その日、本邸には重役たちが集まっていた。理由はただ一つ。男を連れて行方不明になっていたお嬢が戻って来たからである。
平和な休日の昼下がり。鳥の鳴き声くらい聞こえてもいいものの、敷地内は一切物音がせず水を打ったように静まりかえっていた。異様な空気を放つ中、お嬢は緊張感に息を呑み、正面に座る面々からスッと目を逸らした。
「お嬢、何か言うことは?」
「えっと、その……迷惑、かけてごめんなさい」
夜蛾の威圧に恐る恐る頭を下げる。ゲンコツが降ってくるのではと身構えるけれど、代わりに「他には?」という問いが降ってくる。
「他って?」
「……何も思い当たらないのか」
「えぇ……わかんない、です」
家出をしたことによって、皆に心配をかけたことは自覚していた。他に心当たりがあるとすれば、五条と夏油を刑務所にぶち込んでしまうところだったことだが、それは彼女の口にした「迷惑」の中に含まれている。彼女にはこれ以上反省する過ちが思い浮かばなかった。
夜蛾を含め、その場にいた全員の口から盛大なため息が漏れ出た。彼女はわけが分からず隣で胡座をかいた甚爾に助けを求めるも、甚爾もまた呆れた視線を彼女に向けていたので、内心慌てて周囲の大人たちの顔色を伺った。
「お嬢。いろいろと思うところはありますが……少々言わせてもらっても?」
それまで頭を抱えていた七海が、発言の許可を得ようと静かに挙手する。
改まったその仕草に、拒否権などないことを悟ったお嬢は小さく頷く。七海は前置きのようにゴホンと一つ咳をすると、真剣な眼差しを向けた。
「この世界に身を置き約十年……私が学び気付いたことは……やはりヤクザはクソということです!」
声高に言い放った七海の言葉に、お嬢と甚爾はポカンと口を開け、周りにいた構成員たちは戸惑いがちに顔を見合わせた。
そんな困惑する面々の中で、一番始めに声を上げたのは五条だった。
「ハァ⁉︎ お前もヤクザじゃん!」
「えぇ、そうです。ヤクザですよ。だから私も含め、ここはクソの掃き溜めだということを今一度、改めて、お伝えしたい」
七海はここ数日溜まっていたストレスを込めて、主に五条と夏油を凝視しながら圧をかけた口調で言い切った。
「それはこの流れで言わなくてもいいんじゃないかな」
夏油の指摘はもっともだった。そんなことは七海自身も分かっている。そんな思いも込めて、夏油の言葉を手で制した七海は続く言葉を言い放った。
「しかし……! 未成年の女性の元へ転がり込み、ましてや衣食住の全てに置いて寄生する成人男性なんてもっとクソです!」
「そーだそーだ‼︎」
「七海、もっと言ってやってくれ」
「手のひらくるっくるだな、オイ」
先ほどまで七海に否定的だった五条と夏油がすぐさま肩を持ち始めたことに、甚爾は呆れを通り越して静かにツッコむしかできなかった。しかしその声は、自身へ向けられる周囲のブーイングによってかき消された。
「同じクソならマシな方を選ぶべきです!」
至極まともな七海の意見に、お嬢はどうして良いか分からなかった。散々宙を彷徨った視線は、最終的に数少ない良心とも言える灰原と猪野の元へ行き着いた。
「僕らが自立するべきじゃないかって説得しておいてなんだけど、やっぱり戻ってくるべきかと思うよ」
「みんなお嬢のことが心配なんスよ」
彼らにそう言われてしまえば、反論する気など起きない。
考え込むように項垂れた彼女の頭を優しく撫でた夏油は、顔を覗き込み威圧しないよう精一杯の優しい声音で問いかける。
「それで? そろそろソレとどこで出会ったのか教えてくれてもいいんじゃないか?」
「……道で、たまたま拾った」
「そんなわけあるかよ! 今時漫画でもそんな使い古されたネタ使わねぇだろ」
「ほんと! ほんとなの!」
半ベソで訴えるけれど、五条も夏油も聞く耳を持たない。
あやすように彼女の背を撫でる五条は、甚爾に鋭い視線を向けた。
「お前、禪院のヤツだろ」
「へぇ……よく調べてるじゃねぇか」
「何故お嬢に近づいた」
「ひでぇ言いようだな。さっきコイツが言ったろ。偶然会った。それ以上でもそれ以下でもねぇよ。それとも何か? お前らの大事な大事なお嬢の言うことが信じられねーってか?」
いっそ心地よい程に煽り倒した甚爾に対し、血管が何本か切れる音を聞いた五条と夏油は「よし、殺そう」と立ち上がる。それを受けて甚爾も「やれるもんならやってみろ」と喧嘩を売るので、見かねた七海が間に入る。
「お願いですから早まらないでください!」
「そうですよ! やるなら庭でやりましょう!」
「灰原、そういうことじゃないでしょう……っ!」
今にも掴みかかりそうな五条と夏油。それを止める七海たち。乱闘寸前の騒ぎの中、それまで押し黙っていたお嬢が口を開いた。
「……私、ここに戻る」
ピタリ、動きを止めた男たち。その様子を見渡した彼女は、隣に座る甚爾の服の裾をぎゅっと握った。
「その代わり、トウジも一緒」
一つ譲る代わりに、もう一つは絶対譲れない。そう眼差しで訴える。
五条たちが反論する中、夜蛾は七海に目配せをする。それを受けて七海も諦めたようなため息と共に「……分かりました」と頷いた。
「はぁ? 勝手に決めてんじゃねぇよ」
「貴方たちの一番の目的はお嬢を本邸に連れ戻すことでしょう。それが叶うだけマシではありませんか」
お嬢がペットと称して人間、それも別の会に属していた男を拾ったなどという頭のネジが外れた事件のせいですっかり頭の隅に追いやられていたが、五条と夏油は初めからお嬢の一人暮らしに反対し、本邸へ連れ戻せたらと策略を巡らせていたのだ。
それを思い出した二人はぴたりと動きを止める。夏油は己を止めるために死に物狂いでしがみついていた灰原の肩を叩き、白旗をあげた。
「……悟。七海の言う通りだ」
「ハ、お前まで何言って」
「ここにいれば奴も下手な真似はしないだろう」
そう言った夏油は「それに……」と五条の耳元に口を寄せる。一言、二言告げれば、眉間に皺を寄せていた五条も、渋々といった様ではあったが「たっく、しょうがねぇな」と頷いた。
「ほんと⁉︎ よかったぁ〜」
喜びのあまり甚爾に抱きついたお嬢。その様子に一同目を剥いた。お嬢のおしめを変えたこともある夜蛾は長年培ってきた父性が悲鳴をあげ、あまりのショックで顔を覆った。七海はもはや微動だにせず、灰原は頬を染め「ハレンチ!」と叫び、猪野は五条と夏油が再び暴れ出さないか青い顔で様子を伺った。
「お嬢」
五条が放ったのか、夏油が放ったのか分からぬほど低く、地鳴りのするような声音。急激に冷えた空間に、ピシピシと徐々に氷が這うような幻聴まで聞こえてくる。
甚爾に抱きついたまま固まったお嬢を引っぺがした五条は、誰もが見惚れるような綺麗な笑顔を作った。しかし、皆怖すぎて直視できずに目を逸らす。
「もう二度と、俺らから逃げるなんて、そんな馬鹿な真似しないよな?」
首を縦に振ることしか許されていない。その圧に負けてお嬢は怖々頷いた。「いい子だね」と撫でる夏油の目はもはや笑っていなかった。
「楽しい
お嬢の望みは無事に受け入れられた。しかし、もしかしたらその代償は、とんでもないほど大きいものになってしまうのではないか。そう今さら気づいてももう遅い。
お嬢とペットとセコムによる生活は、果たして無事に日常となるのだろうか。
これ以上、巻き込まれるのはごめんだと、良識のある大人たちの胃がキリキリ痛むのだった。