三十二、最善の果て 参




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 懐紙を咥える。剥き出しの刀身に打粉を塗し、拭う。それを幾度か繰り返すと、切先が輝きを取り戻した。
 呪力、ひいては術式を持たない甚爾にとって、特に呪具の手入れは欠かせない。刃先に反射する西陽に目を細め、音もなく鞘に刀を納める。

 ──近頃、千乃の様子がおかしい。
 具体的にどこがおかしいのかと言えば、徹底して距離を取ろうとしている。まだ揶揄ったことで拗ねているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。逆に部屋に戻らなかったことを詫びられたくらいだ。
 今まで意味もなくそんなことをすることはなかったし、むしろ蔑ろな態度に見えないよう気を使う方だ。最近は過去のトラウマを刺激するような大雨も降っていない。
 考え得る限り思い当たる節はないと結論づけた甚爾は、小さく息を吐く。唇に張り付いた懐紙がひらりと膝元に落ちた。それを拾い上げ、グシャリと握りつぶした時、部屋の戸が開いた。

「届け物だ」
「なんだよこれ」

 躯倶留隊隊長を務める男の手から、唐突に渡されたそれに目を落とす。面倒ごとの予感を察知した甚爾は眉根を寄せた。

「見合い写真だと」
「はぁ? 見合い? んなもんそっちで勝手に断っとけよ。めんどくせぇ」

 どっから降って湧いた話だよ、と悪態付く。甚爾自身、見合いでわざわざ己を選ぶような物好きなどいないことくらい理解している。どうせ禪院家当主の血筋から適当な相手を見繕っただけだろうと鼻を鳴らした。
 甚爾は中身を見ようともせずそのまま突き返すが、相手も受け取る様子はなく、淡々と言葉を発した。

「お前に拒否権があると思うか?」
「ねぇな。それでも強引すぎる」
「強引? 今更だろ。近いうちに荷物でもまとめておけ。婿に入ればそう簡単にここへは戻ってこられなくなる」
「だから、断れって」

 苛立ち込めて語気を強めると、やれやれと言いたげな相手の手がポンと肩に乗った。
 
「そう言うな。話はすでに直毘人さんや千乃たちが先方との話をまとめてんだ。決まっちまったもんはしょうがないだろ。腹括れ」
「……は? なんでアイツが」

 予想外の名前が挙げられたことで、甚爾は目を丸く見開いた。その視界を沈み切る前の夕日が細く鋭く刺していく。夕焼けが広がる空は嫌に赤く染まっていた。
 男は「アイツ?」と首を傾げたが、すぐに千乃のことだと思い当たり、ああと呻いた。

「お前ガキの頃から懐いてたもんな。婿に入れれば厄介払いできると進言したのは千乃だと。──結局、アレは禪院の物なんだよ。ずっとそうやってここに居る。皆平等に、と言えば聞こえはいいが、誰かに肩入れすることもない。禪院の意向が千乃の意思になる。それにも気づかず、ましてや鬱陶しがられてるのにも気づかず、お前も本当に可哀そ」
「黙れよ」

 言葉を遮り、怒りに任せて拳を振るえば、男は物凄い音を立てて後ろの柱にぶつかった。だらりと脱力する手足。後頭部から流れ出た血はベッタリと柱に付着し、男の身体が重力に従ってずり落ちていく様を刻むように跡になっていた。
 手のひらがぬるりと温かい何かを握っている。突き刺さる爪の痛みだけが途切れそうな理性を繋ぎ止めていた。

「隊長!?」
「お前がやったのか!」

 わらわらと騒ぎを聞きつけてやって来た隊員が口々に責め立てる。その蠢動を心底不快に思った甚爾は、殺気を極限まで研ぎ、鋭い視線を周囲に向けた。

「だったら何だよ」

 こんなクソの掃き溜めのような場所にいつまでもいたのは、千乃がいるから。たったそれだけ。
 この身に受けた温もりが、一枚一枚薄皮を剥ぐかの如く、確実に削がれていく。血の気が引いていくような薄寒さに、己の中の何かが研ぎ澄まされていくのを感じていた。
 甚爾は落ちていた刀を拾い上げ、磨き抜かれたそれをすらりと抜いた。






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永遠に白線