三十五、後の祭り 弐



 禪院の女たちは朝が早い。起床後、速やかに身支度を整え、各々持ち場に着く。男たちが起きる前に、完璧に準備を終わらせなければならない。全ては彼らの生活が滞りなく送れるように。それが彼女たちの存在価値だった。

 自室を出て外に向かう途中。戸が開いている部屋の前を通りかかる。冷たい空気が入り込むだろうと中を覗き込めば、双子が寄り添うように布団の上で丸くなっていた。
 扇の娘、真希と真依。彼女たちは片割れが呪力を持たないことから、まだ幼い身ですでに落ちこぼれの烙印を押されている。
 真冬の朝に戸を開け放っていったのは、間違いなく母親だろう。私は布団の隅に丸まっている柔らかいタオルケットを二人に被せ、丸い頭を撫でる。冷遇される環境に胸を痛めながらも、私にはその本質を変えることはできないことへの懺悔だった。

 足早に外へ出て、凍てつくような空気を吸い込んだ。昨日に比べ随分と冷え込んでいる。白く染まった石畳の階段を降りる途中、雪かきに励む女中と挨拶を交わし、さらに外門まで降っていく。
 門の端に取り付けられた郵便受けを覗き込み、新聞を取り出した。朝刊に書かれた本日の日付を一瞥し、紙面に目を向けたその時、視界の端でザ、と足音が止まった。

「は、マジで変わんねーな」

 聞き覚えのある声。いたく懐かしい低音が鼓膜を震わせた。
 私は息を飲んで顔を上げる。

「甚爾……!?」
「ちょっと付き合えよ」

 ウインドブレーカーを着込んだ甚爾は、斜に構えた笑みを浮かべ、白い息を吐き出した。薄っすらと影の落ちた目元。どこか諦観した眼差し。一見それらを悟らせないための露悪的な風貌。記憶の中の彼とは、纏う雰囲気が違う。それはあの離別から十年の月日が流れていることを物語っていた。
 私は動揺を隠せず、冷えていく唇を戦慄かせた。

「は……そんな、突然来て、こんなところ誰かに見られたら」
「見られたら、なんだよ。自分の立場が悪くなるってか?」
「違う……! 矛先が向くのは甚爾でしょ。せっかく忘れられかけた時に、また……!」

 とっさに辺りを見渡す。いくら絶縁関係と言えど、ここで甚爾が見つかればあの時の罪、そして今現在の悪行について糾弾されるのは間違いない。
 己が今しがた通って来た石畳の階段の上には、雪かきの手を止めてこちらを見ている女中がいた。外回りの掃除を任されるのは新米であることが多い。甚爾のことを知らない可能性も大いにある。それにあの距離ならば相手が誰であるか分かるまい。
 今ならまだ間に合う。どうにかして早く帰らせようと伸ばした手は、容易く彼に掴まれた。

「ハイハイ。自分のことより他人の心配ね。ほんと相変わらずだな」
「そんなこと言ってる場合じゃ」
「リョウメンスクナ」

 説得の言葉を紡ごうとしていた私は、予想外の名前に思わず口を噤んだ。

「……何?」
「リョウメンスクナの即身仏が見つかった」
「宿儺様の即身仏……?」
「ああ。気になるだろ?」

 そう問いかける甚爾の前で、私は押し黙る。気にならないわけがない。それでも彼が何を企んでいるのか、今の私にはさっぱり分からなかった。
 簡単に首を縦に振るわけにはいかない。掴まれたままの腕を振り払うこともできず、ただただ佇む。
 その沈黙を肯定と受け取った彼は、口角を吊り上げた。

「決まりだな」
「わっ……! ちょっと!」

 ぐい、と腕を引っ張られ、門の外に引きずり出される。そのまま路肩に停めていた薄汚れた黒いバンの助手席に放り込まれた。
 甚爾はバタンと乱雑にドアを閉め、あっという間に私の背後を封じた。

「シートベルトしとけよ。こんなとこでサツに目ぇつけられてもダルいからな」
「待って、どこに連れていく気?」

 流れるようにエンジンをかけ、発進した甚爾に訴えかける。
 彼はそれに応えることはせず、おもむろにポケットから取り出した携帯をいじった後、それをポイっと私の方に投げた。

「それ見とけ」
「……何これ」
「単なるオカルト掲示板だ。読めば大体話は分かる」

 詳しいことは語らず、前を見たままそう述べた彼に、私は渋々画面に目を落とした。
 洒落にならないほど怖い話が集まっているという掲示板に、匿名で書き込まれていたのはとある廃寺で見つかった即身仏ついて≠セった。
 岩手県にある廃寺を取り壊すことになり、本堂の奥から出て来た箱の中に入った即身仏。それを見つけ中身を開けた中国人作業員二名が、病院へ搬送されることになった。一人は心筋梗塞で死亡、もう一人は精神に異常をきたし精神病院へ移送、その場にいた他の従業員も元住職のお祓いを受けたものの、長生きできないと告げられたという。
 元住職が言うには「後継ぎになった息子がリョウメンスクナ様を京都の寺に送らなければいけなかった」らしい。しかし息子の手違いで、そのまま本堂の奥に置いたまま月日が過ぎて廃寺になってしまい、今回の事件が起きてしまった。即身仏と元住職は行方不明。残されたのは、元住職と息子が連絡がつかなくなる前に、妙な車に尾行されているという情報だけ。

「それで見つかった即身仏はどこに?」
「後ろ」
「えっ」

 私は勢いよく振り返った。
 後部座席には芋虫のような呪霊が這っている。どうやら格納型の呪霊らしい。

「甚爾は元住職から即身仏を奪ってきたってこと?」
「逆だ逆。その元住職の依頼でここまで運んで来たんだよ。じゃなきゃ岩手からここまでスクナとドライブデートなんて御免だね」

 今後二度と聞くことのないような言い回しに、私は思わず顔を顰める。突っ込むべきか一瞬迷ったが、何とも言いがたく口を噤んだ。
 頭の中で掲示板の内容と甚爾の動きを照らし合わせ整理していくと、だんだんと全容が掴めて来た。要約すると、昔息子がしなければいけなかったことを、今依頼として甚爾がこなしているということだ。
 徐々に市街地が遠ざかっていく。私は山間へ車を走らせる甚爾の横顔を目の端で捉え、問いかける。

「……依頼っていうのは、いつもこういうことを?」
「あー、今回はまだ人は殺してねぇからな。珍しい方なんじゃねーの」
「まだ、ね……」
「そう。まだ」

 意味深な言いように小さくため息を吐く。やはり術師殺しというのは間違いではないらしい。
 車窓に視線を移す。雪を背負う枝木がもの寂しく見えた。

「今回は高専が出張ってきてる。大事にする方がめんどくせーだろ」
「つまり、依頼主を尾行していた妙な車っていうのは、高専側の人間?」
「そうだ。すでに岩手の廃寺には補助監督の出入りがあった。高専の手に渡れば忌庫行きなのは確定だからな。依頼は京都の寺へ運ぶこと。そんなわけで、高専の連中と鉢合わせても依頼を完遂できそうな俺みたいなのに話が来たんだろ」

 なるほど、と相槌を打ち、そのまま流しそうになったところで一番重要なことを思い出す。

「待って。じゃあそのまま依頼を済ませばいいだけの話じゃないの? わざわざ私を連れてきたのは何故?」

 この十年、一切姿を見せることのなかった甚爾が、完璧な善意で宿儺様の情報を渡すためだけに「二度と戻って来ないで」と彼を突き放した私に接触するとは思えない。十年間、彼は彼の人生を歩み、私は彼の人生が幸せであることを祈ってきた。それが今さら何故。そう思う気持ちの方が強い。
 甚爾は私の問いかけに込めた想いに気づかずに、前を見据えたまま口を開いた。

「もちろん京都の寺に運び入れようとはした。だが、そこで立ち入りが禁じられた。アイツら岩手から出たリョウメンスクナが本物かどうか確証がないと敷地に入れられないとかなんとかほざきやがって……」
「依頼者側と京都側との認識が違うってこと?」
「おそらくな」

 苦虫を噛み潰したような表情の彼に、私は自身の顎に手をやり、ふむと考え込んだ。

「本来送られるはずの時期はとっくに過ぎているわけだし、大方京都側も代替わりしていて受け入れる体制ができていない、とか。リスクを考えると確証が欲しいと思うのも無理はないと思う」
「考えられるとしたらそうだろうな。話が違うと依頼自体投げてもいいんだが、ちょうど確証を得るアテがあったんでな、報酬釣り上げて依頼続行中ってわけだ」
「それで、そのアテっていうのが私ってこと」
「正解」

 腑に落ちた私は、呆れ半分に息を吐いた。顎から手を離し、顔に当たっていた暖房の風を足元に向ける。

「特級呪物である宿儺の指と呪力を照らし合わせる手もあるが、高専が保持してる指を奪ってくるのも、日本のどこかに散らばってる未発見の指を見つけてくるのも手間がかかりすぎる。その分お前なら本物かどうか分かるだろ。これほど適任な奴は千乃、お前しかいない。生き証人前には誰も文句は言えないからな」
「……私が協力しない可能性もあったでしょう」
「ないね。元にここにいるだろ。両面宿儺がお前にとってどれだけ大きな存在か、身を以て知ってるからな」

 彼の言葉に口を噤んだ。そこに含まれていた湿っぽい怒りや苦しみは、十年を経てカラリと乾いていた。それは間違いなく良いことなのに、胸の内で切なさが顔を出す。
 甚爾は無言を貫く私をチラリと目の端で捉え、試すように笑った。

「報酬アップした分、山分けしたっていいぜ」
「お金はいらない。……その代わり、本当に宿儺様だったら……」
「ハハ、お前はそう言うだろうな。依頼は届けるまでだ。その後は奪うなり何なり好きにすりゃいいんじゃねーの」

 余所者の手に渡るくらいなら、奪ってでも自分の手元に置いておきたい。千年前、この目に焼き付け、決して離れぬようにと抱きしめた宿儺様の身体がまたこの腕の中に戻ってくるなら、何だってしよう。
 だが、無事に取り戻したとて、私の居場所は禪院家の中。まさかそのまま連れて帰れるわけもない。仮に口八丁で言い訳し何も咎められなかったとしても、戦闘に役立つものではないため、そのまま高専所有の忌庫の中に保管されることになるだろう。
 甚爾の「ついた」という声で顔を上げる。まだ決断しきれていない私は、焦りに手に汗を握るが、そのままあれよあれよと車の外に降ろされ、雪道に足を下ろした。

「ここで確認だ」
「……ちょっと待って、まだ心の準備が」
「はぁ? 何言ってんだよ。お前の心の準備なんか待ってたら千年経つだろ」
「うう……」

 ぐうの音も出ない。何なら千年経っても決断できない可能性すらある。
 自分の情けなさに辟易している横で、甚爾は呪霊の口からずるりと大きな物体を吐き出させる。ブルーシートに包まれていた縦長の箱状の物を露わにする。棺桶と呼んでも良さそうなそれは、簡易的な封印の呪符がいたるところに貼り付けられていた。
 私は恐る恐る開け口を封じている呪符を剥がし、息を飲んで蓋に手をかける。

「どうだ?」

 急かすような甚爾の呼びかけに、隙間から顔を覗かせた即身仏を凝視した。

「……宿儺様じゃない」

 ゆるゆると首を横に振る。張り詰めていた焦りが消沈へ変わっていく。

「マジか」
「少なくとも私が知っている両面宿儺ではない」
「は〜なるほど。残念だったな」

 全く労わる気のない彼の声音。私は肩を落とす裏で、先ほどまでの悩みが杞憂となったことへそっと安堵した。
 少し離れた門の前でこちらを見ていた坊主たちの元へ向かっていった甚爾は、しばらく彼らと言葉を交わし、後頭部に手をやりながら難しい表情で帰ってくる。

「どうかした?」
「アタリだった」
「アタリ、というと?」
「呪術界で特級認定されている両面宿儺じゃない、別のリョウメンスクナで正解だったらしい。ま、あいつらにとっての本物はコッチだってことだ」

 本来、これは大正時代に見せ物として作られた呪物だという。その裏について回っていた新興宗教の名残りでこの寺が残っているらしかった。
 私はややこしさに思わず首を傾げた。

「じゃあ、これでよかったってこと?」
「そういうことだ。逆に呪いの王であるなら手に負えない、だとよ。それを先に言えよな」

 甚爾のぼやきに同意を示す。全く紛らわしい話だ。
 ぞろぞろとやってきた坊主一行が木箱を持ち上げ、誰も言葉を発さず会釈するのみで通り過ぎていく。形だけ頭を下げた私の横で、甚爾はぼそりと「気色わりーな」と呟いた。
 しばらくそれを見送ってた私と甚爾は、示し合わせたように大きなため息を吐いた。私たちの間にあった気まずさのようなものは、全て吐き出されたかのように白くなり消えていった。

「何にせよ、役には立てたみたいでよかった」
「拉致られた分際でよかったってことはねーだろ」

 呆れまじりの視線を受けつつ、車に乗り込む。すっかり冷え切った手足がじんわりと暖かくなっていくのを感じながら、エンジンがかかるのを待った。






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永遠に白線