一方その頃。甚爾は夜の街に繰り出していた。目的はあったが、数十メートル後ろに監視が張り付いているお陰で諦めるほかなかった。怪しい動きはこれまで控えていたつもりだったが、なかなか監視の目が緩むことはない。撒くこともできるが、まだ不審な行動は控えるべきか。そう考えて軽く息を吐く。
 先日孔に会えたのは、予定していないお嬢の外出について行ったお陰だった。しばらくは孔との接触は無理そうだな、と見切りをつけ、ふと足を止めた。
 車道を挟んだ向かい側に見慣れた顔を見つける。それはまさしくお嬢だったのだが、その横にいる男には見覚えがない。それだけで済めば、甚爾は気にも留めず家路についていたかもしれない。しかし、気づいてしまった。彼女たちが出てきた建物がホテルという事実に。

「……おい」

 甚爾は闇に向かって声をかけた。

「アレ、いいのか」
「いや〜……よくないですね」

 甚爾の監視として跡をつけていた灰原が、視線をお嬢から外すことなく顔を覗かせた。
 タクシーへ乗り込むお嬢に、男が財布から万札を数枚抜き取って手渡した。お嬢も拒むことなくその万札を受け取り、頭を下げるだけ。
 タクシー代には多すぎないか。それが共通して二人の頭に浮かぶ疑問だった。男女、ホテル、金銭のやり取り。この三拍子が揃えば皆考えつくことは一つである。
 しかも相手はあの有名な両面宿儺だったことを確認した二人は、思わず顔を見合わせた。

「……このことは、くれぐれも内密にしてくださいね」
「……ああ」

 二人は互いに監視のことなどすっかり忘れて肩を並べて歩き出した。







 さて、家に帰ったお嬢が取った行動といえば、宿儺から聞いた出来事をまるっとそのまま悠仁に伝えていた。幸いなことに五条と夏油は出払っていたおかげで、すんなり話は進んだ。最近悠仁との接触も口うるさく言われるため邪魔が入らずストレスフリーである。何やら数日の間、関西の組との会食が続くようで、幹部の皆々はそちらにばかり気を取られてお嬢と悠仁の会合には全く気がつかなかった。
 議題はもちろん悠仁の今後の所在についてだ。彼には今二つの道がある。今まで通りお嬢の元で厄介になるか、身内であると言う九相図一家の元に身を移すか。
 結論から言えば、悠仁は前者を選んだ。それはゆくゆくはどうなるか分からないけれど、今のところは現状を維持したいと言う話だ。一番の理由としては、ひとまずお嬢の恵探しを見守りたかった。
 友である恵が何か危ないことに巻き込まれているのではないかと、心配は尽きない。恵探しの意味ではお嬢とは目的が一致している。それに彼女は赤の他人ではあるけれど、屋敷の人々とも持ち前の人当たりの良さで良い関係を築いている。特に七海にはよく面倒を見てもらっているし、五条や夏油にも彼女と二人きりにならなければ強くは当たられないし、何かと目をかけてもらっている。そして、悠仁を追っていた脹相には敵意はなかったことで、屋敷からの出入りを制限する必要はなくなった。すでに馴染んでいる居心地の良い場所で、より自由を与えられるなら、無理に出て行く必要もない。
 お嬢としてもせっかく仲良くなった悠仁とお別れするのは寂しかった。二人は波長が合うのか打ち解けるのも光の速さだった。確かに宿儺から恵の手がかりを教えてもらいたいが、だからといって悠仁の意志をねじ曲げるのは間違っている。悠仁がどうしたいかだけで考えるよう念を押した彼女だったけれど、それは杞憂だった。すでに意思を固めていた悠仁に、ゆくゆくのことも考えて新たな弟に会いたがっている九相図一家と顔合わせだけでもしておいた方がいいのかなとも思いつつ、二人は固く握手を交わしたのだった。
 あとは宿儺に悠仁の了承を得たことを報告すればいいだけ。すぐさま事前に渡されていた秘書・裏梅の番号へ連絡すると、明日にでも宿儺と会えるよう手配すると約束してくれた。



   ◇◇◇



 次の日、約束通り宿儺に会いに行くため支度を済ませると、ばったり甚爾に廊下で出くわした。上から下まで観察するような視線を向けられたお嬢を首を傾げた。甚爾は気まずそうに視線を逸らしながら、何と声をかけるべきか悩ましげな声を上げた。

「……出かけるのか」
「そうだけど。どうかした?」
「いや、何でもない」
「そう? じゃあ、もう行くね」

 甚爾の横をすり抜け、玄関に向かうお嬢。その肩を甚爾は遠慮なく掴んだ。

「どうしたの? やっぱり何かあった?」

 服装がおかしいのか。はたまた顔に何か付いているのか。そう問いかけるも甚爾は全てに首を横に振った。そして、意を決したように口を開いた。

「……金に困ってるのか」
「ううん。まったく」
「だよな、お前に限ってそれはねぇよな」

 見知らぬ金持ちと会う理由なんて金しかない。しかし、お嬢もまた金持ちの立場である。
 余計にわけが分からなくなる甚爾に、お嬢は時間を確認しながら「もう行っていい?」と尋ねる。

「とにかくいろいろ気をつけろよ。……特に男とか」
「大丈夫だよ〜、なんか悟くんと傑くんみたいなこと言うね」
「なっ」

 珍しく心配してやったってのに、あいつらと一緒にするんじゃねぇ。そう言い返してやりたかったが、甚爾は予想以上にダメージを負っていた。
 その一部始終を柱の影から楽しんでいた七海と灰原が、目元が緩むのを堪えながら甚爾に歩み寄った。

「おい、そんな目で見るなよ」
「いえ……失礼。あの二人に似てるなんて、最上級の悪口だと思って」
「七海、お嬢に悪気はないのに可哀想だよ」
「お前ら声震えてんぞ」

 吹き出すのを堪えるような笑い声。もはや隠しきれていない。甚爾は「いっそ笑えよ」とヤケクソに言う。すると七海は顔を隠しながらもクツクツ笑い、灰原は七海の肩を叩きながら破顔した。
 ひとしきり笑い転げた後は、足並み揃えて屋敷を出て、三人とも同じ車に乗り込んだ。運転席の七海は、最寄駅付近で見知らぬナンバーの車に乗り込んだお嬢を目ざとく見つけ、尾行がバレぬよう十分車間距離に気をつけながら車線を変更した。

「お嬢が昨日の男に会うとは限らないですよね?」

 昨日の出来事の全容を事前に灰原から聞いていた七海。灰原が嘘を言うとは考えられないが、なかなか信じられずにいた。

「それはそうだけど心配だよ。相手はあの両面宿儺だよ?」
「一体どういう接点ですか……」
「それが分かんねーからわざわざ尾行なんて面倒なマネしてるんだろ。……まぁ金目的じゃなきゃ、ホテルですることなんてセッ」
「下品な話にお嬢を巻き込まないでいただきたい」

 七海がルームミラー越しに甚爾を睨みつける。しかし、可能性としてはあり得なくはないのだ。自分の感情だけで決めつけるのも良くない。反省した七海は、大きなため息を吐いた。

「万が一、貴方の仮説があっていて、それをあの人たちが知ったら……」
「舌でも噛んで死ぬか?」
「いえ。翌日のニュースが指定暴力団幹部らホテル王を堂々殺害≠ナ持ちきりになるだけです」
「アハハ、確かに頭に血が上って死体処理のこと考える余裕もなさそうだよね〜」
「ええ、五条さんと夏油さんがお縄にかかり、庵さんが高笑いする様子が目に浮かびますよ。ちなみにお嬢は二人が出てくるまで幽閉確定ですね。組織の中心人物が抜けるので確実にゴタつくでしょう」

 最悪な未来すぎる。なんとしてでも現実にしないよう阻止しなければ。七海は眉間に深い皺を刻んだ。
 五条と夏油のいいところと言えば、まだお嬢に手を出していないところである。スキンシップは多いけれど、その分世間でセックスと呼ばれる行為には至っていない。意外にも大人としてきちんと線引きをしているのだな、と思っていた時期が七海にもあった。
 しかし、それは彼らが美味しいものは後に残しておくタイプ≠セっただけ。その気になればいつでも手に入れられると思っていた彼女の純潔が、すでに汚された後だったとしたら……考えるだけで末恐ろしい話である。

「まぁ、昨日のホテルの方向じゃないから今日もあの男と会うわけじゃないとは思うけど……」

 気不味い沈黙が続く車内で灰原が呟く。そうしてしばらく車を走らせた後、到着した場所は宿 伏魔御厨子≠ニいう旅館だった。まさしく両面宿儺が経営する宿の一つである。
 敷地内には入らず、ひとまず路肩に停車した七海は、やっぱりそういうことなのかと頭を抱えた。しかしその横で灰原が声を上げた。

「あれ? ここってもしかして……」

 見覚えのある宿名。そこは本日五条や夏油らが参加している会合で使われている場所だった。

「夏油さんたちがお嬢を呼んだってこと?」
「いや、それなら運転は我々か新田さん辺りに頼むでしょう? 私たちの知らない人間に頼むことはありえませんよ」
「ということは……」

 そこから導き出されるのはひとつしかない。甚爾は言い淀んだ灰原の言葉の先を読む。

「最悪のブッキングってとこか」

 やれやれと言いたげな甚爾とは裏腹に、決意に満ちた七海の言葉が車内に響いた。

「とにかく、今は五条さんたちに鉢合わせないようお嬢を連れて帰りましょう」






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永遠に白線