宿内の一室。座敷の中央に置かれた机を挟み、お嬢と宿儺は向き合って座っていた。宿儺は昨日とは違い着物を纏っていた。洋服の時はその堂々たる体躯の圧ばかりが目立っていたが、和服だと繊細さも織り交ぜられ、動かざる山のように落ち着いた印象を与えていた。
 そんな宿儺の目の前で、お嬢はまたしても美食を堪能していた。昨日は肉だったためか、今日は綺麗に盛り付けられたお造りが出された。

「これは裏梅が捌いたものだ」
「料理もできるなんて、裏梅さんすごいね」
「もっと傍に置いてくれというから秘書にしたが、もともとは料理人だ。今日は団体客の食事の支度に料理人たちが掛かり切りでな。手の空いた裏梅に作らせた」
「そうなんだ……裏梅さんの料理を食べられたのはラッキーだったけど、団体客ってことはもしかして忙しかった?」

 申し訳ないと彼女は眉を下げる。それに対し、宿儺は目を丸くした。

「なんだ、聞いていないのか」
「あ。宿儺さんぐらいの人ならいつでも忙しいのか」
「違う、違う。そういう話ではない。……そうか、知らぬか」

 宿儺はそうかそうかと繰り返した後、目に見えて機嫌を良くした。

「それを食べ終えたら、庭でも案内してやろう」
「ほんと? 来る時少しだけ見えたけど、すごく綺麗だったから楽しみ!」
「あぁ、そうだ。お前が知りたがっていることも、その時に教えてやる」

 少しばかりからかってやろうと宿儺が悪巧みを企てていることなど露知らず。お嬢は呑気に新鮮な魚で腹を満たす。
 そんな彼女が居る部屋から、庭を挟んで向こう側。広間に並べられた膳の前に座るスーツに身を包んだ男たち。親睦会、と言えば和やかに聞こえるが、皆少しばかりの緊張の色を顔に乗せ、幹事の言葉に耳を傾けていた。会長や組長、最高幹部の面々が軒並み揃うことは、年に数度あるこの会合のほかはほとんどない。そして、参加団体の中には五条の出身でもある五条会、今除籍しているが以前甚爾が身を置いていた禪院会、そして悠仁と血縁があると発覚した加茂会と、かなりやり辛い会も多い。
 五条会に関しては、参加している最高幹部とは名ばかりで、ゆくゆくは五条が薨星会の頭を譲り受け、五条会自体を傘下に加えることは、五条が薨星会会長・天元と盃を交わした時に決まったも同然だった。ほぼ吸収と言っても過言ではないが、五条会にとっては五条こそが絶対。未だにうるさい老ぼれたちも、少し乱暴すればしばらくは大人しくなる、というのは本人談である。
 最強無くして権力を持たない五条会とは違い、禪院会は先日亡くなった前会長に代わり、若頭の直哉がふんぞり返っていた。偉そうにイキっている割には、彼はまだ頭ではないのである。直哉への反発もある中、誰がトップに立つか身内で揉めている真っ最中なのだ。こんなところで悠長にしていていいのか、というのは、直哉の態度から己が頭になることをまるで疑っていないことが見て取れる。自信に満ち満ちている彼とは対照的に、加茂会の新会長である憲紀は場慣れしておらずこの場にいる誰よりも緊張していた。加茂会は一世代前に様々な厄介ごとを起こしたせいで、肩身の狭い思いをしていたが、その汚名を拭うため努力してきたお陰でこうして公の会合にも顔を出せるくらいには信用も回復している。
 ちなみに厄介ごとを起こしたと言うのが悠仁と血のつながりがある羂索と言う人間だ。しかし、悠仁の血縁についてはこの場にいる誰も知らないことである。五条たちが悠仁の経歴を洗った際も全く分からなかったのだがそれもそのはず、真相を知っているのは生みの親である羂索と親権を押し付けられた宿儺、そして今は亡き悠仁の祖父のみ。先日宿儺が教えたお嬢と、お嬢伝手で悠仁本人が知ったのだ。九相図一家に関しては最早勘でしかなかった。悠仁が上京した段階で新たな弟の気配を察知!≠オたのである。それで本人までたどり着けるとは、もはや恐怖を感じるが特殊能力と言ってもいいだろう。ちなみに兄弟にしか発揮しないため、スピリチュアルなシノギにできないのが残念な部分である。
 食事がある程度進むと、場の空気も少しは和らいでいく。ようやく親睦会と呼べる程度の雰囲気になった時、五条の一声によって一気に空気が氷点下まで冷め切った。

「ハ?」

 バキ。手の中の箸を握り折った音に、一同は顔を引き攣らせるしかなかった。

「なんや悟くん、全然へっとらんけどもういいん?」

 無言で広間から出て行こうとする五条に、直哉は空気を読まず声をかけるが完全に無視される。

「ちょっとトラブルがありまして。どうぞお気になさらず」

 代わりに夏油が笑顔で答えるが、どうにも目が笑っていない。一同、「トラブルとは?」と疑問に思うけれど、口に出した者はいなかった。


 まだ紅く色づいていない紅葉の木が、小さな影を作っている。その中で宿儺とお嬢はたわいもない話を交わしていた。
 吹き抜ける風は夏を攫っていく。暑さを拭い去った代わりに、秋の涼やかさを連れてきた。はらり、行き場をなくした紅葉が傍の池へ落ちて行く。
 お嬢はそれを目で追った。葉は水面の上を滑り、波紋を作る。微かな波はどこまで広がるのか。お嬢は己の影響というものがどれほどのものなのか、その葉に己を重ね考えた。
 幼い頃から甘やかされて育った自覚はある。自由にできる部分はそれなりに多いけれど、その分制限も多かった。しかしそれが不満とは思わなかったし、そもそも自分のことにあまり頓着がなかった。周りの言うことに従っていればなんとなく良い方向に流れていくのだから、自分で物事をあまり深く考えなくても済んでいたのだ。
 そんな彼女が少し遅い反抗期を迎えた。お陰で冗談ですまないくらい場は荒れたが、得たものもあった。それは、彼女の気まぐれが多くの人々に影響を与えることを自覚したことだった。よく考えれば当たり前のことだが、その当たり前すらもこれまで気にしたことがなかったのだから大きな進歩である。
 甚爾を拾ったのも、悠仁を引き取ることになったのも、本人たちの同意があったものの、彼女の気まぐれの一端だった。自由に人を動かせる分、責任を負うことになる。それを分かったつもりでいたが、まだまだ足りなかった。自分がやりたいことを叶えれば、それによって問題が発生しているのだ。
 水面下では掻き乱した分の綻びが出ている。全てを丸く収めるためにはそれ相応の落とし前をつけなければならない。

「伏黒恵の件だが」

 宿儺の一言に、池の中を覗いていたお嬢は弾かれたように顔を上げた。

「今は関西にいる」
「関西? 一体何しに……」
「それは家≠フ関係でしかないだろう」
「家って、伏黒じゃなく禪院のってこと?」

 お嬢の問いに宿儺は首肯する。そして彼が恵の行く先を知った経緯を話し始めた。

「伏黒恵とはあの廃ビルで会った」
「あ、わたしと一緒だ」

 宿儺はそう呟いたお嬢に相槌を打ち、話を続けた。
 聞けば禪院へ向かうために、置いていた荷物をまとめているということだった。

「あっちへ行けば纏まった金が入ると言っていた」
「そっか、お義姉さんの治療費が必要だから……」

 大金を手に入れるために恵が呑んだ条件。それは次期頭として禪院会に身を置くというものだった。それは現若頭である直哉をよく思わない内部勢力による決死の策だったが、恵にとってはどうでも良かった。血筋など彼にとっては一ミリも興味もないものだ。現に血の繋がらない姉のために必死になっている。
 彼が禪院から動くことはない。それが分かったならば、お嬢がすることは一つしかない。
 良いことを思いついた。表情を華やがせた彼女は宿儺を見上げた。

「なーにしてんの」

 間延びした声だというのに、ひしひしと感じる怒気。声のした方向を見れば、見慣れた男が二人、豪華絢爛な庭を突っ切ってまっすぐこちらへやってくる。

「お嬢って、俺らのこと嫌いなわけ?」
「まさかそんなわけないよね? もしかしてかまって欲しいから怒らせたいのかな?」

 この流れ、一体何回繰り返しただろうか……
 お嬢は特技に五条と夏油の地雷を踏み抜くこと≠挙げた方が良いのではないだろうか。
 本人が意図していない以上、防ぎようのない事態。そもそも彼女は今日ここに彼らがいたことを知らなかったのである。
 お嬢は首がもげるのではないかという勢いで首を横に振った。

「違うよ。私はただ宿儺さんに会いにきただけで」
「宿儺さん、ねぇ?」
「うん。昨日お友達になった」
「お友達ぃ?」

 疑わしい目を宿儺に向けた彼らは、宿儺こそがこの最悪の事態を呼び起こした張本人だということを知らない。
 ここに彼らが客として来ていることをお嬢が知らないと知って、少しばかり揶揄ってやろうと、敢えて彼らがいた客室から見える庭へ出て来たのだ。
 しかしこうも大の大人が二人もお嬢へ執着しているとは、流石の宿儺も思いもしなかった。

「お嬢はなんで同年代の友達が作れないわけ?」
「作れるよ! ただ機会がないだけだもん」
「普通は大富豪と友達になる機会の方がないんだわ」

 五条の言い分は最もである。どう考えても交友関係がおかしい。
 ハァ〜、と長い長いため息を絞り出した彼らの前に、肩で息をした灰原と七海がすべり込んできた。

「遅かったかぁ……」
「最悪ですね……」

 敷地内を探し回ってようやくお嬢を見つけたと思ったら既に地雷を踏み抜いた後だったのだから、ガクリと肩を落とすのも仕方がない。

「なんで灰原たちがいるのかな?」
「そ、それは、そのぉ……」

 お嬢が宿儺とホテルから出てきた様子を目撃している灰原が言い淀む。共に同じ状況を目に焼きつけた甚爾へ、助けを求めるように背後へ視線を向ける。しかし、そこに居るはずの甚爾の姿がない。

「あれ⁉︎ いない⁉︎」
「てっきりついてきているとばかり……」

 お嬢探しに夢中だった彼らには甚爾のことを気にしている余裕などなかった。少なからず甚爾もお嬢のことを心配しているように見えたせいか、すっかり監視のことなど忘れていたのだ。

「とにかく、話は帰ってからだ。お嬢は私たちが連れて帰るから灰原たちも屋敷に着いたら地下へおいで」
「地下ですか……!」
「それはお嬢もですか?」
「当たり前だろ」
「流石にやりすぎでは……」

 地下、と呼ばれるのは他人の目に触れるのが憚れる行為に至る場合に使用される部屋である。折檻部屋といえば聞こえはいいが、要するに拷問やシャブ抜きなど、かなりグロテスクなことが行われているのだ。
 七海や灰原はまだしも、そこへお嬢を連れて行くというのは、五条たちがかなりキレているという証拠だ。

「お前にはお嬢から話を聞いた後、言い分を聞いてやる。……逃げるなよ」
「ケヒッ、誰にものを言っている? 逃げも隠れもせん」

 宿儺の挑発的な姿勢のせいで、お嬢の頭の上では睨み合いが始まる。しかし意外にもすぐ無言の威圧を解いた五条と夏油は、お嬢の腕をしかと掴んだ。

「宿儺さん、いろいろありがとう。巻き込んでごめんね〜!」
「そういう約束だ。それより自分の身を心配した方が良さそうだなぁ」

 引き摺られるようにして去っていくお嬢に、宿儺の言葉に乾いた笑いをこぼすしかない。
 彼女は両脇に立つ男たちへ向けて「後で全部話すから怖い顔しないでよ」と言うけれど、彼らは変わらず無表情でお嬢が逃げられないよう彼女の腕を掴み持ち上げていた。そんな捕らえられた宇宙人のような彼女たちの後ろ姿を見送りながら、宿儺は喉の奥で笑った。






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永遠に白線