視界に影が差した。何となく見始めたテレビの中ではお笑い芸人が体を張っている。くだらなくもつい目を留めてしまうような番組から視線を上げた甚爾は、ゲッと顔を歪めた。

「お嬢、湿布かえてやるよ」

 音もなくやってきた五条は、甚爾に寄りかかっていたお嬢を猫のように抱き上げて、自分の膝の上に座らせる。自信満々に言ったものの「ま、傑がやるんだけどさ」と当たり前のように夏油に丸投げする。そして一切気に留めずにスマホをいじり続けるお嬢の首筋に顔を埋め、思い切り息を吸った。猫吸い≠ネらぬお嬢吸い≠ナある。「どんなヤクよりキマるわ〜」と半分冗談、半分本気で零した時には、洒落にならないからやめてくれ、と七海から汚物を見るような目を向けられた。常に非常識な行動を指摘しなければならない七海は、ボケに対するツッコミが足りないと瀕死状態である。
 期間限定ではあるものの、新たに屋敷に住まうことになった悠仁は、まだ五条や夏油のような異常な思考回路に冒されてはいないし、お嬢のような平和ボケしているようで反社の常識が入り混じっているハイブリッドかつ厄介な価値観も持ち合わせてはいないはずだ。ぜひとも悠仁にはツッコミ側へ来てもらいたい。そう七海は密かに目論んでいた。
 その悠仁はというと、五条たちのお嬢に対する異常なほどの執着に着々と免疫ができていた。されるがままのお嬢を見ては、またやってるな〜と流すのが常である。

「あ〜、永遠にこうしてたい」
「残念だけど経過は順調だ。もうすぐ完治する」

 足首の負傷により、自分の力で歩いていけないと歩行禁止令を下されているお嬢。どこに行くにも誰かに運んでもらわなければならないとなると、必然的に傍にいることが多い五条と夏油へ助けを求めることになる。そのお嬢から求められる≠ニいう事実に快感を覚えているヤバい大人たちは、彼女とひっつくことができる口実を作るため、嬉々として絶対安静≠口にするのである。まったく策士と呼ぶには姑息なやり方だ。彼女はそれに気づいているのかいないのか、特に拒むわけでもなく受け入れている。
 夏油は新しく貼り替えた湿布の上からテーピングを施していく。その手際の良い手つきを見つめながら、五条がふと思いついたように不穏な独り言を零した。

「もうずっと治らなきゃいいのに〜」
「それなら、また足を怪我させるしかないね」

 常人の思考では思いつかないような突拍子もない五条の案に、夏油は丁寧に処置したばかりの足首をゆるゆると撫で、うんと一つ頷いた。

「捻挫じゃすぐ治るよな。いっそのこと骨、折るか?」
「それもいいね。綺麗に折っても完治するまで最低三ヶ月はかかる」

 さすがに脚を潰すのは可哀想だしね、と夏油は冷静に呟いた。

「どうする? お嬢」

 五条と夏油は、彼女へ向かって夕飯のおかずは何がいいか尋ねるぐらい気軽に意見を求めた。それを傍で見ていた甚爾は、どうするも何もないだろ、と眉をヒクリと動かした。自分の足首の命運がかかっているのだから、拒否一択だろう。
 お嬢はようやくスマホの画面から顔を上げた。五条と夏油を一瞥すると、う〜んと軽く唸り、まるで他人事のように言った。

「痛いのはやだー」

 痛くなかったらいいのかよ。甚爾の至ってまともなツッコミは、五条と夏油により黙殺された。

「そうだよな〜痛いのやだもんな〜」
「お嬢の痛いの、早く治るようにちゃんとテーピングしたからね。またしばらく安静にしてるんだよ」

 猫撫で声の子供に言い聞かせるような口調で、愛しのお嬢へ語りかける大の男二人。甚爾は一体どの口が言っているんだ、と白い目を向けるしかない。

「エ、今の何……? アレ、普通なん⁇」
「そのうち慣れるだろ」

 呆れ果てた甚爾はその場から離れるべく重い腰を上げた。夕飯の後片付けをしていた悠仁は、溺愛の中に垣間見える猟奇的な愛情表現に「怖……」と小さく呟き、怯える以外になす術がなかった。
 傍からみれば手綱を握られているようで、彼女自身が握っているように見える不思議な関係だ。初対面では自分と同じくらいか年下だと思っていたお嬢が、まさか四つも年上であることに悠仁は驚きが隠せなかった。そして、そんな彼女が厳つい男たちを侍らせているのが余計にミスマッチだなと思うのだった。
 悠仁は自身を追っている人物たちの正体が判明するまで屋敷から出ることを許されていない。裏を返せば匿ってもらっている立場のため、甚爾のように一日中呑気に寝転がっているわけにもいかない。自ら進んで家事などの雑務を行い時間を潰している。これくらいしかできることないし、と言う彼だが、慣れているのか手際がよく、屋敷の人々には大変好印象を与えていた。
 一歩間違えればお嬢の脚が再起不能にされていたかもしれなかった事件の翌日。悠仁は洗濯物を干そうと庭に出た。ふと向かいの廊下へ目を向けると、縁側にできた陽だまりの中、包帯でぐるぐる巻きにされた足を投げ出したお嬢が日光浴を楽しんでいる。近くには五条や夏油、甚爾さえもいないのか。珍しいこともあるんだな、と見つめていると、お嬢に手招きされる。

「ちょっと聞きたいことがあるんだよね」

 そう言ったお嬢は右側に詰めて座り直す。自分の横にスペースを作り、悠仁に座るよう促した。
 悠仁は言われるがまま腰を下ろし、抱えていた洗濯かごを足元へ置いた。

「悠仁くんを追いかけた犯人のことなんだけど、誰かから少しでも聞いてる?」
「いや、聞いてない。あ! もしかして何か分かった?」
「ううん。私は何も……みんな私には余計なことを教えないようにしてるから、悠仁くんには何か話があったかなと思って。みんな優秀だから、これだけ時間をかけて調べて分からないなんてことはないと思うんだよね」

 甚爾のことを調べていた時も丸二日あれば調べがついていたし、余程のことがない限り今回も既に目星がついているはずなのに。
 お嬢は隣で空を仰いでいる悠仁をチラリと盗み見る。悠仁がその余程≠ノ該当するようには見えなかった。

「悠仁くんも知らないとなると、絶対私たちに知られないように隠してるんだよ」
「え〜そうかな? 五条さんとか夏油さんは特に俺のこと一刻も早く追い出したいだろうし、何か分かったらすぐ言ってくると思うんだけどなぁ」
「うーん。そう考えると追ってきた人たちが予想以上に厄介な人たちだったとか?」
「俺、そんな危ないことせんよ……って言いたいところなんだけど……」

 言い淀んだ悠仁に、お嬢はすかさず「何か思い当たることあるの?」と尋ねる。
 悠仁はうん、と頷き、悩むような仕草で両の指の腹を口の前で合わせた。

「引き取られた先で馬が合わなくてその家を飛び出したのはよかったんだけど、それからどうしようもなくってさ。小遣い稼ぎとして簡単な運び屋みたいなことしてたんだよね」
「危ない仕事だよね?」
「まぁね、中身が何かは絶対見ちゃいけなくってさ。確実にヤバいモノだったのは間違いないんだけど、羽振りが良くてつい」

 後頭部をガリガリと掻いた悠仁は、自分の持っている情報で追われる原因になりそうなことを思い浮かべてみるも、どうもピンとくるものがない。

「本当のところは俺もよく知らないままやってたから、もしかしたら伏黒の方が詳しいかも」

 お嬢はその独り言な呟きを聞き逃さなかった。聞き覚えがある苗字に、勢いよく悠仁の方へ顔を向けた。

「伏黒?」
「うん。あ、上京したばっかの俺に東京のこと色々教えてくれた友達ね」
「名前は⁉︎」
「名前? 伏黒恵だけど」
「え、ええ〜〜⁉︎」

 甚爾の息子だ。確証はないけど特徴的な名前。絶対そうだ。そうに違いない。
 その驚きを全て詰め込んでお嬢は叫んだ。悠仁が怪訝そうな顔で見てくるけれど、それどころではない。まさかこんな形で実際に彼の存在を知ることになるとは思わなかったと、スカートの裾を握った。

「知り合いなん?」
「知り合いじゃないけど知ってるの」

 お嬢は「どういうこと?」と首を傾げる悠仁の肩を掴んだ。

「会いたい」
「え?」
「恵くん、どこにいる? 会ってみたい」

 甚爾と会わせてどうこうしようという気はさらさらなかった。ただ、話に聞いただけの甚爾の息子・伏黒恵という概念のような存在が、現実に存在していたのかという、当たり前のようでいて衝撃的な事実を目の当たりにしたいだけだった。要するに架空の存在に近いと思っていたアイドルが、自分の生活圏にいると分かって急に現実味を帯びる現象と同じである。アイドルの場合バッタリ会えたらラッキーで済むけれど、お嬢の場合は伏黒恵≠自分の目で確かめたいという気持ちが強かった。
 お嬢の圧に押し負けた悠仁は、戸惑いながらも記憶を辿った。

「それがさ〜、もっと割のいい仕事見つけたって言ってからしばらく姿を見てないんだよな。報酬が高い仕事ってそれなりに危険が多いから心配してるんだけど」
「……もともとは悠仁くんと同じことしてたんだよね」
「うん」
「そっか……」

 お嬢は再び「そっか」と呟いた。何度か軽く頷き、悠仁の小指に己の小指を絡めた。

「このこと、誰にも言わないでね。二人だけの秘密!」

 絶対だよ、と念押ししたお嬢。指切りげんまんを彷彿させるように、繋いだ小指はそのままで、手を上下に揺らした。
 悠仁は、あ、これガチなやつだ、と思った。お嬢に限って約束を破ったからといって「指を詰めろ!」とは言わないだろうが、周りのヤクザたちが何を言い出すか分からない。構成員たちに小指がなかった人がいなかったかを思い浮かべながら、首を縦に振るしかなかった。






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永遠に白線