1.一途な愛 I
五年間付き合った彼氏と別れた。
別れを切り出したのはわたしだ。お互いに依存することなく自立した関係で、一心に愛し愛されていると思っていた。
しかし、わたしが全幅の信頼を置いていた彼は、影で女の子に下心を丁寧に織り交ぜたメッセージを送り、なけなしの給料をギャンブルに注ぎ込み、これまで一度も行ったことなどないと豪語していた風俗に行き、お気に入りの子と比べ下品な言葉でわたしを貶していた。
なんでこんなやつと付き合ってるんだ?
誰だってそう思うだろう。わたしもそう思う。
でも聞いて欲しい。わたしの前では確実に価値観の合う良い彼氏≠セったのだ。つまり主演男優賞並みの彼の演技力によって、わたしはまんまと騙されてしまっていた。
もはや裏切られて悲しいと思う気持ちを通り越して、怒りが湧いてくる。
よくもこんなに健気に想って献身的に支えてきた良い彼女を裏切れるな⁉︎ お前より良い給料もらっても将来のことを考えて貯金に勤しみ、不貞に思われるような行動を全て排除するために男友達との関係を全て絶っていたわたしの誠実さは、乙女心はどうなる? 人の心とかないんか⁇
そう思いつつも、無事刃傷沙汰にならずクズ男とはお別れし、わたしは五年ぶりにフリーの身となった。……のはいいものの、独身社会人の最大の悩みがのし掛かる。
「……出会いって、どこに落ちてます?」
この五年の間、男性との連絡を絶っていたせいで、出会いがなさすぎる。
新たに人間関係を構築するには街コンか、マッチングアプリか。手っ取り早く行動するとしたら使い勝手がいいけれど、男に騙されたばかりのわたしがレベルの高い駆け引きを要するそれらで上手く出会えるとは思えない。かと言って勤め先の人は今後仕事の人間関係に影響しそうで嫌だ。
わたしは頭を抱えた。男の穴は男で埋めろとはいうけれど、そう簡単にいかないじゃないか。
誰か人伝手に紹介してもらうのが一番現実的かつ成功率が高い気がする。それなら疎遠になった友人に連絡してみるのも気まずくはない。
思い立ったが吉日、早速連絡帳の奥底にあった番号を引っ張り出した。
◇◇◇
延々と連なる寺社仏閣の屋根を見上げる。自然の中を通り抜ける清々しい風が気持ちいい。
そう言いたいところだが、少し青臭いような土臭いような、この独特な山奥の匂いが私は大嫌いだった。
辺鄙な場所なのは昔から変わらない。学生時代を送った呪術高専の敷地は、遠い昔の記憶をくすぐった。疎遠になった友人たちはまだこの場所で呪いと向き合い、犠牲を払って戦っている。わたしにはできなかったことだ。
後ろめたさのようなものが、まだ自分の中に残っていたことに驚く。そんなものとっくに捨ててきたと思っていた。
神妙な面持ちで感傷に浸っているわたしの足元で、ゲラゲラと笑い転げていた男がようやく言葉を発した。
「いや〜、数年ぶりに会ったと思ったらまさか初っ端からこんな面白い話されるとはね」
「まったく面白くないんだけど。五条くんには元気付けようとかそういう思いやりの気持ちないの?」
わたしの身に降り注いだ災難をうっかり漏らしたのが間違いだった。
酸欠になりながらヒーヒー腹を抱えていた五条くんは、ジッとわたしの顔を見たかと思えばここ一番の爽やかな笑顔でサムズアップを構えた。
「母校に男漁りに来るその心意気、イイネ!」
「人聞きの悪いこと言わないで! 何が悲しくて呪術師と付き合わなきゃいけないの」
──呪術師なんていつ死ぬか分からないのに。
その本音を最強と謳われる彼に言う度胸はなく、静かに喉の奥に押し込む。
「じゃあ何しにきたのさ」
口を尖らせた五条くんに、私は急にバツが悪くなり、ああだのううだのうめいてから口を開いた。
「ねぇ、七海くんって呪術師辞めたんだよね? 連絡先知らない?」
「ゲェ〜七海狙いかよ」
「そんな見境ないみたいな反応しないでよ。ただ七海くんに誰か紹介してもらおうかな〜と思っただけで」
どうしても変人奇人が集まってしまう呪術界の中でも彼は間違いなく常識人だ。恐らく誰に尋ねても皆口を揃えてそう言っただろう。
そんな頼もしい後輩の周りならば、まともな人も多いはず。要するに七海くんに堅実な人を紹介してもらおう作戦≠セ。
これならいける! と内心ガッツポーズをキメたところで、背後からポンと肩に手が置かれる。
「残念。七海なら呪術師に出戻ってるよ」
「ええ⁈」
衝撃の事実と共に現れたのは最強の片割れとでも言うべきか、相変わらず学生時代と何も変わらない胡散臭い笑みを浮かべた夏油くんだった。
「夏油くん久しぶりだね。元気?」
「この通りだよ」
「? ふ〜ん」
顔色一つ変えずにこやかな笑顔を降り注ぐ彼に小首を傾げる。
何がそんなに可笑しいのか。もしかして、太っただの劣化しただの思っているのだろうか。
そんな元彼と同じようなことを思われているのなら傷つくなぁと思いながら、だだっ広いグラウンドの上で鍛錬を積む生徒たちの様子を眺めた。
「学生っていいよねぇ」
青春を謳歌している様は、すでに擦り切れてしまったものに十分すぎるほどしみた。傷口に容赦なく消毒液をかけられたような痛みと、これまで溜まっていた膿を洗われたような感覚。その癖になる痛みは不思議と不快ではなかった。
「ハハハ、まさか未成年に手を出そうなんて思ってないよね」
「いやいやいや流石にそれはない。ただみんな頑張ってるな〜と思って」
ポロリと零した本音に、教師として生徒を守らなければという使命感が働いたのか夏油くんが詰め寄ってくる。
生徒想いなことは良いことだ。教師の鑑なのは良いけれど、決して私は犯罪者予備軍ではないからそんなに見つめないで欲しい。
じ、と視線を注がれ、冷や汗をダラダラかいたわたしに珍しく五条くんが助け舟を出してくれた。
「ホラ、あっちのひたすら投げ飛ばされてるのが今年の一年生で僕の受け持ち。そんで向こうの実践組は二年生だよ」
「一人白い子いるけど」
「ああ、乙骨か。彼は特級だからね」
学生のうちから特級だなんてこの二人以来の逸材だろう。
そう思い問うと、教師たちの口から彼の生い立ちから術式まで語られた。
そしてわたしの口から出たのは特大のため息だった。
「ハァ〜〜ッ一途……ッ!」
噛み締めるように言ったわたしに、えぇと若干引いた声を漏らす教師二名。
とにかく今の愛に裏切られたわたしには揺るがない愛≠フ話が何よりも効く。
まったく、呪われるほど愛されてみたいものだ。
「あ〜乙骨くんみたいな人と付き合いたい……乙骨くん、二十歳すぎるまで待ってちゃダメかな」
「捕まるのが先かリカに殺されるのが先か、どっちだろうね〜」
流石にどちらもお断りだ。ガックリと肩を落とし項垂れたわたしは呪詛を吐くように言う。
「正直もう一途だったら誰でもいい……わたしのことを裏切ることがない絶対的に信頼できる存在ってどこにいるの……」
もうこれに尽きる。お互いに信頼し合えるのであれば、男でも女でも犬でも猫でも有機物から無機物、はたまた宇宙人だってもう何でもいい。
自暴自棄になりかけていることからは目を逸らしつつ、ぼうっと宙を見上げる。するとそれまで口を閉ざしていた夏油くんと目が合った。
「ここにいるけど」
「? 何が?」
「絶対に裏切らない一途な相手」
彼から注がれる真っ直ぐな視線とは裏腹に、はぁと間抜けな声が漏れた。しかしすぐに我に返る。
「え、どこ」
そんな理想の相手がホイホイ現れてたまるかと思いながらも食いつかずにはいられない。すでにアラサー、三十路を目前としている身だ。血眼になって必死にもなる。
そんなわたしに気圧されることなく、夏油くんは勿体ぶるような動作でゆったりと己を指差した。
「ここ」
「いやいやいや……!」
「酷いな。そんなすぐ否定しなくても」
「じょ、冗談だよね? だって、正気じゃないよ」
「正気だし本気だよ」
「いやいやいやいやいやいや!」
夏油くんと距離を取るべく身を引いて、顔の前で腕を使って大きくバツを作る。
「呪術師だけはお断りなので……! わたしは普通の一般人と一般的な普通の幸せを手に入れることが目標で……っ!」
自分で何を言ってるか分からなくなってきたけれど、とにかくわたしが欲しいのは命のやりとりから一番遠いところにある幸せなのだ。
それを伝えようと顔を上げた瞬間、重心が後ろに傾く。
あぁ、階段を踏み外したのか、と冷静に思いながら、受け身を取るべく身体をすくめ、ギュッと目を瞑る。
「猿のどこがいいんだか」
夏油くんの声が降る。しかし、痛みは未だにやってこない。
恐る恐る目を開けると、目の鼻の先には彼の顔があった。
腰に回った彼の手と掴まれた手首の力強さに目を見張る。
「君にとって
「嫌だよ。わたしは自分が一番可愛い人間だから、死ぬのが怖い。死ぬ人を見るのも」
死は皆に平等だと言うけれど、その平等を見据えて向き合うなんてわたしには耐えられない。
「私は死なないよ」
「そんな、もしものことがあるかもしれないじゃん。信用できないよ」
無責任なことは言うべきではない。わたしがそうやって突き放すと、ようやく腰に回った手が解かれ元の体制に戻る。
「じゃあ、信用してもらえるように毎日証明しないとね」
「……え?」
乱れたわたしの髪をそっと直していった彼は「じゃあまた明日」と手を振って去っていく。
「明日⁉︎ わたしもうここには来ないからね⁉︎」
この数年完全に関係を断っていたはずなのに、なんでそうなる⁉︎ もしかしてまた騙されてるとか⁉︎
その叫びは確実に彼の背中に届いていたはずなのに、夏油くんが振り返ることはなかった。