二十六、望むもの 壱
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──どこに行っても目で追ってしまう。
だからこそ容易く分かった。千乃もまた己を目で追っていると。
無様なところを見られたくはなかった。心配されることも、寄り添われることも初めてでどうしようもなく居心地が悪かった。けれど、不思議と嫌ではない。見られていることに安心感を覚えるのと同時に、情けない姿を見せ続けて幻滅されたくないとも思った。
千乃の言葉通り、甚爾は強さを求めた。強くなればなるほど彼女に無様を晒さなくて済んだし、力で圧倒すれば煩わしい周囲は遠巻きにするだけで必要以上に干渉してこないことも学んだ。
彼女と出会ってから、世界が明るくなる感覚を抱いて生きている。甚爾にとっては生きる希望そのものだった。
「──それで、総監部への謁見の手土産に買ってた茶菓子を炳の若衆が食べちゃったんだけど」
「はは、ざまぁねーな」
「笑い事じゃないの。置きっぱなしにした女中が悪いと責めるから、とばっちりを受けて散々だったの」
「耄碌ジジイどもに何やったところですぐ忘れんだから手土産なんていらねぇだろ」
暇さえあれば千乃の部屋に入り浸るようになった甚爾は、我ながら分かりやすく心を開いたなと思いながら、ゴロリと寝転んだ。疲労を滲ませながらも「本当にそうならいいんだけどね」と苦笑する千乃見上げる。
内容は何であれ、ころころと笑いながら話す彼女の姿を眺める時間が好ましかった。くだらない雑談ですら今までする相手もいなかったからだろうか。
思考する傍ら、千乃の影が動く。つられて目で追うと彼女は甚爾の顔を覗き込んだ。扇状に広がる長いまつ毛が上下する。瞬きの中、彼女の瞳に写る己と目が合った。
「何だよ」
「ううん、何でもない。何も言ってくれなかったから心配になって」
再び離れていく彼女の耳からはらりと落ちた髪が鼻先をくすぐる。
千乃は少し考えるように一呼吸置いて口を開いた。
「奥方が懐妊された話はもう聞いた?」
「知らね。興味ねーしな」
そう呟いて視線を外し、千乃に背を向ける。彼女は甚爾の幼さが抜けつつある輪郭を見つめながら静かに口を開いた。
「しばらくしたらつきっきりで離れに入ることになりそうなの」
元より彼女が面倒を見ている子供は己だけではないことは分かっていた。同じように皆に接する彼女は、自分と同等の感情を持っていない。どれだけ他愛無い会話を特別に思おうが、千乃にとってその他大勢の中の一人だということに甚爾は気づいてしまった。
彼女は己だけの物ではない。その事実に甚爾は褪せた畳に爪を立てた。
「俺みたいなのじゃなきゃいいな」
ガリ、とささくれたい草が爪の間に刺さる。その痛みが自身を冷静にさせた。冷たく放った言葉はどう考えても八つ当たりだった。
甚爾は居心地悪く視線を戻す。
「たとえ俺みたいなのだとしても、お前に取り上げてもらえるんなら恵まれてる」
呟くように言った言葉に、千乃は眉を下げ細く息を吐いた。そして「甚爾はそう思ってくれるんだね」と小さく笑みを作った。
「そういえばいくつになったんだっけ」
「……十二」
「十二、十二か。早いね」
千乃と出会ってから、既に四年の月日が経っている。早いのか遅いのか当事者としては定かではないが、彼女にとってはそれこそ「すぐに成人してしまう」と言ってのけるほどの早さを感じているらしい。
「気がはえーな。お前は時間の感覚がおかしんだよ」
「そんなことない。人の一生なんてあっという間だよ」
「そりゃ千年も生きてる奴と比べたらな」
呆れた様子の甚爾に、千乃はそうだ、と思い出したように問いかけた。
「……甚爾、勉強ってやってる?」
「ベンキョー?」
「そう。甚爾と同い年の子供は小学生から中学生になる年だから気になって」
藪から棒に何なんだと思いながらも、甚爾は「してると思うか?」とじとりと目を細めた。千乃はそんな彼の堂々たる態度に「だよねぇ」と肩を落とす。
「甚壱のお古なら教材譲ってもらえるんじゃないかな」
「まあ、そうだろうな。優しいからなオニーサマは」
甚爾は相槌を打つ千乃に何故突然そんなことを言い出したのか問う。
「もし今後家を出ることがあれば、常識を知ってた方がいいはずだから」
禪院家を出ても生きていけるようにする。それが彼女の感じていた使命だった。最低限の学がなければいくら強くたって一人で生きていくのは難しいだろう。義務教育で学ぶことくらいは身につけてから送り出したい。
そう願う彼女の隣で、甚爾はそろりと口火を切った。
「……お前、こっから出る気ないんだろ。だったら俺も──」
千乃さえ分かってくれるのなら。この家で共に生きてくれるのなら。望んでここに骨を埋める物好き≠ノなってやる。
甚爾はその一心で紡いだ言葉を押し留めた。自分ばかり彼女に執着していることを悟られたくはなかった。
己はその他大勢の中の一人なのだと、再び自身に言い聞かせる。やるせなさと共にじわじわと爪の間が痛んだ。