二十五、類稀なる 肆



「こんな所にいた」

 はしごを登り終え、やぐらの中に呼びかけると、豪快に足を投げ出し頭の後ろで手を組んで眠りこけている甚爾がゴロリと寝返りをうった。

「寝るなら部屋で寝ればいいのに」
「ここが静かで落ち着くんだよ」
「落ち着くって……見張り番、代わってもらったわけじゃなさそうだけど」

 隅には本来当番だったはずの青年が転がっている。
 有事の際、即座に警鐘を鳴らすことができるよう二十四時間体制で高台に見張りをつけており、当番は躯倶留隊の中から割り振られている。大方他の雑務をサボりたい甚爾が当番の不意をつき気絶させて居場所を奪ったのだろう。これでは奇襲と間違われても文句は言えまい。
 くあ、とあくびを零した甚爾に苦言を呈すが、彼は「これほど楽な仕事はねーからな」
と言い、ニヤリと笑った。

「それは見張ってないからでしょう」
「こんなとこから何見張るっていうんだよ。どーせこの鐘が鳴ることなんて一生ねぇよ」

 頭上にぶら下がる鐘を顎で指し示した甚爾にため息を吐く。
 この数ヶ月で彼は、良く言えば溌剌とした表情を見せるようになり、悪く言えば狡猾な面を見せ始めるようになった。また生来の性格からやられっぱなしは性に合わないと、これまで受け流していた嫌がらせにも積極的に噛み付き返すようになった。
 反抗心が芽生える心の余裕ができたのか、以前と比べ身勝手な振る舞いも増えてきた。それは子供らしい悪というよりは大分捻くれているように感じるけれど、これまでの環境を考えると仕方がないのだろう。何より、目に光が宿るようになったのは良い傾向だと思う。

「隊長が呼んでたけど今度は何したの?」

 そう本題を振るが、甚爾は心当たりがありすぎると肩を竦めた。
 こうなってしまえば何を言っても無駄なのは目に見えている。私は諦めて櫓から景色を見渡した。
 禪院家の広い敷地を囲う塀の先には、平和な京都市内が広がっている。高さの無い建物の屋根が連なる中、遠くに京都タワーが主張するように顔を出していた。
 何時ぞやの京とは見紛う風景だが、高い空と地を隔てるように囲う山々はあの頃から何ら変わらない。
 肌馴染みの良い風が吹き抜ける。今日はいつにも増して暖かかった。

「いい天気。確かに部屋で寝るよりここの方が気持ちいいね」

 甚爾に呼びかけたようでいて、ただただ一人でにこぼれ落ちた言葉だった。特別返答を必要とはしていなかったけれど、甚爾から予想外な問いが返ってくる。

「こんな家の中に閉じこめられて窮屈だろ」

 思わず目を丸くした私は瞬きを繰り返す。心底驚きながら、淡々と視線を注いでくる甚爾を見つめ返す。

「そう見える?」
「望んでここにいる奴なんて、相当な物好きだろ」
「……」

 押し黙る他なかった。私がここにいるのは一つの選択肢として与えられたとはいえ、自ら選んだことだった。皆は勘違いしているが、ここから出られない縛りもない。生きる理由もなく、死ぬことも許されない、ただ行く先がなかった私が縋り付いてしまった唯一の場所。どれだけ腐敗し生き地獄になろうとも、ここ以外に留まる居場所などどこにもないのだ。
 甚爾はこの場所を窮屈に感じ、留まることなど一度も望んだことなどないだろう。しかし、私は紛れもなく彼の言う物好き≠ノ値する。
 私が同意するとばかり思い込んでいる無垢な瞳に見つめられ、居た堪れない思いで目を逸らす。

「……たとえ窮屈だと思っていても、ここから望んで出ようと思ったことはないよ」
「ハ、正気かよ」
「一度望んだ末に全て失ったから、もう何も望まないことにしたの。どこへ行っても変わらないならこのままでいい。……あんな思いはもう二度としたくないから」

 幸せだったあの日々が続くことを望んでしまったばかりに、宿儺様を失ってしまったのだから、幸せなんてものは望んではいけないのだ。
 それに、宿儺様を殺してしまった罪すら咎め裁いてもらえないのならば、自分自身で罰するしかない。私は赦されてはいけない存在で、無限の時を苦しまなければいけない。……それでも何処かで、救われたいと思って──

「千乃」
「何?」

 沈み込んだ思考を引き上げられる。弾かれるように表情を作った私から、甚爾は視線を外すことはなかった。

「今は、だろ」
「……え?」
「俺には望みを見せたくせに。お前自身は望まないなんて──まさかそんな薄情なことしないよな」

 子供らしからぬ鋭利な言葉が胸を抉った。
 そんなことを言われるなんて予想だにしていなかった。驚きと後ろめたさが口を閉ざさせた。沈黙を埋めるように風が吹く。

「先は長いんだ。望むことだってあんだろーが」

 言い訳を紡ぐように言った彼は、静かに踵を返す。

「だから……もう何も望まないとか言うなよ」

 そう言い残し、するするとはしごを降りていく彼を慌てて追う。

「待って……! どこ行くの」
「飯」

 淡白な返答に、砂利を蹴り追い付いた私は彼の袖を引いた。

「私が持ってくるからここで待ってて」
「自分でやるからいい」
「甚爾が行ったらまともなもの出してもらえないでしょう」

 私の言い分に何も言い返さず傍の縁側に座ったところを見ると正論だったのだろう。
 残飯じゃ育つものも育たない。「ちゃんと食べないと大きくなれないからね」としっかりと副菜まで乗った膳を渡すと、甚爾は「ガキ扱いすんなよ」と悔しそうに眉を寄せる。しかし、一度箸を付けると空腹には耐えられないのか綺麗に平らげていく。
 私は皿の上がまっさらになったのを見届けて口を開いた。

「さっきのことだけどね、言われて気がついた。頑張ってる甚爾に、ちゃんと健やかな日々が訪れるように。そう確かに望んだなって」
「俺に……?」
「うん。だから私は自分のためじゃなく、人のためなら望めると思ったの」

 いつの日か希望を見出して、幸せになって欲しいと、気付かぬうちに望んでいた。
 この子は早く家を出るべきだ。そのためには全てに抗う力をつけなければならない。全く呪力を持たない世にも稀なる存在であるなら、尚更に。

「早く強くなってね」

 また子供扱いするなと煙たがられるだろうか。そう思ったけれど、彼は何も言わずに前を見据えていた。






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永遠に白線