十三、喜怒哀楽・春夏秋冬 参



 ──春

「裏梅さん、嬉しそうですね」
「……顔に出ていましたか」

 薄く微笑を浮かべていた裏梅さんは、咄嗟に面を引き締める。

 その様子が珍しくもあり、どこか可愛らしく思えて、私はくすりと笑った。

「暖かくなると食材が手に入りやすくなりますからね」

 裏梅さんはそう取り繕う。そして再び表情を緩め「品数が増えますよ」と言うので、私もまた「宿儺様も喜びますね」と柔らかく眉を下げた。
 雪解けに季節の移ろいを感じていたら、あっという間に桜が咲き始め、今では頭上を覆うほど咲き誇っている。雪景色の山陰を後にして、海を渡り、春の訪れと共に筑紫に着いた。麗かな陽気とはこんなにも心地よいものだったのか。
 そう遠くの空を見上げれば、土煙が立ち上っている。凄まじい轟音が響くと、人々は怯えるように家の中に逃げ込んだ。和やかな昼下がりに似つかわしくないその様子を横目に、私と裏梅さんは桜の樹の下で佇んでいた。

「宿儺様、生き生きとされてますね」
「太宰府は異国との交易が盛んですからね。京では出会うこともない、珍しい術式を持った異人の術師も多いはずです」
「ここまでの道中、あまり骨のある相手がいなかったとおっしゃっていましたから、溜まっていた鬱憤を晴らすのにもちょうど良いですね」

 ほっこりと笑い合う。宿儺様がのびのびと過ごせることは私たちにとっても喜ばしい。けれど、民にとってはそうではない。立ち寄った因幡や出雲、その近隣の土地で厄災が歩いてくるようなものだと言われ、恐れられている。こうやって平穏を壊されたのだ。恐らくここでもそうなるだろう。
 人々の悲痛な叫声が響いても、何も聞こえなかったと思い込んだ。宿儺様が己の快を満たすことこそ何より尊い。世が荒れようとも主に必要とされる日々が続くのなら、私は永遠に厄災であることを願う。

「それに日向の地では呪物の捜索で騒がしいですし、ここにもその影響はありそうですね」
「呪物の捜索?」

 そう問いかけた私に裏梅さんは頷いた。

「三つ又の天逆鉾が一つ欠けたらしいですよ。その欠片を探して術師同士の戦闘が起きているとか」
「そうなんですか……でも、それなら日向へ向かう術師がこの辺にたくさんいそうですね」

 わざわざ戦地に赴くのだから、腕に自信がある術師が集まっているだろう。宿儺様の暇つぶしにはきっとなるはずだ。

「それでは下ごしらえを始めたいので、先に戻っていますね」
「分かりました」

 思考の底から引き戻された私は頷き返し、荷車を引く裏梅さんを見送った。
 私は逃げる人々の波に逆らって渦中の場所を目指す。混乱によって横転した牛車を目の端で捉える。数人がかりでなければ起こせないだろうと思いながら通り過ぎようとした刹那、視線がかち合う。相手は夜明けを体現したような涼やかな男装をした女人。その姿から白拍子しらびょうしであることが分かる。歌舞を披露することを生業にし、時には殿方の相手もするというだけあって姿形から佇まいまで美しい。そんな相手に見つめられたまま、周りの様子に目もくれず歩み寄られる。

「お久しぶりですね」
「えっと……?」
「忘れてしまわれたのですか……悲しいです」

 そう言って白拍子は口元を袖で隠し、眉を下げる。どんな表情を作っても麗人には変わりない。

「これなら思い出してもらえるでしょうか?」

 戸惑う私に笑いかけた彼女は、頭に乗せた烏帽子を取る。露わになった額には見覚えがあった。

「け、羂索殿……?」

 縫い目を前に恐る恐る尋ねると、彼女は「ええ」と柔らかく首を縦に振る。

「随分と変わられましたね……まさか女人になっているなんて想像もつきませんでした」
「この姿はいろいろと役に立つので」
「役に、ですか」

 不意に疑問を口にすると、羂索殿はずいと一歩間合いを詰めた。同じ高さにある美しい顔が迫る。

「どうです?」
「何が、でしょう……?」
「美しいとは思いませんか」
「え、ええ。それはもう」

 質問の意図が分からず、尻込みしながらも正直に何度か頷く。すると満足したのか、羂索殿はすっと身を引いた。

「物にまでそう思われると安心しますね。美しいというだけで飛びつく男のさがには感謝しなければ」
「……もしかして、目的は諜報ですか」
「互いに女人の姿には助けられますね」

 肯定も否定もせず意味深に肩を竦める姿に、予想は当たっていたのだと確信する。私が女であるのもそれが理由だと薄々勘付いていた。宿儺様が望むのであればどんな手段を使うことも厭わないけれど、チクリと胸の内が痛んだ。

「宿儺は元気そうですね」
「はい、旅に出てからは余計に。京にいた時は退屈そうにされていましたから」
「そうですか? あれはあれで楽しんでいたように見えましたけど」

 そうだっただろうかと、羂索殿の言葉に首を傾げる。私が見ていた宿儺様はどんな顔をしていただろうか。思い出そうにも、宿儺様に隠し事をしようとすることに精一杯で、あまり宿儺様の気持ちを考えることがなかったように思う。
 何故見過ごすことができたのだろう。そう己の愚かさを悔いれば、どんどん気持ちが沈んでいく。
 私は羂索殿の前だと気を奮いたたせ、顔を上げた。

「そうでした。これ、お返しします」

 背負っていた荷を解き、本を取り出す。そのまま手渡すと、羂索殿はようやく思い出したのか「ああ、そうでしたね」と呟いた。

「しばらくここにいるのでしょう? 新しいものを持って行きますよ」
「本当ですか! 嬉しいです」

 気遣いに礼を言い頭を下げる。「気に入ってくれたようで何よりですよ」と朗らかに言う羂索殿との間に一つの影が割って入る。

「姉様」

 見目からして同じ白拍子だろう。羂索殿の姿が夜明けの風であれば、彼女は真昼の蝶だった。柔らかく可憐な顔立ちは男装をしていても可愛らしく映る。羂索殿を姉と慕う様も微笑ましい。

「そろそろ参りませんと」
「分かりました」

 牛車の用意ができたのだろう。羂索殿は彼女と短い言葉を交わし、私に向き直る。

「それでは、千乃。また」
「はい、また」

 お気をつけて、と二人の背を見送る。先を行く羂索殿の後ろで、妹分の彼女が振り返った。可愛らしい顔を無にして私を一瞥すると、何もなかったかのように去っていった。
 彼女に何か失礼を働いた覚えはない。今後関わることもないだろうと気にすることはなかった。







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永遠に白線