三十九、懐玉・玉折 参



「星漿体・天内理子の遺体。五体フルセットだ」

 ゴトリ、と鈍い音をたて、布の上に着地した少女。意図せぬ方向に投げ出された、脱力しきった四肢。西陽が差し込む盤星教本部の一室では、淡々と依頼者へ受け渡しが行われていた。
 五条悟は当初の策の通り、甚爾の手により殺害された。東京校の被害も甚大だと聞いている。遅かれ早かれ今日中には、京都の方にも情報が渡るだろう。……まぁ、渡ったとて死人が出ている以上、手遅れであることに変わりはないが。
 六眼持ちの次期五条家の当主が殺されたとなれば、御三家のパワーバランスにも変化が生じるだろう。表面上は素知らぬ顔をしていても、禪院家内では甚爾の行いをよくやったと褒める者も出てくるかもしれない。
 今まで甚爾にしてきた行いを顧みず、手のひらを返す態度を目の当たりにしたら、私はきっと口を閉ざすだろう。その一方で渦中の人物である甚爾は、これまでと変わらず素知らぬ顔で力を金に換えるだろうが、それでいい。御三家のしがらみに今さら彼が振り回されるぐらいなら、振り回す立場の方がちょうど良いのかもしれない。

 歩き出した彼らの背中を追って外に出る。私は雲間から差し込む陽の光を見上げた。晴天ではないものの、湿り気を帯びた空気と、鳥の鳴き声に清々しい気持ちにさせられる。今日は一日中、ここで孔と待機をしていたせいか、外の空気が一層美味しく感じた。

「この金で飯食おう。接待に使ってる店連れてけよ」
「嫌だよ。お前、男に奢んねぇじゃん。お前と関わるのはな、仕事が地獄でだけって決めてんだよ」

 彼らの会話の後ろでひっそりと物思いに耽っていた私は、背後からチラリと甚爾を盗み見る。すると、同じように視線を向けた甚爾と目が合った。彼は徐に、己の身体に巻き付いた呪霊の口元に手をやった。

「忘れるところだった」

 ズルズルと吐き出される呪具。地面に落とされたそれらは、私が持ってきたものだった。

「おいおい、ここで出すなよ」

 呆れた口調で言った孔は、足で煙草をを揉み消し、収納できるものを探しに車へ戻って行った。
 私はぞんざいに投げ出された呪具の前に膝をつき、一つ一つ確認しながら拾い上げる。

「確かに」

 間違いのないことを把握した私の頬に何かが触れた。輪郭を掠めた髪を掬い上げ、耳にかけた指。その様を当の本人はじっと食い入るように見つめている。

「何?」
「いーや。跡、残んないもんだなと思ってな」

 つまらなさそうに首筋を視線で撫でた甚爾に、思わずそこを手で隠す。
 意図せずとも常時反転術式が発動している状態の私には傷跡は残らない。それは情事による鬱血痕も例外ではなかった。
 唐突に昨晩のことを蒸し返す彼を、私は恨めし気に見上げた。

「……残ってもらっても困る」
「なんでだよ」

 決まりが悪くそう言うと、甚爾は悪巧みを企てるような顔でカラカラと笑った。

「抱かれて来たことを知ったら、お前が誑し込んでる奴ら、どう思うだろうな」
「……悪趣味」
「なんとでも」

 愉快そうに鼻で笑った甚爾を不服に思いながらそっぽを向く。ちょうど車から簡易的な黒いボントンバッグを持って戻ってきた孔に促されるまま、抱えていた呪具を中に収納していく。

「俺は彼女を東京駅まで送る。伏黒、お前はどうする」
「あ〜……」

 ジッパーを閉め終えた私に、考え込むような仕草で視線を送った甚爾。目を合わせると、結論が出たのか口元に薄く笑みを浮かべた。

「見送りなんていらないだろ」
「そうだね。……どうせまたこき使われて顔を合わせることになりそうだし」
「まだ怒ってんのかよ」

 先ほど揶揄われたことも尾を引き、分かりやすく臍を曲げてみせると、甚爾はやれやれと後頭部に手をやった。それでもすぐに私へ真っ直ぐな眼差しを向け、目尻を柔らかく緩めた。

「助かった」
「そう、それならよかった」

 偽りのない言葉に、ふと肩の力が抜ける。来る時に抱えていた釈然としない思いは、少しの足跡を残しつつも、それを口に出そうと思わないほどにはすっきりと晴れていた。

「じゃあ、ここで」
「ああ」

 甚爾に別れを告げ、孔の後を追う。白いワゴン車の助手席に乗り込んだ私は、窓の外から遠くの山を眺めていた。

「本当は見送りに来て欲しかったんじゃないのか?」
「まさか」

 坂を下り始めた揺れる車内。予想外の言葉に、ただ真っ直ぐ進行方向を見つめる孔の方へ顔を向ける。

「アイツ、京都へ行けって俺に指示してきた時、アンタのことなんて言ったと思う?」
「さぁ……?」

 皆目見当もつかない。強いて言うのであれば、使えそうな都合のいい便利屋、などそのあたりだろうか。
 そう首を傾げた私に、孔はチラリと視線を向けた。

「一番信用してる奴、だと」
「……」

 予想外の答えに、言葉が見つからない。そんな私の様子に、彼は口角を吊り上げた。

「アイツとはそこそこの付き合いだが、まさかアイツの口からそんな言葉、聞くとは思わなかったね。群れるわけでもなく、信じられるのは自分だけってタイプだろ? 今まで協力者なんて口にしたこともなかった奴だ。使えるものは使うだけだ、なんて言ってたが、信用してるって言葉が全てだろ」

 ハハハと声をあげて笑った孔に、私はそろりと閉ざしていた口を開いた。

「その信用に応えられたのなら、今まで重ねてきた後悔も報われます」

 車窓から空を仰いだ。その瞬間、地鳴りが響く。
 地震、いや違う。空に舞い上がる土煙に目を見張った。

「……は、あれは……」

 あの方向には、先ほどまで私たちが身を置いていた盤星教本部がある。
 予感の中にある確信。降ってきた直感を呪いながら、シートベルトに手をかけた。

「停めて!」
「おい、待て! 戻るつもりか!」

 孔の問いに答える間も無く車から滑り降り、呪具の入った鞄を肩に掛けながらアスファルトを蹴る。まだそう遠くはない。自分の足でも辿り着ける。
 坂道を駆け上がり、敷地内に入る。状況を把握しようと足は止めずに辺りを見渡した刹那、視界が鮮やかな茈色に染まった。

「甚、爾……?」

 凄まじい風圧と轟音。全てが過ぎ去った静寂の中、佇む二つの人影の元に駆け寄れば、甚爾の手によって殺害されたはずの五条悟と、まさに今、命を手放そうとしている甚爾の姿があった。
 二言、三言、と五条悟に対し言葉を紡いでいるものの、身体に空いた大きな風穴が、確実に助からないことを仄めかしていた。

「……こんなことになるなら、あの時、無理矢理にでも、連れ出しておくべきだったのかもな」

 私を一瞥した彼は、血に潤った唇で淡々と語った。
 他者へ反転術式が使えたら、どんなによかっただろうか。消えそうな命を前に、いつも抱く後悔を噛み締める。これ以上喋るのを阻止するように、私は慌てて首を振った。

「ごめんなさい……っ! 私、一つ嘘をついてた」

 滴る血の雫が足元に落ちていく。吹き飛ばされた左上半身から目を背けず、胸元に顔を埋め、彼の意識を繋ぎ止めるように捲し立てる。

「命令がないと禪院家から出られないなんて嘘なの。十種影法術使いに仕える縛りなんて、そんなの初めから交わしてない! あの子がそんなことをするわけがない、ただあの子の優しさに甘えて、全てを失った穴を埋めていただけ。千年、私は、ずっと飼われているようで飼われることを選んでた」
「……は、なんだよそれ」

 じわじわと足元に広がる血溜まりに、涙が零れ落ちる。堰き止めたい。堰き止められない。焦りが震える息に変わった。

「ばーか、だったら尚更だろ。いつでも自由になれるじゃねーか」

 苦し気な吐息とは反対に、全てが腑に落ちた赦しの眼差しが降る。

「……俺は、お前に救われた。千乃、お前も救われるといい、な」
「待って、甚爾、甚爾……!」

 カクンと落ちた首に、慌てて身体を揺さぶる。魂を手放した身体は、簡単に揺らめいた。あの強靭だった肉体が覆い被さり、支えきれなかった私は血溜まりの上に膝をついた。

「は、あ……あ、」

 まだ温かいのに、もう彼ではない。そのちぐはぐな様に、遠い昔、唯一無二の存在を失った時の記憶が呼び起こされた。
 まただ。また、己の腕の中で大切な人を手放してしまった。もう、誰とも死に別れたくない。
 それが大切な人間のみを指している強欲さに気付きながらも、今はただ涙を流すことしかできなかった。






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永遠に白線