三十六、後の祭り 参
その後、私たちは足がつかないように車を処分して、京都駅に向かった。
駅構内は格子状の屋根からぼんやりと差し込む陽の光に包まれている。甚爾は一度足を止めて時刻を確認した。
「まだ時間があるな」
新幹線の時間だろう。私はずらりと発車時刻が並ぶ電光掲示板へ視線を投げる。東京行きのどの列車に乗るのか問い掛けようとした時、彼の発言によって遮られた。
「ガキがいる」
ピタリ、と意図せず自身の動きが止まる。何を言われたのか理解できず、胸中で彼の言葉を反芻する。
ようやくそれが彼の血を引く子供という意味だと認識した私は、目を見開いて彼に詰め寄った。
「お、おめでとう……!!」
口から出たのは紛れもない祝福だった。
嬉しい。私がずっと彼に願っていたものを手に入れていたことが何より喜ばしい。彼からの信頼を犠牲にしてでも送り出したかった自由な場所で、幸せを築いていることへ感嘆の声を漏らす。
しかし、甚爾はやけに冷めた目で私を見ていた。
「おめでとうねぇ? あー……まあ、お前ならそう言うか」
「幸せそうで、本当によかった」
「どこがだよ。嫁死んでんだ」
私はそう、と一つ呟いた。
知らなかったとはいえ無神経だっただろうか。そうだとしても、ここで謝るのは不粋に思えた。
「……それでも、あのまま私といるよりはずっと……」
良かったはずだ、と続けようとすると、容赦なく頬をつねられる。
「痛……っ」
「どの口が言ってんだよ」
彼の言うように私はとやかく言える立場ではない。
細められた彼の眼差しの先には、共に過ごした過去があった。懐かしむような切なげに見える瞳の色に口籠る。
そんな私を見て、甚爾は徐に口を開いた。
「……もしも、アイツの術式が相伝で、十種だったら」
心臓が跳ねる。何を言われるのか息を呑み、続く言葉を待った。
「俺の時みたいに誑かすなよ」
甚爾は竹を割ったようにすっぱりと言い切った。私はそろりと視線を向け、彼の顔色を窺う。
「……怒ってる?」
「さあ? どうだかな」
「…………」
誑かしたつもりなどない。けれど、やはり今さら何を言っても無駄に思えた。十年前、互いの想いを分かり合えなかった時点で、私たちはすでに終わっている。
過去に置いていかれた私たちをよそに、液晶に映し出された時計が、視界の端で息を潜めるように刻々と時を進めていく。
「手放すつもりの奴に優しくするもんじゃねぇよ。俺もアイツには情けなんかかけるつもりはない」
彼の言葉は冷酷に聞こえた。しかし本質は違う。いずれ息子を手放すならば、優しくするだけ酷だと言いたいのだ。優しくしないことこそが、何よりの優しさなのだと。
私の精一杯の優しさは、彼にとってはただ苦しめるだけのものだった。その事実に自然と落ちていった視線。積み重なった後ろめたさに耐えかねて「ごめん」と小さく吐き出すと、甚爾も同じくバツが悪そうに「いや」と呟いた。
「あの時、お前が何を思ってああ言ったのか、理解してる。……悪かったな」
「……え?」
予想外の謝罪に、弾かれたように顔を上げる。
「バチが当たったんだよ。俺も、お前も」
甚爾はどこか辛そうに目を細めていた。
不意を突かれた私は、どうしようもなくなり息を殺した。何か言わなければと口を開くけれど、言葉が見つからない。
「千乃 」
駅構内に私を呼ぶ声が響いた。甚爾のものではない。けれど馴染みのある声。
駅の中を見回す。人で溢れているにもかかわらず、声の主はすぐに見つかった。こちらに向かってまっすぐに歩いてくる直哉は、無表情ではあるものの気迫に満ちている。それに気圧された人々がいそいそと道を開けている。
「千乃 、帰るで」
「待って……!」
甚爾を一切見ずに、私の腕を掴み引っ張る直哉。私は慌ててその力に抗う。まだ甚爾へ伝えなければならない言葉が見つかっていない。
早く何か言わなければと焦る私をよそに、直哉の手には振り払えないほどに力が込められていた。
「そないな半端な抵抗すんのなら最初から本気出さんと」
煽るように言った直哉は、連れて行こうとするのではなくその場で一層強い力を入れた。その反動で、私は彼の胸元に納まった。
私はハッと痛みに顰めていた表情を解く。そこでようやく、直哉に背を越されていたことに気がついた。
ずっと見ていたはずなのに、いつもいつの間にか成長してしまう。その既視感に、恐る恐る直哉を見上げる。
「でも、千乃 は出さんやろ。知っとるよ」
確信と嘲弄に満ちた彼の視線が降り注ぐ。
沈黙を埋めるように、改札の機械音がやけに反響している。それを遮ったのは甚爾だった。
「ハハッ、どいつもこいつもまぁ誑かされてんなぁ」
「……甚爾」
甚爾の笑い声に、思わず目を細める。彼は心底愉快そうに言うけれど、今の私には皮肉にしか捉えられなかった。
「ジジイはどうした」
「すぐ来るんやない。ホラ」
甚爾の問いに、直哉が顎で示す。それに従って入り口の方へ目を向けると、両袖に手を入れた直毘人がゆっくりとこちらへ向かってきていた。
「なんで直毘人まで」
「俺が呼んだ」
何故、甚爾が。
そう聞き返す前に、直哉が口を開く。
「話があるんやって。俺と千乃 には聞かせられん秘密の話」
どこか恨めしそうに言う直哉に相槌を打つ。
私は未だ見つからない言葉を諦めて、甚爾を見た。
「……元気で」
「もうお前に心配されるほど柔じゃないだろ」
心配すら許されないのか。その気持ちを打ち消して、直哉に腕を引かれるまま、甚爾に背を向けた。
すれ違った直毘人に「車は置いていけ」と言われた直哉は、一つ舌打ちをしキャリーケースを引く観光客の合間を縫ってタクシー乗り場へ足早に向かっていく。
人々の怪訝な眼差しを受けながら、私は息すら吐けずにいた。胸の中がひたすら締め付けられる。苦しい。どうすればこの想いから解放されるのか分からないまま、タクシーの中に引き摺り込まれる形で乗り込んだ。
直哉は端的に行き先を告げる。お世辞にも褒められた態度ではない彼に、運転手はチラリとバックミラー越しにこちらを見たが、あまりの剣幕に何も言わずに発進する。
私は掴まれたままの腕に目を落とした。
「……直哉」
離して欲しいと訴えるように名前を呼ぶ。
しかし、彼はそれには応えず、頬杖をつき車窓の外を見たまま口を開いた。
「女連中は千乃 が連れて行かれたとかなんとか言っとったけど、どうせ甚爾君やからついて行ったんやろ」
「それは違う、甚爾だからとかじゃなくて」
事の経緯を話そうとした私を遮るように、掴まれた手に力が入る。
「一人で甚爾君とこ逃げたらあかんよ」
するりと降りてきた直哉の手は、手首をなぞり、手の甲に覆い被さった。冷えた長い指が私の指の間に割って入る。
幾度も繋いできたというのに、この重ねられた手は全くの別物だった。絶対に逃がさないと必死に念じているようで、有無を言わさず従わせるような、執念じみた激情が刺さる。
縫い付けられた手に、自然と落ちていた視線をそっと上げると、直哉と目が合った。彼は苛立ちを収め、眼差しで縋り付く。
「なぁ、千乃 。こっち側にいたって。俺と一緒におってな。……あっち側に行かんで。置いていかんといて」
今さら逃げるだなんて考えたこともない。ましてや甚爾の元へ行くなんて、もっと有り得ない話だ。
青年と呼ぶには幼く、少年と呼ぶには成長を経た彼を前に、私はただひたすら頷くことしかできなかった。
〜〜〜〜おまけ単行本ネタ〜〜〜〜
番外編 躯倶留隊レビュ〜!!
・千乃 4.0 ☆☆☆☆★
⚪︎常に物腰が柔らかく優しく接してくれる。自分だけが特別なんじゃないかと勘違いしそうになるが周りへの対応を見て決してそうじゃないことに気づく。
故に決して惚れないようにただの物だと言い聞かせている。
⚪︎何故か年寄り連中と仲がいい。いざ自分が年をとってみてあれは小さい頃懐いてた歳上のお姉さん=i概念)が今もそのままの姿でいることへの執着だと気づく。
故に決して惚れないようにただの物だと言い聞かせている。
⚪︎話しかけると高確率で誰かしらに邪魔される。大抵直哉のため、あんなうんこクズに気に入られているのがとても悔しい。寝取られ概念を味わった気分。
故に決して惚れないようにただの物だと言い聞かせている。
総評:禪院家性癖クラッシャー