八、主君と知己 弐



 ここ最近、宿儺様の機嫌が良い。
 久々に外へ出向いたと思えば、山を越えた先にある近江の湖を半分ほど干上がらせた後、都を挟んで反対側にある嵐山の奥地を吹き飛ばした。京の東西が呪霊、術師の屠殺場と化したことに、今頃内裏は大騒ぎしているだろう。
 気分が優れないより今の状況の方が断然良いのだが、いつ捨てられるか常に萎縮してる己とは雲泥の差があった。

「おい、聞いてんのか」

 その呼びかけに隣を見る。
 ふくれ面のタキが手に持っていた書物をこちらに押し付けた。

「自分のことを知りたいって言ったのお前だろ。せっかく参考になりそうなの集めてきたんだから話くらい聞けよ」
「そう、だよね。ごめんなさい」

 自分で言い出したことに上の空で返すなんて失礼極まりない。
 素直に頭を下げると、タキは大きなため息を吐いた。

「何でそんなに暗いんだよ。あ、さては宿儺に怒られたな」
「…………」
「当たりなのかよ」
「ううん、怒られたとか、そういうのじゃなくて……」

 力なく頭を振る私を見て、彼は「そこまで言いかけたんなら言えよ。気になるだろ」と先を促す。
 宿儺様に見限られたら終わり。私はぽつりぽつりと事情を吐き出した。

「……いつ捨てられるのか、常に気がすり減って仕方がないの」
「ふうん。じゃ、捨てられた後にどうするか考えなきゃな。そのために、尚更自分のこと知っておかねぇと」
「生きる……?」
「今できることってそれぐらいだろ」

 ──そんなこと、一度だって考えたことなどなかった。
 殴られたような衝撃に呆然とタキを見た。
 
「うじうじ悩んでても仕方がない。とにかく、せっかく書物集めてきたんだから、目くらい通せよ。怪しがられないように持ってくるの大変だったんだからな」

 そう言って積み上げられた本の山から一冊手に取る彼に「ありがとう」と礼を告げる。
 己の手の中にある書物をゆっくりと開いた。ところどころ破けた脆い紙をめくり、文字をなぞる。丁寧に墨の跡を追う指が門外不出≠フ注意書きにぶつかった。

「今更だけど持ってきて大丈夫だったの? 貴重な書物みたいだけど……」
「本当に今更だな。でもまぁ、今日は大丈夫。みんな清明せいめい殿に夢中だから」

 安倍晴明あべのせいめい。秀でた才を持ち、式神の扱いを得意とすることで名高い術師だ。
 天文道と干支を組み合わせた六壬りくじんという占術で用いる、十二天将じゅうにてんしょうを式として操ると宿儺様が仰っていた。
 安倍晴明は朝廷の陰陽寮に属しており、過去に数度宿儺様の討伐に参戦していた。そうでなければ宿儺様の口から詳細が語られることはなかっただろう。

 隣でゴソゴソと擦り切れた茣蓙ござの上であぐらをかいたタキへ視線を移す。
 
「なんでまた、そんな大層な陰陽師が?」
「うちの禪院の祭神、泰山府君たいざんふくんなんだよ」
「泰山府君?」

 聞き慣れない名前に首を傾げる。すると彼は、手元の書物をめくり「ほら、これ」と指をさした。
 示された項目を覗き込む。そこには大陸に古代から伝わる神の名が羅列されていた。泰山府君は、仏教では閻魔に仕える地獄の一王とされ、神道ではスサノオと同一視されるという。
 どうりで聴き慣れないわけだ。しかし、安倍晴明とどう関係するのかが分からない。

「俺も詳しくは知らないんだけど、数年前死期が近いある僧の寿命を延ばすために、どうにかできないか清明殿に相談した奴がいたらしい。清明殿はその願いを叶えるため、泰山府君祭を催した。その後、どうなったか分かるか?」
「えっと……願い通り、僧の寿命が延びた?」

 順当な私の解答に、タキは首肯する。

「そう。泰山府君は生と死を司る神だからな。実際の祭祀で使われたのは、清明殿の術式らしいけど。みんな清明殿に借りがある以上に尊敬してる。悩みも聞いてくれるし、術の使い方も指導してくれるから、清明殿がやって来た時はみんな客間に大集合するんだよ」

 なるほど、それだけ人気者の彼がやってくれば、皆の意識がそちらに向くというわけか。
 その隙を利用するとは、幼いながらに機転が効く。賢い子だと素直に感心する。しかし、本人はそれでいいのだろうか。

「安倍晴明は式神使いでしょう? 同じ式神使いなのに行かなくていいの?」

 彼こそ安倍晴明から学びを得ることは多いだろう。他の術師と同じように、天才を囲む輪の中に入った方が彼にとって有益なのではないか。
 そう問えば、タキはしばしの間口籠もり、のそのそと傾いた小屋から這い出る。

 私は慌てて後を追って外へ出た。
 紅の引敷を踏み分ければ、草履の下でさくりさくりと乾いた音が鳴る。足の裏に張り付いた小気味良さとは裏腹に、喉元で決まりの悪さが燻っていた。
 背後で足を止めた私の気配に、彼は紅葉を見上げたまま口を開いた。

「別に、俺は強くなりたいわけじゃないし、いーんだよ。……お前との約束が先だったしな」

 どこか哀愁を帯びた彼の面構えに、木枯らしが吹き付ける。頭上を赤く彩った葉がはらはらと舞い、地面に降り注いだ。
 強さが全てのこの世において、強さを求めない術師が存在するなんて。その驚きを口にすることは憚られた。何かしらの理由があることは彼の表情が雄弁に語っている。

「頭」
「え?」

 物悲しげな面持ちを解き、そう唐突に言い放った彼は、こちらに歩み寄る。そして「ん」とだけ言って袖を引いた。どうやらしゃがめと言いたいらしい。
 腰をかがめ、彼と同じ目線になる。彼は私の頭部に手を伸ばし、摘み上げたものを差し出した。

「ありがとう」

 紅葉の葉を受け取る。それはどこか幼い彼の手のひらのようで小さく笑えば、「そんなに小さくねーよ」と不満げな声が返ってくる。

「そうかな? ほら、真っ赤」

 彼の手を取り、指の間を割り、小さな拳を開く。すると、彼は顔をカッと赤く染めた。

「ば、馬鹿にしてるだろ!」
「ごめんなさい、褒めたつもりだったの」

 声を張り上げた彼に、眉を下げ謝る。決して怒らせようとしたわけではないことを告げると、「いや、だから、その……」と何やらぶつぶつと口の中で唱えていた。
 ふと、己の手のひらを見る。死人のような肌の色に、タキの天に透かさずとも分かる血潮の脈動が羨ましく思えた。

「白いな」
「……うん」
「鬼の血も赤いのか?」

 同じく手のひらを覗き込んだ彼に「多分」と呟く。

「……まさか、それすら分かんないとか言わないよな」
「あまり怪我しないから。それに、反転術式もある」
「それはまた……便利なこって」

 どこか呆れ混じりにそう言ったタキは、深いため息を吐いた後、片眉を下げたまま再び私を見上げる。

「でもまあ、よかったな」
「うん? 何が?」
「大切にされてるってことだろ。そんなに手厚く術式を付与されてるんだから」
「大、切……」

 ──宿儺様が私を? そんなまさか。
 以前のようにろくに仕事も任せてもらえず、心を見透かされ、面立ちを謗られ、いつ捨てられるか分からない。そんな私が大切にされているなど、たとえ天地がひっくり返ったとしても有り得ないだろう。

「……私には、とてもそうとは思えない」

 弱々しく彷徨った視線の先には、先日と同じく強い意志を宿したタキの瞳があった。

「千乃、お前これからもずっとその調子でやってくのかよ」

 歯切れの良い言葉は、私を責めているようで頼りない心根に寄り添うようでもあった。
 ただじっと彼の瞳を見つめる。私はきっとこれからもその調子≠ネのだろう。しかし、何故だか頷くことができなかった。

「断言する。心を押し殺すなんてできるわけない。それなら、そんなこと気にしなくてもいい場所を見つけるしかないだろ」
「……そんな場所なんて、どこにも」
「もしお前が捨てられたら、俺が拾ってやってやる」

 突拍子もない宣言に呆気に取られる。恐る恐る「……タキが私の主になるってこと?」と問えば、「主? いやそういうつもりじゃなかったけど、そうなるのか?」と曖昧な返答を繰り出した。
 先ほどの威勢は何処へやら。二人して首を傾げているのが可笑しくて、小さく笑みを零す。

「もし主になるなら、術式を使いこなせるようになってからじゃないと」
「ぐっ」

 冗談を交えてそう言えば、彼は痛いところを突かれたと大袈裟に心の臓を押さえ叫んだ。

「じゃあ、使いこなせるようになったらいいんだな!」

 私の主は宿儺様ただ一人。
 されど、物が転々と人の手を渡っていくように、私も他の誰かを主と呼ばなければならない時が来るのかもしれない。

「……そうだね。その時がきたら、お願いしようかな」

 見ず知らずの人物より知己ならば、少しは心穏やかに過ごせるだろうか。
 決して望むべきではない行く末。その想いと共に、手の中にあった紅葉を懐に仕舞い込んだ。






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永遠に白線