隙を見せた方が負ける
呪い。それは光の当たる日常にも影が付き纏うように、私たちの生活のすぐ傍に蔓延っているらしい。呪霊と呼ばれる存在や、それを生み出しているのが私のようななんの能力も持っていない人間なのだという。
叔父の件があるため、一部の人間が聞いたら陰謀論だと騒ぎ出しそうな怪しげな内容をこんこんと説かれ、取り敢えず理解することができた。彼が初めから嫌悪を示していたのは、私が非術師だから。今の社会では、道端にポイ捨てされたゴミを何の関係もない人々が処理しているようなものだ。所謂術師の彼らが損する役回りを担っている。それは確かに道徳的に考えればおかしなことで、現状の体制自体を変えられるのならそちらの方が良い。命の危険もあるというのなら尚更だ。しかし、現実はそううまくはいかないらしく、彼の出した結論はお荷物は切り捨てたほうが良い、ということらしい。
弱肉強食の世界で、淘汰される生物がいるのは事実。だからといって、誰もそちら側だと思って生活していないのだ。もし、彼の説いたこの世の摂理が世間に知れ渡ったとしても、皆口を揃えて「だから何?」と言うだろう。小を殺して大を生かす。最大多数の最大幸福。今までそれで成り立っていたのなら、今更どうこうしようとは誰も思わない。人助けが出来ているのだからありがたいと思え、とまで言う人々も出てくるかもしれない。ブラック企業に負けず劣らずのやりがい搾取もいいところだ。それではいつまでたっても、彼らはただ大多数の安寧を得るための人柱だ。
そこまでの思考に至っておきながら、私は何もできない。ただ今まで蓄積された憎しみの受け皿になることしか思いつかない。きっと彼が非術師を虐殺したとしても、私は今と同じく何もできずに沈黙を貫くか、肉塊に成り果てているかの二択だろう。
「君は呪いも連れてくるし、金にもなる。一石二鳥の良い物件だよ」
「はぁ、それはどうも」
我ながら感情のこもっていない返答だと思った。そんなことなど気に留めていない彼は、「猿も使いようだ」とホクホクと機嫌よく顔を綻ばせている。
どうやら回収していた蔵にあった物たちが言い値で売れたらしい。恐らく私に提示していた額より倍以上だ。ざっくりと金の出どころを聞くと、国外の買い手が多かった。
ちなみに一番高額だったのは、私も触れたあの壺だ。韓国の術師連合が半世紀以上捜索していたらしく、懸賞金までかけられていたお陰で仲介人を通しても相当の額が入ったという。あれはチョウセンツボと言って、ある地域の人間を全滅にまで追いやった呪物だと教えられた。当時の役人が処分に困り術師に封印を命じたものの、それから行方知れずになっていたらしい。どのような経緯かは分からないけれど、いつの間にか海を渡って日本中を点々としていたところを叔父が引き取った、という筋書きが有力だった。
ふう、とため息を吐く。慣れないことを考えると疲れてくる。机の上に乱雑に広がった授業の資料をまとめながら、何故か他人の家に度々上がり込んでくる夏油さんへ視線を向ける。
「猿呼びされる理由はわかりましたけど、もう少し隠そうとか、そういうのないんですね」
「しないよ、そんな面倒なこと」
「信者にはしてるんでしょう」
「そりゃあね。でも、君には取り繕う理由がない」
利害関係だから、と言われればそれまでなのだが、こちらとしてはナチュラルに罵られているようであまり気分の良いものではない。
睨む、まではいかない程度の軽蔑の視線を向けつつ、パソコンを立ち上げる。画面の上でグルグルと回るアイコンに視線を戻し、少し汗をかいたアイスコーヒーに口をつけた。薄い。
「もう少し嬉しそうにできないのかな」
「何でですか、それこそ理由がないです」
呆れ返った本音が零れる。彼が取り繕わないのなら、私も取り繕う必要もない。良くも悪くも、お互いがどう思おうとも成り立つのが利害関係なのだから。
友人から送られてきた資料を開き、目を通す。友人数名とは夏休みに二泊三日の旅行を計画していたものの、私は叔父の不幸が重なりドタキャンしてしまった。それにもかかわらずレポートがやばいと泣きついたら、資料集めまで手伝ってくれたのだから本当にいい友人をもった。
叔父の死を言い訳に学業を疎かには出来ない。親戚の手前、何か一つでも弱みを見せたら負けた気がする。そして何より叔父が一番望まない。孝行すらできなかったのだから、きちんと単位を取って卒業することくらいしなければ頭が上がらない。
ぼんやりとそんなことを考えてしまい、内容が入ってこない。キーボードに目を落とすと、ぬっと何かが迫ってくる。
「ちょっと」
「なになに、世界経済の長期的な構造変化に」
「ただの経済史のレポートですよ。どいてください」
画面を覗き込んでくる大きな身体を押し除けるが、相当鍛えているのかびくともしない。圧がある風貌なのは袈裟のせいかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。
彼は少し意外そうに私の顔を食い入るように見つめてくる。
「そうか、学生だったね」
「就活を控えた限界大学生ですけど、何か」
「外でも内でも大変だと思っただけさ」
「いや、教祖の方が忙しそうですけど」
「まぁね」
だったら何故うちにいるんだ。課題の邪魔をするなら早く帰って欲しい。
その胸の内の呟きは当然彼に届くことはない。揶揄いがいのあるおもちゃを見つけた、と言いたげな笑みと共に彼は「それじゃあうちに就職するかい?」と宣った。
「嫌ですよ。新興宗教団体に内定決まりました〜! なんて教授に報告できないでしょ」
「そこらのブラック企業よりはマシだと思うけどね」
「それでも夏油さんの下で働く自信がないので」
「同い年で教祖が務まってるんだ。やればできるだろう」
「嘘ぉ……」
唸り声のような呟きが、奇妙な沈黙を生んだ。
同い年、嘘だろう。改めて彼の素性を全く知らなかったことと、そんな怪しすぎる男を家にあげることに慣れ始めていた自分が怖い。
一方で同い年の男に対して必要以上に警戒するのも馬鹿馬鹿しく思えた。親近感とは言わないまでも、それに近い何かが張っていた肩肘を弛緩していく。
「敬語使う必要なかった」
「ふふ、手のひら返しが早いね」
私に利用価値があると知って取り入ってきた彼にだけは言われたくない。
何だかすっかり気が抜けてしまった。私は進まない課題を前に、冷房で冷えた机に突っ伏した。