夜の帳が下りた街。辺りは閑散としていて街灯と信号の色彩だけが存在を主張していた。
伏黒恵は赤い光に照らされた雑居ビルの古びた看板を見上げた。デザイン性など毛ほども感じられない文字が並んでいる。ただ太い字体でビデオ∞DVD∞二十四時間≠ニ端的にそこが何であるか示していた。
慎重な足取りで交差点に面したビルの間へ足を踏み入れる。時間をかけて煮詰めたような闇の中、数歩前進した恵は緞帳を想起させるような重たい布が連なった入口の前に立った。周囲の目から隠すようでいて、足元から漏れた蛍光灯の光が彼を誘っている。
黒いボストンバッグを肩にかけ直した恵は、分厚い暖簾を掻き分けた。中は無人だった。ただ、両脇に古びた自動販売機が連なっている。何を売っているのか、視線を移した恵はすぐに後悔した。そこにはあられもない姿をした女性がパッケージングされた商品がずらりと並んでいた。俗に言うAVである。このインターネットが普及したこの時代に、わざわざアナログな方法で手元に置くのか、と思うけれど、こんな場所が残っているということは一定数の需要があるのだろうと冷静に結論づけた。
それにしてもハズレなし!∞超エロい!≠ネどと虹色のカラーリングで主張されても、胡散臭さとセンスの無さに購買意欲が削がれてしまわないのか。そんな疑問を抱きつつ、AVの他にも避妊具やアダルトグッズが肩を並べているのを横目に、奥へ進んでいった。日が落ちるとすっかり涼しくなってきたというのに、充満した異様な生温かさが服の合間を縫って素肌を撫でる。
やはり、誰もいない。そう踵を返そうとした矢先、背後に気配を感じた。
「探し物、ですか?」
入口から顔を覗かせ、少し片言の言葉を発した男。恵は教えられていた通りに頷き口を開いた。
「野菜を」
その場を支配する自販機の少し心許ない機械音が緊張感を煽る。
もちろん相手の男は八百屋ではない。これもまた大麻を意味する隠語だった。
「確認してください。問題なければ、アナタの荷物も確認します」
ゆっくりと近づいてくる男がカバンの中から袋を取り出す。中には乾燥した葉っぱの屑が詰め込まれていた。
恵は一瞬臆するも、すぐに「問題ない」と言い放つ。そして自分もカバンの中に入っている金を確認させようと、チャックを開ける。
そうやって目を離した一秒にも満たない瞬間、目の前の男が音を立てて崩れ倒れた。
「は……」
恵は目を見張った。そして、倒れた男の背後に立っていた存在へ視線を移す。体格の良い男は、己が刺し殺したものを見下ろしていた。地面に伏したままピクリとも動かないそれは、すでに人ではなくただの肉の塊だった。
一仕事終えたと言いたげな顔で「解散、解散」と独り言を口にする彼と目が合う。恵はたまらず問いかけた。
「お前……何者だ」
男の答えは恵の問いに答えるものではなく、全て悟ったように「……なるほど。そういうことかよ」と呟いた。
「何のことだよ……!」
「安心しろ。お前のことは殺さねぇよ。……ただ、少し吐いてもらわなきゃなんねーかもな」
男が何のことを指しているのか全く分からなかった。恵は男の放つ威圧に負けじと睨み返した。
「ちょっと待って!」
飛び込んできたのはこの場に似合わぬ少女の声。同時にその本人も重たい暖簾を押し退けて姿を表した。
「ハ……何でいるんだよ」
「それはこっちのセリフだよ。何でトウジがいるの? この件に絡んでたのって恵くんだけなんじゃないの?」
そう問いかけたのはもちろんお嬢である。そして、恵と対峙していた男は甚爾だった。
顔見知りでもない彼女が、己の名を口にしたことに恵は混乱して「なんで俺のこと」と呟いた。
しかしそれは続いて入ってきた男たちの発言にかき消された。彼らは「周りは見ちゃダメだよ」「お嬢にはまだ早いからな」と彼女の視線が両側のアダルティな商品に行かないよう立ち塞がった。もちろん、彼女は手に取っても犯罪ではない年齢である。
五条と夏油が盾となったものの、お嬢はそんなものには興味はないので、ただ目の前の甚爾たちを見つめていた。
「ふぅん、そっちの売人を殺したってことは、禪院会の差金ってわけじゃなさそうだな」
「日本人じゃないね。なるほど、どういう繋がりかは知らないけど、大陸の方からの指示で殺したのか」
状況を見て冷静に判断する五条と、死体を観察して答えを導き出そうとする夏油。二人の推理を聞いたお嬢は「そうなの?」と甚爾に問いかける。
現行犯の甚爾は考えるように視線を泳がせたが、最後は正直に頷くしかなかった。
「じゃあ、トウジの仕事はこの人を殺すことだったんだね」
「……何が言いたい」
事実を事実として声に出したお嬢に対し、甚爾は探るように目を細めた。それは一見、鋭利な感情からなるものに見えた。しかし彼女には、拒絶を恐れるが故の牽制に見えて仕方がなかった。
彼女は牙を剥く獣のような甚爾に眉を下げ、頭を振った。
「責めてるわけじゃないよ。ただ仕事が成功してないとトウジの立場が危うくなるでしょ? これで終わりなら早く片付けないと」
「驚かないのか」
「う〜ん、あんまり」
死体を前に首を傾げるお嬢。自分がこの場に来る前にすでに死んでいた人間だ。少しでも言葉を交わし、情が湧いていた存在なら悲しんでいただろうが、赤の他人の死まで悲しんでいたらキリがない。
彼女は手慣れた様子で黒い袋を取り出した甚爾へ問いかける。
「それで、結局どんな依頼だったの?」
「……依頼相手は韓国マフィアだ。向こうの裏カジノでマフィア相手に金を巻き上げた男が日本に亡命したんだと。今度は日本で荒稼ぎしようってんで、向こうのルートを使って薬物を流し始めた。何かあればあっちも巻き込まれる。だから早々に密売ルートを切りたかったんだろ」
「でも韓国で荒稼ぎしてたって人はこの人じゃないでしょ? 日本でも荒稼ぎするなら、韓国でやったことと同じようなことをすれば済む話だし。こんな地道な手は使わないと思うんだけど」
縦に長い袋の中へピッタリと遺体が収まる。お嬢は全てを無かったことにするように、封をしていく甚爾の手元を見つめていた。
「……ったく、何で分かんだよ。張本人への抹殺が依頼されなかったのは、奴が日本のヤクザの懐に潜り込んだせいだ。だから慎重にならざるを得なかったんだろ」
ゆらり、気怠げに立ち上がった甚爾へ、夏油が何か閃いたように「そうか」と呟いた。
「その潜り込んだ日本のヤクザが禪院会ってことか」
「なるほど? じゃあ、コイツを使ってた奴が元凶なわけね」
コイツ、と視線で射抜かれた恵。それまで空気に徹していたせいか、心構えができておらず一つ喉を鳴らした。
話を聞く限り、彼らが皆顔見知りで、他人の死を何とも思わない人間たちだと言うことは理解できた。
いかにもカタギではない風体の男三人は納得できる。しかしお嬢と呼ばれた彼女だけは、この場に順応していることが明らかに異質だった。
何か考え込んでいるように見える彼女へ、「どうしたの?」と周囲の男が尋ねる。そして、彼女は恵を指さした。
「私が気にしてるのはそれ」
正しくは、恵の足元に転がる大麻の入った袋を指さした。
「どうする気だよ」
「回収を命じられてなければ、このまま警察に引き渡す。たぶん恵くんに直接命じてた人が捕まることになるけど」
そこまで言ったお嬢はチラリ、恵へ視線を移した。