「今日はどういったご用件で?」
夏油様は糸のように細く引き絞った瞳で、向かいに座った老いた男を見据えた。貼り付けた笑顔に芝居がかったものを感じる。それが分かるようになったのは一種の成長なのかもしれない。彼に出会って変わった季節はたった一つだけ。それでも得てきたものは多い。きつく絡まった結の目を解いていくように、僅かだが彼の仕草一つ一つから感情が読み取れるようになっていた。
彼は今、持ちかけられた話が金になるかを見極めようとしている。彼が膝の上で両手を組み替えたのを横目で捉えながら、音を立てぬようにして彼らの前に茶を置いていく。
「その……人を探してもらいたく」
「人、ですか」
「……孫が、居なくなったんです」
聞き耳を立てるつもりはなかったが、老夫の言葉に思わず手を止めた。
「私を尋ねて来るということは、警察には届けられないと判断した理由があるんでしょう」
「えぇ、その通りです。……届けを出したところで、頭のおかしい老人の戯言だとあしらわれかねない」
力なく肯定する老夫は肩を窄め、げっそりと顔の窪みに影を落とした。夏油様は先ほどまでの笑顔を解き、二度ほど軽く頷き「聴きましょう」と詳細を話すよう促した。
「孫には、私達には見えないものが見えていたらしいんです。幽霊のようなものだと、孫は言っていました」
震える手で茶を口元に運んだ老夫は、緊張で乾いた口内を潤した。
それを見てわたしは立ち上がる。ついつい聞き入ってしまった。顧客の情報に耳をそばだてるのは、あまり褒められたことではないと己の行動を反省する。
そそくさとお盆を抱え一礼とともに部屋を出て行こうとすると、グイッと袖を引かれる。振り返ると夏油様が隣に座るよう目くばせし、ソファの奥に詰めて座り直す。場所を開けられてしまったら座る以外の選択肢はなく、わたしは邪魔にならぬよう存在を消しながらそっと腰掛け、続く老夫の話に耳を傾けた。
「……そして、それの使い方をある人に教えてもらっているのだと、そう私に話した翌日に孫は居なくなったのです」
話の中に出てくる孫の存在が自分と重なった。恐らく彼もそう思ったのだろう。わたし達は示し合わせたように顔を見合わせた。
非術師の家庭に生まれ、最近自分の力を自覚し、それを使いこなせるよう師に習っていた。それはあまりに己の状況と類似している。
そう珍しくないことなのかと眼差しで問えば、彼は頭を振り老夫に視線を戻した。
「行き先に心当たりは?」
「……それが、どうにも思いつかず」
思い当たる場所は全て探したと老夫は肩を落とした。夏油様はそんな彼にいくつか質問を繰り出すも、全て「分からない」「知らない」ばかりでこの場ではどうしようもなかった。
「情報が少ないですね。……まあ、見つけられるかどうかよりも、お孫さんの生死を心配した方が良いかもしれません」
「そんな……」
「できる限りは手を尽くしますが、どんな結果になっても責任は負いません。それでも良いならこれで引き受けましょう」
夏油様は手を広げ、五本の指を見せる。それを見て老夫は迷うことなく頷いた。
「孫が助かる可能性があるなら何だっていい……! 前金についてはすぐにでも」
「話が早くて助かります。それでは、私達もすぐに動かなければ」
小切手へさらさらと記入していく老夫の手元から思わず目を逸らした。彼らの手慣れた様子からして相場があるのだろうが、0がいくつ付くかなど、庶民のわたしには見当もつかない。
ピッと切り離した紙切れを確認した夏油様は、満足気に笑みを浮かべて「一度ご自宅に伺います」とだけ告げた。
「行くよ。出かける支度をしておいで」
立ち上がった彼の見下ろす視線に問いかけた。
「着いていってもいいんですか?」
「もちろん。きっと君のためになる」
役に立つ自信は毛頭ない。せめて彼の言うように、己の学びに繋げなければ。そう心に決めて、部屋を出る彼の後ろに続いた。
都内の一等地に構える洋館。立派な石造りの門の前に、わたしは感嘆の声を上げた。
「豪邸ですね……!」
広い庭の先に見える洋館は、重要文化財か何かに登録されていてもおかしくないほどの年季の入りようで厳かにそびえ立っていた。煉瓦が積み上げられた外壁に、西洋建築の象徴とも言える尖った屋根。格式高い外観に恐れをなすわたしの横で、夏油様は静かに懐から折り畳んだ資料を取り出した。
「ああ、代々地主の家系らしくてね。親族には財政界の大物がいるって話だ。居なくなった孫は跡取りとして大事に育ててきたそうだから、今回の件じゃ報酬は期待できる」
「先ほどの提示よりも、ですか」
「愛孫のためだ。生きていれば成功報酬を、最悪死んでいても死体さえ持って帰れば危険手当くらいは吸い取れるだろう」
強かだな、と他人事のような感想を抱きつつ、敷地に足を踏み入れた。
依頼主が夏油様を訪ねてきたのは、元から信者だった親族に勧められてのことだったらしい。依頼主は孫が助かるためなら多額の報酬を支払うことも厭わない。調査にかかる経費諸々、依頼主側の持ち分だ。現にここに来るまでの車の手配など全て手際良く済ませてくれていた。彼らにとって金など湯水のように湧いてくるものなのだろうが、例え好いカモにされていようとも、それほどまでに跡取りの彼が大切に愛されている事実は変わりない。
手渡された資料の間には写真が挟まっていた。失踪した孫のものだ。わたしはそのツルリとした表面を親指の腹で撫で、視線を落とした。高校生だろうか。質の良いブレザーをきっちり着こなした少年が、固い表情でこちらを見ていた。
「それにしても、どうやって探し出すんですか? 手がかりが少なすぎる気が……」
「端から猿の情報なんてあてにしていないよ。アレには知り得ないものが、ここにはちゃんと残っている。それをわざわざ見に来たんだ」
意味深な言葉に何も言えずにいた。しかし、彼は特に気にする様子もなく、待ち構えていた使用人に声をかけた。
案内された屋敷の中は落ち着きのある色合いで統一されており、豪華絢爛なシャンデリアやベルベットの赤い絨毯がより一層映えて見える。家具からインテリアまで、どれも高価なものなのだろう。触れるのも恐ろしいと、粗相をしないようピッタリと夏油様の背後に着いて歩く。
自身の日常とは完全にかけ離れた世界。馴染みのないその空間を、橙色の照明がぼんやりと柔らかく照らし出す。その温かみのある光に包まれることによって、少しだけ安堵できた。
小さく息を吐くわたしの前で、ポツリ彼が呟いた。
「あるね、残穢」
客間や食堂などの大部屋が多い一階を一通り見終え、玄関前に戻ったわたし達は二階へと続く大階段の前で足を止めた。
「残穢?」
「術式を使えばその痕跡が残る。それが残穢だ」
「じゃあ、これからその痕跡──残穢を辿るんですか?」
そう問えば「ご名答」と彼は楽しげに口角を吊り上げた。そして埃一つなく磨き上げられたツヤのある手すりを手の平でなぞりながら、階段を上がっていく。
二階は居間や私室となっていた。彼はまさにその残穢を辿ったのか、迷うことなく一番奥の角部屋の扉を開けた。失踪した張本人の部屋なのだろう。他の部屋と変わらぬ内装ではあるものの、本棚には教科書が並び、海外のスポーツ雑誌なども紛れ込んでおり、微かに男子高校生らしさを感じる。
部屋の中を見渡した彼は、最後にわたしへ目を向けた。
「君は自然と呪霊を人と認識しているから、残穢がどう見えるか気になっていたんだ」
──なるほど。それでわたしをここまで連れて来たのか。
普段の彼はあまりこういった依頼にわたしを関わらせようとしない。今回に限って何故着いて来させたのか不思議だったけれど、恐らく日々の訓練の成果を確認したかったのだろう。それに依頼内容は人探し≠セ。わたしが関わっても問題ない案件ということは、そう危険なものではないのだろう。そういう意味で今回の件は丁度良かったのかもしれない。
謎が解け胸の内が晴れたわたしに、ふと足を止めた彼は問う。
「自分の呪力は少しずつ分かるようになって来たんだろう?」
「えぇ。でも、本当になんとなくなんですけど」
自信などほぼ無いに等しい。わたしはぎこちなく頷く。それでも彼は「以前に比べれば大きな前進だ」と励ますように背に手を置いた。
「残穢はまだよく分かりませんが……自分の呪力に関しては見える、というか、感じるに近いかもしれないです」
違和感と言い換えてもいい。己の鼓動の音が聞こえるように、全身を駆け巡る血潮の漣を感じるように、腹の底から湧き上がる何か≠ノよって、頭のてっぺんから足の先まで満たされていくような得体の知れぬ感覚を掴みかけていた。
何が正解か分からないまま、乏しい語彙で伝えれば、彼は顎に手を当てる。そして、少し考えた後「うん」と頷いた。
「その感覚は正しいね。それを応用できれば、人に見えたとしても呪霊を見分けることができそうだね」
「本当ですか! もっと精進します」
つい嬉しさが声に滲み出た。その声音に微笑んだ彼は「ちなみに」とクイズでも出すように声を張り、ぐるりと円を描くようにして宙で人差し指を回した。
「ここにはもう一つ別の残穢が混じっている」
「この部屋の主のものとはまた違う残穢……」
「ああ。そして、これが孫に呪術を教えた人間のものだとしたら……?」
「師にあたる人間に連れ去られた、と?」
「恐らくね」
そうは言いつつも、ほぼ確信を持った顔つきで頷いた彼はス、と目を細める。まるで何かを確かめているような仕草を見守る。わたしもまた残穢を見ようと目を凝らし、パズルのピースをはめていくように、把握している情報を組み立てていく。
失踪した孫は突如私室から居なくなった。その私室から別の人間の残穢が見つかった、とすれば誰であろうとその人物が怪しい。彼の言うように交流のあった呪術が使える人間の仕業の可能性が有力だけれど……動機はなんだ? わざわざ手解きまでしておいて急に連れ去るなんて、何か両者の間でトラブルがあったか、そもそも何か目論みがあって孫に接触していたのだろうか。
結局、残穢の欠片も見えなかった視線を緩める。そして、隣で窓枠を撫でている彼へ、胸の内で靄がかかった疑念を問うた。
「……何故そんなことをしたんでしょうか」
「それは犯人が自ずと教えてくれるだろう。まあ、依頼は謎解きではないからね。私達は警察ではないし、ましてや探偵でもない、単なる呪詛師だ。謎を謎のまま葬ったって何も問題はないんだよ」