もし「神は本当にいると思うか」と問われたら、わたしはきっと「いいえ」と答えるだろう。
教祖と言えど、
この国で神は絶対だ≠セと揺るがぬ意志を持っている人間など一握りだろう。神という漠然とした存在を認知しながら、特に熱心に信仰することもなく、日常生活の中で都合の良い時だけ、ふと思い出したように拝んでみるような人間が大半である。
それは、八百万の神が宿るとされているこの国で生きてきたわたしたちの先祖の代から、日常に散りばめられたアニミズム思想が根付きすぎたせいなのだろうか。正解は定かではないけれど、わたしは間違いなく一握りから零れ落ちたその他大勢の一人だった。
どちらが悪だという話ではない。わたしには、理性が、思想がある人間≠ニいう生き物だからこそ生まれる哲学を、否定する気にはなれなかった。きっとどちらも正しいわけではないのだろうけど、そこまで追求するほどわたしの頭の出来は良くなかったし、興味もなかった。
ただ、子供がサンタクロースを信じるような小さな夢と希望を、神と呼んだだけだった。信じる方が少しでも生きやすくなるならば、そちらの方が良い、と。今、わたしが見出した夢と希望を持ち合わせていたのは、夏油傑という人間だった。だから、わたしは彼を都合よく神と呼び、信じる道を選んだのだった。
わたし達は、まだ照明が点かない舞台の袖から顔をそっと覗かせた。
本部の施設の中にある講堂。施設の外観もさながら、内装も立派なそこへ着々と集まる
「今入ってきたのは?」
「えっと……人?」
「うん、正解だ。……じゃあ、その人の隣に座っているのは?」
「人、ですかね」
「残念、あれは呪霊だ」
わたしの目には老婆に見えている呪霊を、再び食い入るように見つめては、うぅと小さくうめいた。
「何度見ても人に見える……」
「まだ呪霊の認知は難しいようだね」
「はい……」
自分の見えているものが、他人と違うと知ったあの日から、わたしは呪霊と人間を見分けられるように稽古をつけてもらっていた。区別さえつけば、呪霊を見えていないフリもできる。つまりは、
世間に溶け込むためには、ひたすら目で見えないもの、呪い≠見極める訓練をすることが一番の近道だった。
わたしは舞台袖から顔を引っ込めて、薄暗いその場所で重たいため息をついた。
「先に自分の呪力をコントロール出来るようになった方が良いかもしれないな」
「わたしにも呪力があるんですよね」
「ああ、間違いなく」
彼は確かな同意とともに頷いた。頭のてっぺんから爪の先まで、軽く目でなぞられる。そうして何かを確かめた彼に、わたしはくすぐったいような、居心地が悪いような、行き場のない思いで己の両の指先を絡ませた。
「呪力量で呪術師の強さが決まるわけではないが、多い事に越したことはない。君は多いか少ないかで言えば、確実に多い方に分類される。術式の有無はまだ分からないけど、術師として育っていれば間違いなく、重宝される人材になっていただろうね」
「
わたしの呼び方が引っかかったのか、彼は一瞬動きを止めた。そして息を吐くのと同時に「いいや」と軽く首を振った。
「そういうわけではなかったよ。ごく普通の一般家庭に生まれたからね」
皆が皆、呪術というものが身近にある環境にいるわけではないのか。
そう言う意味も込めて「意外です」と零す。本音を言えば、わたしと同じような環境で生まれ育った彼の生い立ちが全く想像できなかった。
どんな出来事を経れば、教祖という道を選択することになるだろうか。そう己の人生との決定的な差に遠いものを感じた。
「……じゃあ、どうやって自分の力に気付いたんですか?」
「私は君と違って呪霊が呪霊として見えていたから、気付くのは簡単だったのかもしれない。自分の持つ術式も、本能的に分かっていた」
「本能……」
「自然と身体が動いた、と言えばいいのかな。気付いた時には呪霊を体内に取り込んでいた」
彼の力、呪霊操術がどういったものなのかを話に聞いたのは、つい先日のことだった。呪霊を手のひら大の玉状にして経口摂取するというのは、そもそも呪霊とはどんなものか実際に分かっていないわたしにとって、全てを理解するのは難しかった。
自身が初めて呪霊を口にした日を思い出しているのだろうか、遠い目をした彼は微かに眉を寄せ嫌悪を滲ませた。
「……やっぱり、辛いものなんですね」
「初めての時は流石に堪えたよ」
今は、と口に出しかけたけれど、それは愚問だった。グ、と全てを飲み込んで「そうでしたか」と当たり障りのない返答を絞り出した。
幕の外ではザワザワと徐々に人の談笑する声が大きくなっていく。どことなく気まずさを拾い上げたせいで、そう感じてしまっただけかもしれない。
わたしはその雑音に気を取られて、つい余計な本音を零してしまう。
「もし夏油様が、わたしのように呪術の使い方を知らないまま過ごしていたら、辛い思いをせずに済んだんでしょうか」
──もっと早く呪術について知ることができていれば、今になって苦しむこともなかったのに。
そうやって己の過去を悔いてしまうことが恥ずべきことのように思えた。
一瞬の間を置いて、わたしは「あ」と手を小さく口に当て彼を見上げる。完全に失言だ。ただ彼が苦しんでいるのなら、どうにかならないかと安直に考えただけ。そもそも自分に重ねるべきではなかったし、ましてや口に出すべきではなかった。
目を見張った彼は、何かを言いたげに口を開いた。しばらくそのまま言葉を探していたけれど、やがて降参したように息を吐いては「優しいね」と呟いた。
「……君は君が辛いと思うことを、無理に塗り替える必要はないんだよ。辛いと感じることは悪いことじゃない」
ほんの少し弱々しくなった声音。まるで彼自身が信じたいと言い聞かせるように「そう、何も悪くない」と繰り返す。
返す言葉は見つからなかった。何を言っても彼の知らない領域に土足で踏み込んでしまう気がした。
彼は徐に襟元を整え、気を取り直したようにわたしを見据えた。
「それに、もしかすると君も意識せずに術式を使っているかもしれない」
可能性としてはゼロではない。これまでの記憶を遡ってみるけれど、意識をしていないのであれば記憶に残っているわけもなく、力なく肩を落とす。
「無意識を意識するのは、骨が折れそうですね」
「君は不確定要素が多いから、より一層そう感じるかもしれないね。手探りにはなるだろうが、小さなことから始めていけばいい」
小さなこと、と口の中で唱えるわたしの肩に手を添えた彼は、舞台上の明かりをつけるように合図を出す。
「時間だ」
一人、幕の外へ出て行く彼は既に教祖の面を被っている。わたしはその背中を見送ることしかできない。傍に居ることの難しさがスポットライトの下と舞台袖との明暗として視覚化される。あまりに明瞭な境界線に、思わず力の入った指先で服の裾を握った。