三十七、懐玉・玉折 壱



 蝉時雨が忙しなく降り注いでいる。木漏れ日と共に揺れる木陰を踏みながら、私と直哉は年季の入った校舎を背に、外門へ繋がる小道を歩いていた。
 京都府立、呪術高等専門学校。通称京都校と呼ばれるこの場所は、東京校と肩を並べる呪術界の要の一角である。京都という土地柄か、敷地内に寺社仏閣が立ち並ぶ様はそうもの珍しくはない。特別気を張るわけでもなく、すでに用を済ませていた私たちは、額に浮き出る汗を拭った。

「ハァ〜、このクソ暑い中、わざわざこんな辛気臭い場所まで呼び出しよって……用があるならあちらさんから出向いてくるんが筋ちゃうん?」
「高専側も人手不足だから。仕方がないみたい」
「だとしてもやろ。協力して欲しいんなら態度で示して欲しいわ」

 悪態を吐きながら、鬱陶しそうに前髪を振り払う直哉に、私は眉を下げた。
 
「まぁ、学生達もここしばらく任務で出払ってるって言っていたし、補助監督の数も足りてないから説明に呼び出されるのも無理はないのかもね」
「百歩譲って御三家に協力要請が出される理屈は分かるんよ。特にウチは他より戦闘体制が常に整っとるし、必然的にあちらさんに割ける数が多いことも理解できる。やけど俺がわざわざ出向かんでも、暇してる兄さん方で良かったやろ。なんで話聞くだけのおつかいせなあかんねん!」

 苛立ちを露わにする直哉を宥めながら、深刻な人手不足は西も東も変わらないと嘆いていた補助監督の様子を思い返す。
 これから禪院家でも請け負った案件を炳と灯に割り振らなければならない。結局は直哉も出向くことになるだろうが、雑用をさせられたことが一番気に食わないのだろう。
 
「ほんま千乃にたまたま外出る用がなかったら来てへんのやけど」
「それでわざわざ買って出てくれたの?」

 私は目を丸くして直哉の顔を見つめる。すると直哉は少し不貞腐れたように口を尖らせた。

「悪いん?」
「ううん、皆やりたがらないことをしてくれたのにそんなこと思わないよ」
「なんやそれ。もっと誉めてくれへんの?」

 幼い頃と変わらぬ口調が可愛らしく思え、小さく笑みを零す。
 ここに来る前に、誰が禪院家代表として出向くか一悶着あったのだ。その中で直哉が渋々ながらも自分が行くと申し出た。
 珍しいこともあるものだと思ったが、一人で外に出られないことになっている私に気を遣ってのことだとは思わなかった。
 彼の優しさへ礼を言おうとした時、前方からやってきた学生と目が合った。随分と疲れた顔をしている。すれ違い様に会釈され、それに返すだけだったが、私はその背中を目で追うように足を止めた。

「……ようこんなとこ通ってられるわ」
「同年代でしょう? 今後関わることもあるかもしれないのに」
「さ〜どうやろな。どう見ても俺より弱いやん。関わる前にお陀仏せんとええな」

 私に倣って足を止めた直哉は、そう冷たい口ぶりで突き放す。

「東京の方には悟君がおるからええかもしれんけどね」

 通り過ぎた学生の背中を一瞥し、「やっぱりこんなとこに通う気がしれんわ」と再び歩き出す。それに続いて私も歩みを進めた。



 
 四条付近まで移動して来た私たちは、人の波に揉まれながら百貨店の中に足を踏み入れた。効きすぎた冷房によって、暑さでぼやけた輪郭が引き締められるのを感じながら、先を行く直哉の背中に着いていく。

「はぁ〜またここも鬱陶しいほど人おんねんなぁ」
「ごめんね、意外と買うものが多くって」

 もともとは新人の女中が贔屓にしている店に茶菓子を頼み忘れてしまい、代えのものを直接買いに行かなければならなくなったことが発端だったのだが、どうせ街に出るならついでに買って来て欲しいというものが増えに増えてしまった。
 私は買う物を書き留めた紙切れを取り出し、目を落とした。

「そもそもなんで千乃が尻拭いせなあかんの?」
「別に尻拭いだなんて思ってないよ」
「ふぅん、相変わらず下っ端にも優しいんやね」
「そんな人を選んでるつもりはないけど……私は直哉と同じで自分から買って出ただけだから。私が優しいのなら、直哉も優しいよ」

 気にかけてくれてありがとう、と先ほど伝え損ねた感謝を口にする。
 直哉はふいに口を閉ざした。誉めてと言っていたのに気に障ったのかと不思議に思っていると、ぬっと顔が近づいて来た。

「残りは?」
「え……? あ、あとはこれだけ」

 手元のメモを覗き込んだ彼に、一番最後の文字を指し示すと、パッと抜き取られる。

「さっさと行ってきた方が早いやろ。千乃はそこで荷物の番でもしとき」

 隅のベンチを顎で指した直哉は、すぐに人混みを縫って進んでいってしまった。
 呆気に取られてしまったが、私は彼の言う通りにたまたま空いていた一番端に紙袋を置き、背中合わせになっている席に腰掛けた。
 荷物を持ちながら二人で行くより直哉一人の方が効率的ではあるけれど、きっとこれは彼の優しさなのだろう。ありがたいと思いながら、背もたれに体重を預けた。

「禪院甚爾」

 瞬間、背後で呟かれた声に、身体が硬直する。

「振り向かずに聞け。奴からの伝言だ」

 男の声だ。口ぶりから甚爾と顔見知りの人間なのだろうか。
 不意を突かれた一瞬で張り巡らされた緊張。たとえ予想が当たっていたとしても、簡単に信用することはできない。私は言葉通り振り向かず、固唾を飲んで続く言葉を待った。

「呪具が必要になった。禪院家に置いて行った俺の呪具を持って来い≠セそうだ」
「……甚爾からという証拠は」
「本人が使役している呪霊だ。アンタも見たことがあるはずだとよ」

 背中越しの会話の中、後ろから肩を這ってやって来た呪霊は、以前甚爾が連れていた格納呪霊だった。芋虫そっくりの動きで膝の上まで降りて来たそれは、自身の尻尾を飲み込み片手で握れるくらい小さく変化していく。

「どうだ?」
「……信じます」
「そうか。今日の最終で東京へ発つ。新幹線の切符はここに置いておく。車内で落ち合おう」

 そう手短に語る男に、慌てて口を開く。

「ま、待って、まだ行くと決めたわけでは──」

 振り向くとすでに男の姿はなく、煙草の香りと切符だけが残されていた。




 指定席の車両に乗り込む。切符に刻まれた席を探し出すと、隣の窓際にはすでにスーツの男が座っていた。
 新幹線がゆっくりと動き出し、ホームから滑り出た景色を男越しに見つめていると、視線がかち合う。

「まぁ、座れよ。立ちっぱなしってわけにもいかないだろ」

 ここまで来てしまったのだから、仕方がない。私は警戒したままそろりと彼の隣に腰掛けた。

「孔時雨だ」

 そう名乗った彼に軽く頭を下げた。そして一番気になっていたことを問う。

「あの、甚爾とはどんな繋がりで?」
「仕事以外の何かに見えるか?」
「……術師殺しの?」
「ああ。もっぱら俺はクライアントとの仲介役だがな」

 おずおずと切り出した私を横目に、彼は口髭をショリ、と指の腹で撫でる。
 その様子に聞けば意外とまともに答えてくれることに少々驚きながらも、まだ腹の底に何かを隠しているのだろうとあたりをつける。

「それで、例の呪具は?」
「約束通りここに」

 袖にしまっていた格納呪霊を取り出す。手のひらの上で丸まったままのそれを、彼へ手渡した。
 呪具は甚爾が出て行った時のまま、天井裏に隠していたものをそのまま飲み込ませて持って来た。
 大元の所有権がある禪院家内では、甚爾が所持したまま家を出たものとして認識されている。そのため大掛かりな捜索がされなかったことから、奇跡的に残された呪具の存在は誰にも気づかれていなかった。
 あれは意図的に残していったものなのだろうか。そもそもどのような目的で突然必要になったのかが分からない以上、甚爾の意図が全く読めない。
 私は隣でたんたんと呪霊を仕舞い込んだ彼を探るように横目で見つめた。

「甚爾の計画に加担してしまった以上、知っておきたいことが」
「なんだ?」
「呪具が必要になった理由を教えてもらっても?」
「あ〜、そうだな」

 言葉を濁し、皺の寄った眉間をポリ、と掻いた彼は、改めて口を開いた。

「明日、五条悟を叩く。そのために必要なんだと」
「五条? 何故」

 突然出て来た、この呪いの世界を揺るがし得る人物の名に、私は眉根を寄せ訝しげに聞き返す。

「アイツは今、星漿体を暗殺する機会を窺ってる。だが星漿体側には高専の連中が護衛についててな。まずは五条悟を殺らなきゃ星漿体を殺せないってわけだ」
「はぁ……星漿体暗殺……」

 あまりに思いがけない内容に、つい頭を抱える。星漿体を殺すということは、日本におけるあらゆる結界の強化を行なっている天元との同化を阻止するということだ。何が起きるか分からない。可能性としては呪術界、ひいては人間社会が混沌に陥ってもおかしくはないのだ。
 たとえそうなったとしても、甚爾は関係ないと思っているのだろう。正直なところ、私にとっても同じだ。あの高専が人手不足に疲弊している様を見ても、これまで重ねてきた悪行と、成り行きに身を任せている分際で、今さら呪術師側と同じ志を持って正義を振り翳そうと思える立場ではない。

「なんにせよ、コレは受け取った。無理に東京まで着いてこなくてもいい。何も知らなかったアンタがアイツと共謀した罪を被る必要はない。……そうだろ?」

 彼の問いに、建前だとしても私の立場まで気を回してくれるなんて案外優しいのだなと、小さく息を吐き顔を上げた。

「行きます。あくまで一時的に甚爾の手に渡るとしても、これは本来禪院家所有の呪具です。そのままにしておくわけにはいかないので」
「そうか」

 彼は薦める選択とは反対の決断をした私に何も言わず、ただ首を縦に振るだけだった。
 後悔はないが胸の内には靄がかかったまま。原因は一つ。今回のことに巻き込んだ張本人の甚爾が、当たり前のように私が協力すると思っていることだ。
 軽んじられていることへの苛立ちと悔しさで釈然としない。私はギュッと固く唇を結び、暗闇が流れていくだけの窓の外に視線を投げた。
 禪院家内は慌ただしく高専からの協力要請により、皆それぞれ任務へあたっているだろう。私一人が一晩いなくとも気づかれはしない。直哉も今ごろは現場に向かっているはずだ。
 彼らを騙すことへの後ろめたさ。付き纏うそれから目を逸らし、そっと目を閉じた。






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永遠に白線