二十四、類稀なる 参
それから七百年あまり、この家で生きてきた。時折数十年ほど長く眠りについてしまうこと以外は、あの頃から少しも変わっていない。宿儺様がいない世で、もう動くことのない宿儺様の心臓を胸の奥に抱えたまま、未だ終わりのない地獄に苦しんでいる。
禪院家もまた地獄と呼べる有様で現世に存在している。御三家という肩書きが人を歪め、排他的で差別が蔓延り、悪習ばかりが浮き彫りになっていた。
しかし数百年もの月日を過ごしていれば、この家での立ち回りは案外容易いものであった。もとより下僕として扱われることには慣れている。理不尽をいなし、後ろで控えていれば何の問題もない。長い時の中で積み重ねてきた信頼や、生まれた時からすでに存在しているという安心感の刷り込みがこの家の人間を懐柔し、私という得体の知れない呪いを受け入れやすくさせていた。
少しの間眠っていたとはいえ、今回も例外ではない。直接私を知らない若者達には不思議そうに見られることはあっても、当主やそれに近い年配の者には懐かしがられ、思い出話に花を咲かせている。お陰で待遇が以前より悪くなることもなく、女中達と共に給仕から雑務までこなす生活に戻っていた。
躯倶留隊の鍛錬が終わったと聞き、道場へ向かう。彼らが使った場所を片付け掃除するのも女中に任される雑務の一つだった。
五月晴れの下、池に咲く菖蒲の花を眺める。縁起が良いからと植えたのは何代前の当主だっただろうか。そんなことを考えながら、噸の間に足を踏み入れた。
「……なんで今日に限って来んだよ」
「ちょうど手が空いていたの。それに皆あまりここには近づきたがらないから」
畳が敷き詰められただだっ広い空間に、一人転がされている甚爾は、不機嫌を露わにそっぽを向いた。
言われなくとも分かる。今日も今日とて変わらず、嫌がらせを受けたのだろう。
「笑えよ」
少年のものとは思えないほど乾いた言葉に、ゆるゆると静かに首を振った。
「笑う理由がないもの」
小さな身体で理不尽に耐えている様子を見て馬鹿にするほど人≠ノはなれていない。骨の髄までこの家に浸かりきっているけれど、何一つ可笑しいとは思えないのだ。
のそのそと身体を起こした甚爾の傍に寄り、膝をついて彼の肌に残る痕に目を落とす。
「いつも傷だらけ」
初めて出会ったあの時からずっとそうだ。幼い身でありながら虐げられている。確かに全く呪力がない人間は初めて見たけれど、この術式至上主義の閉鎖空間では特に異端児として扱われてしまっていた。
「私が治してあげられたらいいんだけれど」
「別にいい。加減はしてる」
他者へ反転術式が使えないことを嘆くと、彼は感情を乗せずに前を見据えた。
「アイツらはただ俺を傷つけたいだけだ。それでストレス発散してんだよ」
「そこまで分かっていて受け入れてるの」
「立ち回り方は心得てる」
やろうと思えば返り討ちにできるのだろう。けれど、それをしてしまえば余計に風当たりが強くなることを理解している。
聡い子だと彼の頭に手を置いた。栄養が行き渡っていないのか少しパサついているものの、柔らかく手のひらに収まる黒々とした髪を優しく撫でる。
「甚爾は強いね」
「嫌味かよ」
口をへの字に曲げた甚爾にジトリと睨まれる。私は眉を下げ、手を引っ込めた。
「そんなこと。この家の人間をずっと見てきた私が言うんだから嘘じゃない」
「こんな腐った家を何百年も、ね。ご苦労なことで」
「昔からこうだったんじゃないの……きっと、驕りと時が人を変えてしまったんだろうね」
私にはどうすることもできない。寧ろ簡単に変わっていく彼らが羨ましくも思えた。
私も変わりたい。変わればきっと宿儺様の言葉の意味が分かるのだろう。
「何ボーっとしてんだ」
視線を落としていた私は、自力で立ち上がった甚爾を見上げる。視線がかち合うと、スッと差し出される手。まるで初めて彼と出会ったあの時の私を真似ているようだった。
「掃除だろ。手伝ってやるよ」
この劣悪な環境で憎しみのままに身を委ねるわけではなく、優しさを忘れずにいる彼のことを心の底から称賛し、尊敬している。
だからこそ、このまま育って欲しいと願わずにはいられない。いつの日か希望を見出して、幸せになって欲しいと、誰かに対して思ったのは初めてだった。
私は「ありがとう」と感謝を告げ、彼の手を取った。