四、心魂開闢 肆
抜けるような青空を背負った二条大路。道の真ん中を闊歩する検非違使を横目に端を歩く。
平安京の南側に位置する東市を目指し、大内裏が見える前に道を曲がる。
役人や貴族の多く集まる場所にはなるべく避けるようにしている。彼らは市井の民に比べ、呪術を扱える者が多い。特に陰陽寮に属する者たちとは折り合いが悪かった。もう随分と前に国を挙げた両面宿儺征伐≠ヘ断念されているけれど、宿儺様に全く歯が立たなかった陰陽師を含めた呪術師たちの間には、当然の如く遺恨が残っている。わざわざ藪を突く真似をするのは本意ではない。
野犬の吠える声が響く中、寸分の狂いもなく直線に伸びる道をひたすら歩いていく。あまりの活気のなさに、何があったのか余計に気になるところだった。
足を早める。市が近づくと流石に人の数も増えてきた。これだけ人が集まれば、何かしら聞き出せるだろう。私は背負っていた荷物から反物を取り出して、露店の店主に交換を持ちかけた。以前から朝廷が作った貨幣は存在しているものの、民の間では流通しておらず今でも物々交換が主だ。
裏梅さんが必要としていた食材の調達も兼ねて、店を回る中で京に初めて来たふりをして町の様子を尋ねる。数人の話によって事のあらましが徐々に明らかになってきた。
「あくまで噂なんだけど、どうやら
「……将門、というとあの
「そうよ。将門の血を引いているなら祟りで災いを呼ぶに決まってる。だから血眼になって探してるって」
怯え切った様子の店主の女性へ、なるほどと相槌を打つ。
平将門とは今から十年ほど前、京より遠く離れた東の地で朝廷に反旗を翻し、自らを新皇と名乗った男だ。激戦の後に討ち取られ、首はわざわざ京まで運ばれ民衆に晒されることになる。
ここで終わっていれば謀反人として後世に語られることにはなるが、今更騒ぎ立てるようなことにはならないだろう。皆がここまで怯えているというのも、その後が問題だった。首だけになった将門が、いきなり流暢に喋り出したのだ。切り離された身体の行方を問い、首を繋いでもう一戦しようと叫び続ける。しまいには胴を求め、首だけで東の地へ飛んでいった。
一連の騒動は将門の祟りと恐れられ、朝廷が様々な手を打ち鎮められたとされている。術師を総動員した朝廷の対応を見て、何の力も持たない民たちが怯えないわけがない。それなら、過敏すぎるように思えていた市井の動向にも合点がいく。
「でも、まだ何かが起きたというわけじゃないんですね」
「まあそうね……そうだとしても、何かあってからじゃ遅いもの。この調子でしっかり警備してもらいたいわ……」
将門の血を引く者の入京はあくまでも噂話だが、根拠の有無など民には関係ないらしい。不安に揺れるその心こそ人間である確固たる証拠であり、彼らの日常を脅かす呪霊発生の根源でもあった。
店主に礼を告げ、人の流れに身を任せる。あてどなく歩きながら、このまま真相まで調べるべきか頭を悩ませた。
京中に蔓延している噂話を一つ一つ当たるのは流石に効率が悪すぎる。仮にしらみ潰しに当たったとしても、民が将門の血を引いているか見定められるとは思えない。どこかで朝廷の人間、術師に結びついてしまうだろう。そうなれば、私のせいで宿儺様の存在を気取られる可能性がある。
これ以上、面倒事を増やしたくはない。ただでさえ朝廷の抱えていた過去の術師たちは、宿儺様に散々戦いを挑んだ結果、皆惨敗。どいつもこいつも手ごたえがない、ようやく群がっていた羽虫の音を聞かずに済む、とぼやいていたのを覚えている。私も騒々しい日々はしばらく遠慮したいところだ。
ひとまず現状を報告するのが先か。そう散らばった思考がまとまった時、腰のあたりに衝撃を感じる。地面に目を向ければ童が尻もちをついていた。ぶつかってしまったのか。慌てて膝をつき、相手の顔を覗き込む。
「ごめんなさい。大丈夫?」
己の不注意を詫び手を差し伸べると、それまでうつむいていた童が顔を上げた。お世辞にも可愛らしいとは言えない鋭い目つき。その割には幼い印象を与えた。結うどころか伸ばしもしていない短髪がそう思わせたのだろう。少なくとも貴族の子供には見えないが、やけに艶の良い髪。陽光に透かされても尚、変わらず黒々と輝いている。
男児か。意志の強い眼差しと顔つきからそう判断した瞬間、差し出していた右手を払われた。
「小鬼が人の真似事かよ」
「小鬼……?」
「鬼──両面宿儺が生み出したんだから、お前も鬼だろ」
──鬼から生み出されたものは、一体何になるのだろう。
彼が言い放ったのは、常々胸に抱えていた疑問への解となりえる言葉。
あるかも分からない心の臓が跳ねた気がした。手のひらの痛みが遠のく。その間も男児は私へ怪訝な視線を絶え間なく注いでいた。
「お前、式神か? 簡易的な物ではなさそうだけど」
「分かるの!? 私のこと!」
……そうか、私は式神なのか。
自分が呪術によって形を成していることは理解できている。しかし、それが人の創り上げた枠組みでは何に当てはまるかなど、教えられなければ到底分かるはずもなかった。
拒絶されたにもかかわらず、私は男児の手を取った。つい自分が何者か知れた喜びを隠せず「もっと分かることを教えて欲しい」と懇願する。
「分かったから、そんなに近寄るなっ……! 祓うぞっ!」
彼は目を丸くした後、怒りのせいか目の端を紅潮させ叫んだ。
祓う、と決定的な敵意を向けられれてしまえば引き下がるほかない。こんな人通りの多い場所で戦闘を始めれば、今後諜報の類も任されないだろう。それこそ完全に役立たずになってしまう。
惜しい気持ちを抑え込み、立ち上がる。裾についた砂を払って踵を返した。
「どこいくんだよ」
「……戦いは避けたいの」
背中越しに掛けられた言葉を尻目に歩を進める。
「あ、おい!」
ぐい、とすぐに袖を引かれた。予想外だと目を見張るも、掴まれたままでは振り向かざるを得ない。
「何?」
「……帰り道、案内してくれたら教えてやらないでもない」
「もしかして……迷子?」
「迷子じゃない! 道に迷っただけだ!」
それを迷子というのだろう。そう指摘するも顔を真っ赤にして迷子ではないと言い張る。これでは堂々巡りだ。強情さに呆れる半面、相手が童だからなのか高慢なところも案外可愛らしく思えるのだから不思議なものだ。
「家はどっち?」
「艮の方角だ」
「うしとら……」
彼が指をさす方向を見やると、己が降りてきた山がそびえ立っている。どうやら家路は同じらしい。
「あっちに鬼門を守っている寺があるだろ」
「ああ、あの鳥居の禪院?」
比叡山の麓には神と仏を同時に祀っている寺社がある。たしか平安京の表鬼門を守護しており、都の要と言われているところだ。
「お寺の子だったの」
「別にあの寺の子供でもないし、出家してるわけでもない。ただ、最近世話になることになって、平安京に来たんだ。まぁ、簡単に言えば居候だ」
「そうなの。じゃあ、道が分からなくても仕方がないね」
先ほどまで向けられていた敵意はどこへやら。他愛のない会話が鴨の河原に響く。川のせせらぎが心地いい。
「ここに来る前はどこにいたの?」
「南都の近くだ。故郷では宮司に世話になってたんだが、呪術の才があるから都に行けってさ。その宮司の伝手を辿って奈良の神宮から今いる禪院に落ち着いたんだ」
「呪術の才……だから、式神って」
「ああ。まだまだ修行中だけどな。あの禪院には、時々式神の扱いに長けた術師がやってくる。自分の術式を使いこなせるようになるためにも、その人から学ばなきゃいけない」
平安京ができる以前には、ここから南の地に平城京という名の都があった。今では南都と呼ばれる奈良にも、ここと同じく寺社仏閣が建ち並んでいる。昔に比べ衰退しているとは言え、古都には強力な呪いが蔓延るものだ。術師が多く集まるのも自然な流れだ。
おそらくこの子は皆から才能を見込まれているのだろう。そうでなければ、京の鬼門を守る要塞とも言える重要拠点に送り出したりはしないはずだ。
今は未熟でも先行き強力な術師になるのだろうか。少なくとも一目で私が宿儺様の手によって生み出された存在だと言い当てたのだから、生まれ持った才能は本物だ。
いずれ宿儺様の脅威となる存在になるならば、若い芽のうちに摘んでおくことを考えるけれど、未だかつて宿儺様を超える術師など存在しなかったのだから、これから先も変わることはないだろう。
杞憂か、と隣を歩く男児へ視線を向ける。思いがけずカチリと目が合った。
「いろんな術師に会って来たけど、お前みたいに意志を持ってベラベラ話す人型は見たことない。まぁ、でも
「何故、宿儺様のこと知ってるの?」
「知らない奴の方が少ないだろ。術師総出で祓えない化け物なんてそうそう居てもらっちゃ困る。……そんな奴の式なんて、今の俺なんかじゃ祓えない」
そう言われてみれば、たしかにそうか。腑に落ちた私は、独り言のような彼の言葉を拾い上げる。
「だからさっきは戦わなかったの?」
「当たり前だろ。相手の力を見誤るほど落ちぶれちゃいない。……それよりお前こそいいのかよ。殺ろうと思えば殺れるんだろ」
不意に立ち止まった彼は、瞳の中で静かな怒りを燃やしていた。力のない己へのやるせなさが燻っている。
揺れる炎のような眼差しが、記憶を刺激する。あの日、初めて頭を垂れた私を見て、宿儺様は一体何を思っていたのだろうか。今ならきっと分かるはずなのに、過去の己は記憶以上のものは映していない。
口籠もった私を、彼は食い入るように見ている。返答に迷っているのだと思われているのだろうが、そうではない。答えはとうの昔に決まっている。
「命令じゃないから。それ以上でもそれ以下でもない。特に危害を加えられてないのに、戦闘をするなんておかしな話でしょう?」
頭を振って答えれば、彼は歩を進め、私の顔を覗き込む。
「本当に?」
「ええ、もちろん」
「じゃあお前は、命令でもないのに見ず知らずの俺を助けようと手を貸そうとしたのかよ」
「それは……」
思わず口籠もった。彼が放った「矛盾だらけだな」という言葉がこの胸を貫く。
図星だった。何より主命に従わなければならないのに、ふとした瞬間に自我が勝ってしまう。何かの手違いで生まれてしまった、この二律背反の感情をどうやって処理すればいいのだろう。
「お前、可哀想だな」
「かわいそう?」
「鬼のくせに人より人らしいなんて、可哀想だろ。俺なら全部割り切って自分のやりたいように生きるね」
私は行き場のなかった視線を鋭く研ぎ澄ませる。
鬼のくせに。可哀想。そんな言葉より、自分のやりたいようにと、自分勝手な主張が心を逆撫でた。
「それは……主の意志に叛くということ?」
「怒るなよ、俺のならって言っただろ。別にお前にそうしろって言ってるわけじゃない。……だけど、やりたいことの一つもないのかよ」
何も言い返さない私に、彼は「つまんねーやつ」と白けた声を上げた。そして、怪訝な視線で頭のてっぺんから足の先まで撫でる。
「まったく、どんな高等術式を使ったんだろうな。寺にある書物を片っ端から漁れば分かるのか……?」
独り言のような彼の問いに、思わず「書物?」と聞き返す。
「寺にはいろんな術師が集まってるからな。呪術について記された書物もたくさん集まるんだよ」
「……それなら、少しでもいい。私のこと何か分かったら教えて欲しい」
「ハァ? 自分の主人に聞けばいいだろ」
「聞けない。そんなことを聞いたら、私は捨てられてしまうから。それでも……捨てられたくはないけれど、私は、私のことをもっと知りたい」
自分自身を理解できていないから、次々と余計な疑問が浮かぶのだ。悩みの種を全て潰してしまえば、何も知らなかったふりができる。
それが私のやりたいこと。そう俯いて言う私に、彼は深い息を吐いた。
「分かったよ、だからそんな顔すんな」
右手を取られる。ハッと顔を上げた。
「お前、名前は?」
「……千乃」
己の名を告げ「貴方は?」と問えば、彼は押し黙った。
繋がれた右手に力が入る。私は不自然な沈黙を破り、どうかしたのか尋ねた。
「いや、名乗る名前なんてなかったなって」
「名前がない?」
周りからは何と呼ばれているのか。まさか名無しというわけではないだろう。それならば、何か名乗れない事情がある?
そう思考を巡らせると、ようやく彼が口を開いた。
「タキ、とでも呼んでくれたらいい」
その言い方は明らかに本名ではないことをしさしていた示唆していた。
私にとっては本名だろうと偽名だろうと、どちらでもいい。差し出された手を拒む理由は私にはなかった。