恩人」

 ハッと息を呑んだ。それって、と彼に真実を問う言葉は、唐突に彼が放った鋭い物言いによって打ち消された。

「君、最近術師として訓練か何かしてるでしょ」

 図星を突かれ、途端に心臓が暴れだす。何故、それを彼が知っている? 一体、何を掴まれている? その動揺をひた隠し、どうやって乗り切るか考えるので精一杯だった。
 わたしは不自然にならないように、当たり障りのない問いを返す。
 
「何故ですか……?」
「前会った時より格段に強くなってる。分かるんだよね、そういうの」

 じっと彼を見据えれば、サングラスの奥で青く澄んだ瞳がわたしを見ていた。それを認識するのと同時に、背筋を冷たいものが走る。

「何をしてるかは知らないけど、もし呪詛師としてその力を使っているのなら──」

 言葉の端を溜めた彼は、真っ直ぐ伸ばした人差し指で、トンとわたしの喉元に触れた。

「次会う時は、君を殺さなきゃいけない」

 まるでわたしが先生の首を落とした時のように、彼は指を切っ先に見立て、わたしの首をなぞった。
 彼は本当に全てが分かっているのだ。わたしが、彼の敵に回っていることも、ほぼ確信している。今、トドメを刺されないのは証拠がないからであって、敢えて泳がすことを匂わせ、優位に立っていることを知らしめようとしているのだろう。
 今、わたしの首が繋がっているのは、その気になればいつでも殺せるのだという彼の楽観的でいて絶対的な自信のおかげだった。己の喉元をさする。それを見た彼は、張り詰めていた緊張の糸を緩めた。

「指輪の相手を悲しませたくなかったら、危険なことに首を突っ込まないことだね」
「あ……」

 指輪のことに触れられるとは思わず、小さく声を上げた。わたし自身も付けたままでいたことを忘れていた。何と返して良いか分からず、揺らいだ視線を投げた。そんなわたしに彼は「君達っぽく言うと、そうだな」と少し考えるように唸った後、ふと小さく吐いた息とともに告げた。

「僕の善≠ニ君の善≠ェ一緒であることを祈ってるよ」





   ◇◇◇





 おぼつかない足取りで自宅にたどり着く。ドアを開け、日常の空間に足を踏み入れた。無事に戻ってこれたことが不思議なくらいだった。
 真っ暗な部屋に、わたしは手探りで電気のスイッチを探し当てる。しかし、明かりをつけるのを遮るように、手の甲を大きな手に覆われた。振り返ると暗がりの中で待ち構えていた人影がぬっと覆い被さるように見下ろしてくる。

「遅かったね」

 怒りを滲ませた静かな声音。普段だったら夏油様を怒らせてしまったとひたすら焦って謝罪を口にするだろう。しかし、慌てる気力も削がれていたわたしは、そのまま距離を詰め、項垂れたまま彼の胸に額を擦り付けた。
 明らかに動揺を隠しきれなかった彼の鼓動を感じながら、彼から問われる前に自ら口火を切った。

「人を殺しました」

 頭上から息を呑む音が降ってくる。それを聞きながら「先生……いえ、例の呪詛師です」と手にかけた相手を示すと、彼は背に腕を回し掻き抱くように、力強くも優しく包み込んだ。

「呪いは、解けたかい?」
「……どうでしょう」

 耳元で囁かれた問いかけに、ゆるゆると首を振り声を落とした。

「ただ、呪霊も人も殺せば一緒だな、と」
「……難儀だな」

 苦々しいものを舌の上で転がすように声を震わせた彼に「確かに」と自嘲気味に相槌を打てば、「笑い事じゃないよ」と叱られてしまう。
 わたしは彼の胸板をそっと押し、密着していた身体を離した。

「それでも。例え生きにくくても、貴方の傍でなら生きたいと、そう思います」
「そうじゃないと私も困るよ」

 彼はため息とともに「帰って来ないんじゃないかと気が気じゃなかった」と弱々しく呟いた。彼らしくない様子に、わたしにできることといえば、やはり謝罪だけだった。

「その……黙って行って、ごめんなさい」

 首をもたげ、月明かりを頼りに彼の瞳を見つめた。揺れた視線を落とした彼は、呆れ混じりのため息を吐き、肩に入った力を抜いた。

「君を信じているけれど、待つのがこんなに辛いとはね。正直、試されているのかと思ったよ」
「いえ、そんなつもりは全く……」

 嫌味混じりな言い草にしどろもどろになりながら言い訳を口にするも、彼は騙されないとばかりに釘を刺した。

「次、同じようなことがあれば、問答無用で探しにいくからね。お願いだから、そうならないようにしてくれ」
「アハハ……大丈夫ですよ」

 流石に今日以上のことはこれから先起きないだろう。そう思いながら、彼の懇願のような言葉に笑って返す。それが真剣に捉えていないと思われたのか、彼はムッと唇を結んだ。わたしは誤解だと訴えるように彼の手を取る。

「約束です」

 そう言って小指を絡めれば、固かった彼の表情が和らいだ。その様子にわたしもまた愁眉を開くのだった。





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永遠に白線