二、心魂開闢 弐



 闇夜は呪いのために存在している。
 日が落ちればそれまで身を潜めていた低級までもが、蛆のように湧いて出るのだから、力のない呪霊にとって、巣食っている闇が深くなればなるほど都合の良いのだろう。
 特に今宵のような月明かりのない夜など、恰好の餌食だった。

「灯りを持て」

 先を行く宿儺様に命じられるがまま、手火に火種を移す。松の割り木の先端がゆっくりと燃え上がった。次第に火の粉が舞い、パチパチと音を立て始める。
 その音には心覚えがあった。私が初めて耳にしたのも、炎が燃え盛る音だったと、仕舞っていた記憶の糸を引いた。

 ──屋敷全体に鳴り響く木のはぜる音。柱を駆け上がる炎。頭上に広がる黒煙。熱が頬を焼き、体内を圧迫する。見渡す限り、目映いほどの鮮烈な赤を前に、私は宿儺様によって生み出された。
 何故彼が業火に包まれていたのか、当時はもちろんのこと、今思い返してみても分からない。ただ一つ明確なのは、あの時、あの瞬間に、従順な人の手を欲していたということ。そうでもなければ火事場の真っ只中で従者など顕現しないだろう。
 今でも荒れ狂う炎に負けることのない、凛とした眼差しを覚えている。轟々と渦を巻く火の手の中心で、まだ己の肩ほどもない背丈の主が私を見上げて言った。

「──お前は、かわってくれるなよ」

 あの光景だけは寸分狂わず思い出すことができる。あれは私に課せられた初めての、そして生涯をかけて果たすべき命だった。
 変わらない。変わることを望まれていない。だから、私はあの日のまま、完璧な物として心を押し殺さなければならない。



「千乃」

 名を呼ばれ、顔を上げた。どうやら随分と深く記憶の中に沈み込んでいたらしい。
 宿儺様の視線の先を辿る。屋敷から少し下った先にある小高い丘から見えたのは、点々と警備の灯火が浮かぶだけの、闇に包まれた平安京。人気に代わり、呪いの気配がひしめいている。
 そして、それは都から少し離れた山中にあるこの場所も変わらない。山道から伸びる脇道には、呪霊が群がっていた。
 唯一屋敷に通じる道ではあるものの、非術師はもちろん術師にも存在を悟られぬよう帳を降ろしている。しかし、陰と陽の均衡が崩れる新月の夜は、更に高まる宿儺様の残穢を辿って意志のない低級の呪霊たちが引き寄せられてしまう。

「お前はそこで火の番でもしておけ」

 宿儺様は私を一瞥することもなく、生い茂る木々を割って伸びる脇道へ降り立つ。返事さえ必要とされていない私は、帳の外を見据え坂の下に構える山門へ向かう主の背中を見送るしかなかった。
 あの程度の呪霊の祓除など、宿儺様にとっては羽虫を払うようなものだ。わざわざ御自ら手を下さなくとも、従者に任せてよいはずなのに。
 昔なら迷わずその役目を任されていただろうに、今は良くて火の番。それどころか、最近では供として屋敷から連れ出されないことだって多い。

 ──役立たず。

 そう知らぬところで従者にあるまじき汚名を着せられているのではないかと、気が気ではない。
 何をしてしまったのだろうか。何がいけなかったのだろうか。そう己に問いかけても、私の中には命令以外の正解が存在しない。いっそ宿儺様に問いかけてしまいたくなるけれど、それでは私が思い悩んでいると知られてしまう。役立たずだと自身の存在を恥じる以前に、宿儺様の意に背く行為だった。
 だから、私は声を上げない。ただ命令に忠実であることこそ、宿儺様の下僕としての最後の矜持だった。






目次

永遠に白線