甚爾を加えた本邸の日常。彼をこの場に置くことに関して散々騒いだけれど、日々大勢の人間が出入りする環境に一人増えたところで特に問題はない。……そう、問題はないのだが、それこそがおかしなところでもあった。
違和感がある。お嬢は自室に向かう足をふと止めた。
彼女が感じた小骨が喉に引っかかるような小さな不和。その正体は間違いなく五条と夏油だった。あれだけ彼女と甚爾の関係に反対していたのだから、常に争いは絶えないものだと思っていたのに、彼らは少し恐怖を感じるくらいには沈黙を貫いていた。
外へ目を向けると甚爾がいた。均等に箒目が付けられた砂利が敷き詰められた庭には、何人たりとも触れることを許さないような緊張感があった。それでいて張り巡らされたその警戒心を悟らせない。至って自然な雰囲気を取り繕った空間を甚爾は無遠慮に歩いている。漣を模し、小綺麗に整えられた砂利など目に入らぬかのように踏み荒らしていく。
その姿に特別な理由などなかったが、呼びかけたくなった。ただ、己に向けられたものが何であろうと関係ないと言いたげな堂々たる彼の姿が頼もしく思えた。彼女は窓の鍵に手をかける。
「お嬢」
彼女の背後。すぐ傍の廊下の角から顔を覗かせた夏油に呼び止められた。
「お土産あるよ。こっちおいで」
「……分かった!」
一瞬迷うように視線を外へ向けたものの、彼女は夏油の元へ歩み寄った。
やっぱり、違和感がある。夏油の顔を横目で盗み見た彼女はそう思った。甚爾に話しかけようとするタイミングを、あたかも自然を装って奪われている。
「お嬢〜桃鉄やろーぜ!」
「お嬢、湯冷めするよ。早く部屋に戻った方がいい」
「お嬢、課題見てやるよ」
「お嬢」
夕飯前、入浴後、就寝前、と立て続けに阻止された。そして、皆が寝静まった真夜中に部屋を出てみれば、再び夏油に呼び止められた。
「そんなところで何してるのかな?」
「お手洗いに行こうと思って」
何もおかしなことを言ったわけではないのに、夏油は「ふうん」と明らかに腑に落ちていない口調で返事をした。
「夜更かしする悪い子のところにはおばけが出るよ」
「嘘ばっかり。傑くん、いつまで経っても子供扱いする」
「お嬢はまだまだ子供だよ」
彼女もあと一年もしないうちに二十歳になる。一般的に成人と呼ばれる一歩手前までやってきているのにもかかわらず、夏油も五条も幼い子供にするような関わり方をやめない。心配してくれるのはありがたいけれど、もう子供ではないのだと声をあげたくなった。
「納得いかない」
「そう? お嬢にとってはまだ子供でいた方が都合がいいと思うけど」
「どういう意味?」
夏油の思惑が分からず彼女は首を傾げる。
月明かりだけが差し込む静寂と本能的に恐怖を煽る闇が佇む廊下で、夏油と彼女は見つめ合う。
「知りたい?」
「……いい」
お嬢は首を横に振って夏油の横を通り過ぎた。
わけを聞いてしまえばもう戻れない。直感的にそう感じた。何も恐れることはないけれど、居心地のいい今をもう少しだけ味わいたい。それが子供というのであれば、夏油の言葉は間違っていなかった。無理をして背伸びなどせず甘えたな子供でいれば、彼らもそれを理解して相応の関係でいてくれる。
言葉にはできないけれど、本能で察した彼女は、深いため息とともに逃げ込んだトイレの個室からそっと出る。しかし、誰もいないと思っていた戸の前には人影が立ちはだかっていた。
「ヒッ」
「そんなに怯えてなくてもいいだろ」
引き攣った声を上げた彼女は声の主が五条だと分かり緊張を緩めた。
「もしかして、なんかやましい事でもあるわけ?」
「ない、ないよ」
誰だって暗闇の中で人が突っ立っていたら驚くだろう。それに先ほど「悪い子のところにはおばけが出る」などと夏油に脅されたばかりなのだ。子供騙しであるとは分かっていても、気に留めてしまった以上意識してしまっていた。
彼女は恐怖から解放された安堵が呆れと変わり、ゆるゆると頭を振った。
「まさかこんな時間にアイツの部屋に行こうとしてたなんて言わねぇよな」
「……悟くん。ずっと邪魔してるでしょ」
「何のことだか」
彼女がここ最近感じていた違和感の正体を指摘するも、五条はとぼけた様子で頭の後ろ手を組んだ。
「トウジと話したいだけなのに、何でダメなの? 別に部屋まで分けなくてよかったのに。今までも一緒に寝てたもん」
「ハイ、ダメー! 根本的に全部おかしいでーす」
小馬鹿にした五条の言い方に、お嬢はむくれ唇を突き出し、納得いかないと眉を寄せては、眉間に皺を作った。不機嫌をそのままにムキになって甚爾の部屋へと歩き出すけれど、五条は慌てる様子もなく大きな歩調で彼女との距離を詰めた。
「つか、一緒に寝てたってどういうことだよ? 初耳なんだけど」
「だって聞かれなかったから」
「俺たちはアイツと一緒に居たい≠チてお嬢のわがまま聞いてやってんの。何のために部屋を別にしたのか、お嬢の頭じゃ分かんないのかなぁ?」
「……いじわる」
ポツリ、彼女が呟く。しかし「意地悪で結構でーす」と舌を突き出しわざと戯けた五条は、有無を言わせず彼女を抱き上げた。
「言うことを聞かない悪い子は部屋まで強制送還しまーす」
彼女の抵抗も虚しく、五条の足によりあっという間に自室にたどり着く。
「おかえり」
「なんで傑くんがいるの」
「布団温めてあげようと思ってね」
至極当然の顔をしてお嬢のベッドの上に夏油が横になっている。彼女を誘導するかのように場所を空け、掛け布団をめくる夏油は、よく胡散臭いと言われる笑顔を向ける。彼女は本当かなぁとは疑いつつも、いつもこの笑顔に騙されるのである。
「傑、もっと奥詰めろよ」
「はいはい」
ベッドはただでさえ狭いというのに、その上平均より体格に恵まれた成人男性が二人に挟まれるとなると、夏油に騙されかけた彼女も流石に疑念の声を上げる。
「二人ともここで寝るの?」
「そうだけど」
「何か問題あるかな?」
整った顔に圧を張り付けた二人はお嬢を見つめた。
「悟くん、さっき男と寝るのダメって言った」
「ハァ? そんなの俺らは別に決まってんじゃん」
理不尽極まりない。完全に先程と言っていることが矛盾している。自分たちのこと棚に上げた、都合の良いでまかせではないか。
そう訴えればいいものの、彼女の頭では残念ながらその不合理に気付けなかった。「そうなの?」と首を傾げて問う彼女に、夏油は「そうだよ」と笑みを向ける。まるで詐欺師である。しかしその罠にまんまとハマったお嬢は、そうなのかと素直に納得し「じゃあいっか」と図体のデカい男たちの間で顎の下まで掛け布団を被り直した。
「おやすみ〜」
穏やかに目を閉じたお嬢。チョロい。チョロすぎると、さすがに心配になる二人は顔を見合わせ盛大なため息を吐いた。
「寝ないの?」
「寝る!」
「なんで怒ってるの……」
ここで寝るって言い出したのは二人なのに……と困惑するも、人肌に挟まれたお陰で意識がするりと無に溶けていく。
「お嬢、まだ大人になるなよ」
微睡の中で聞いた言葉は、夢か現か分からぬままどこへも引っかかることなく通り過ぎて行った。