五、心魂開闢 伍
タキと名乗った少年とは、三日後に禪院の裏山で落ち合う約束をした。結界外にある山小屋なら、私でも他の術師に気取られることなく近づけるため都合が良かった。
宿儺様にあの子のことをどう伝えようか。暗闇に溶ける長い廊下を歩きながら考える。床を踏む音に、庭に響く虫の音が息を潜めていた。
母屋の前に立つ。
「宿儺様、」
「入れ」
言い切る前に答えが返ってくる。そのまま御簾の間に身体を滑り込ませ、部屋の中に入った。
「何用だ」
既に寝間着を纏った宿儺様が目の端で私を捉えた。
「調査の件、ご報告にまいりました」
胡座をかいた宿儺様から少し離れた入口付近に座り頭を垂れる。
少しの間を開け、思い出したように「ああ」と漏らした宿儺様は、私を一瞥し先を促した。
「将門の子が入京した、か」
「あくまで噂ですが……」
「戯言で検非違使まで動かすとは、朝廷の貴族どもは相変わらず肝が小さい」
ひと通り市で聞いた話を伝えると、宿儺様は心底呆れ返ったため息を吐いた。
「将門の首を見たのを覚えているか?」
「はい。ご一緒に鴨の河原を通った際に」
「ああ。……十年も前の話か」
腰ほどの高さがある木箱の上にいくつか並べられた首の中で、ただ一つ呪いに転じた平将門。その禍々しさに人々は皆、近づくことさえしなかった。民衆に渦巻く恐怖。それこそが一介の呪いを怨霊たらしめる所以だった。
思考の傍ら、目の端で燈台の火が揺れた。無数の影が蠢き、空間が歪んだように錯覚させる。
室内の気配に違和感を覚えた。弾かれたように顔を上げると、すぐ側で宿儺様が私を見下ろしていた。
ぬ、と近寄る顔。影に包み隠された表情は一切読めない。あまりに唐突な出来事に身体が硬直する。
髪が微かに頬を掠める。張り詰めた緊張が決壊する寸前、宿儺様はすんと鼻を鳴らした。
「案外戯言ではないかもしれんな」
耳元に浅い吐息がかかった。思わず喉を鳴らす。
「……では、平将門の子は父親の仇打ちにやって来たのでしょうか」
ようやく身を引いた宿儺様を前に、乾き切った口内をこじ開ける。訪れるはずの沈黙を掻き消して、胸に抱えた居心地の悪さを咄嗟に隠した。
「さぁな、単に可能性の話だ。だが言うだろう? 火のないところに噂は立たぬ、と。多かれ少なかれ何かしらの事実があるとすれば、面白いことになるかもしれんな」
「……はい」
「引き続き探ってみるといい。きっとお前も楽しめる」
口角を吊り上げた宿儺様へ「承知しました」と頭を垂れる。
顔を伏せていると楽だった。読み取られまいと強張っていた頬の力が抜けていく。私はそのまま御簾に手をかけた。
「夜分に失礼しました」
「ああ。お前のせいで目が冴えた」
「……申し訳ございません」
従者には報告の義務がある。そして、
私は再び頭を下げた。これ以上不快な思いをさせる前に姿を消そうと外へ出る。
背後でギ、と軋む音が鳴った。振り返ると宿儺様が私の後に続いて廊下の板を踏んでいた。
「少し付き合え」
「……」
意味が分からず首を傾げる。暫しの間を要し、再び宿儺様が口を開いた。
「嫌か」
ますます訳が分からなかった。私の意思を問うなど、それではまるで──
「……なぜ、」
「何故とは?」
「命令は絶対です。私に尋ねる必要はないかと」
「それは、お前が一番分かっているだろう」
……気付かれた。確実に気付かれてしまった。
拳を握り、震える指先を隠す。
「酌の用意をしろ」
絶望へ身を投じる私に、宿儺様は容赦なく言い放つ。
「命じられれば逆らわないのだろう?」
「……はい」
強張る唇を結ぶ。
彼の妖しく細められた瞳に、本心を炙り出されそうになりながら、淡々と降り注ぐ月明かりに晒されるしか術がなかった。