タソガレドキ忍軍お家騒動の段 その七








 ──時は流れ、あれから四年。
 私は未だタソガレドキに帰れずにいた。

「……そろそろ戻らなきゃいけないのは分かっているんだけどなぁ」

 とある合戦場を覗き込みながら独り言を零す。
 タソガレドキを出た後は、昔活躍してた忍の噂を耳にし、氷ノ山の山奥に住む元くノ一を訪ねたり、金楽寺に転がり込んだりと転々としながら得た伝手で、火縄銃の名手である照星さんの元で鍛錬を積み、他の火器を学びに多田堂禅さんの元を訪れ、変装術まで学ばせてもらった。そこで偵察に来ていた他の城の忍者に声をかけられ、金策も兼ねて仕事をもらうようになり、今に至るわけである。

 本当なら帰れないはずなどないのだ。雑渡様は無事に回復され、一年ほど前に忍者隊に戻られたと聞いている。
 ただ、そう思う理由は、どれだけ鍛錬を重ねても、タソガレドキの忍として胸を張れるような実力ではないことだった。その根底にはきっと、人を傷つけたくない、命を奪いたくないという気持ちが足を引っ張っている。
 どうにか血を流さず平和な世になって欲しい。そう考えたら、私が受けた和平のための縁談は理想的なものだったのかもしれない。

 はぁ、とため息を吐いた。ここでうじうじと悩んでいても仕方がない。そろそろ引き上げるかと腰を上げた時、横の崖の上から「いけいけどんど〜ん!」という声と共に、忍び装束の少年が転がり落ちてくる。

「危ないっ!」

 咄嗟に身体が飛び出していた。転がり落ちる少年を庇い、受け身を取る。

「イテテテ……」
「大丈夫?」

 ギュッと目を瞑った少年に声をかけると、「小平太!」と上から心配そうな声が降ってくる。どうして落ちてしまったかは分からないが、私は少年を仲間の元に届けるべく、抱き上げたまま崖の上まで登った。

「助けてくださってありがとうございます……!」

 頭を下げながらも、慌てて駆け寄ってきた男性に小平太と呼ばれたその子を引き渡す。

「恐らく足の骨が折れているかと」

 裾を捲り患部を確認すると赤紫に腫れ上がっている。幸い変な方向に曲がってはいなかったので、綺麗に折れてくれたのだろう。これなら治りも早いはずだ。

「仙蔵と文次郎はそこの小川から水を汲んできてくれ。伊作と留三郎は添え木になりそうな枝を探してくるように。長次は小平太の荷物を頼む」

 男性が的確に指示を出すと、それまで距離を取っていた子供達は「はい!」と大きな返事と共に皆散り散りに森の中へ消えていった。

「大丈夫か小平太、ひとまず応急処置をして忍術学園に戻ろう」
「忍術学園……」

 思わず聞き覚えのある単語を繰り返す。その名は修行で訪ねた先々で耳にしていた。

「はい。私はそこで教師をしている土井半助と言います。この子たちは受け持っている忍者のたまごの一年生たちです。授業の一環でやって来たんですが、話が終わる前に飛び出して行ってしまって……」
「せ、先生って大変なんですね」

 話は最後まで聞けと教えたはずだろうと胃を痛める土井殿に、苦笑いを零す。
 そういえばこれまで子供と触れる機会などなかったなと、ふと思う。幼少の頃、高坂と諸泉のところの赤子のお守りなどはしていたが、あれは私も子供だったから大人として子供と接するという感じではなかった。
 お兄様や昆兄様──雑渡様はこのような気苦労をしていたのかもしれない。あの頃の彼らに、私はこのように見えていたのだろうと、彼らと同じような歳になってようやくそれが分かってきた。

「そういえば、貴女はどうしてここに?」
「戦の偵察をしていたところ、この子が突然降って来たんです」
「ああ……それは仕事の邪魔をしてしまってすみません」
「いえ、あとは報告だけなので大丈夫ですよ。それに所詮は派遣忍者の仕事ですし……」

 ごにょごにょと言う私に、土井殿はああと膝を打った。

「フリーのくノ一なんですね!」
「いやぁ、まぁそんなところですかね……」

 ハハハ、と曖昧な笑いで誤魔化す。タソガレドキ忍軍の縁者などと言えるわけもない。
 フリー忍者限定の面接を受けて仕事をとってきているし、嘘ではないかと自分を納得させていると、それまで痛みにベソをかいていた少年が袖を引いた。

「お姉さん! 名前は?」
「こら小平太! 忍び相手に軽々しく名前を聞いちゃダメだろう?」
「だってお礼したいから……」

 活発そうな顔に似合わず、しょも……としょげた顔をするので、慌てて彼の顔を覗き込み視線を合わせた。
 
「一綱小菜乃です。小平太くん」
「小菜乃さん! 助けてくれてありがとう! 早くお礼できるように頑張る!」
「ハハ、まだ治療もしてないのに気が早いな。小菜乃さん、近いうちに忍術学園に来てやってください」
「はい。治った頃にでも」

 土井先生〜! と大きな声で呼びながら、わらわらと戻ってきた他の忍たまたち。それぞれ集めてきたものを受け取った土井殿は、小平太くんに向き直った。

「じゃあ固定するぞ。小菜乃さん手伝ってもらえますか」
「はい」
「足の両側に枝を添えて、濡らした布で巻くっと」

 私は患部を露わにし、添え木がずれないよう押さえる。

「布は?」
「これでいいでしょう」

 私の問いかけに、土井殿は自身の頭巾を取り去った。
 ふわりと結われた髪が舞う。軽く左右に首を振った拍子に、傷んだ毛先が私の頰を掠めた。

「──っ!」

 あの男だ。随分と優しげになった朗らかな表情と、髪が隠されていたせいで気づかなかったが、間違いない。私の前で初めて人を殺めた男だ。
 彼の顔を凝視する。あの男の顔は、胸ぐらを掴まれた際に至近距離でしっかりと目に焼き付いている。見間違えるわけがない。
 硝煙ではない、煙の匂いが鼻の奥をくすぐった気がした。私はあの時のように思わず咳き込んだ。赤黒く乾いた血の跡と、煌々と光る炎の色が目の前をちらつく。ついには乱れた呼吸を抑えきれず、崩れ落ちた。

「小菜乃さん!?」

 こんなところで巡り合うなんて。仇を取れる立場でもないのに、今更、どうして。彼が夫を殺したから私はタソガレドキに戻ることができ、今がある。だけど、私はあの光景を目の前にして、夫が死んで良かったなんて思えなかった。
 私はどうすればいい……どうするべきなの。

 ──息が、苦しい。助けて、雑渡様。







「もう起き上がって大丈夫なんですか」
「大丈夫です。すみません、私まで看病してもらって……」

 結局、酸欠で倒れた私は忍術学園に運び込まれ、意識が戻るまで医務室で寝かされていた。保健委員のお世話になりつつ、心配した小平太くんがずっと隣にいてくれていたらしい。
 彼のせいではないのに、責任を感じさせてしまった。それが申し訳ない。原因は別にあるというのに、本当のことを教えてあげられない。
 私は原因となった男の心配そうな顔を見つめる。

「……何か、ありましたか」
「いえ。何というか……過去に負った傷がちょっと……」

 心の傷という意味では嘘ではない。彼は深くは聞いて来ず、「そうですか」と一つ頷いた。

「土井先生」

 忍術学園の門の前まで送り届けてくれた彼を呼び止める。
 こちらを振り向いた彼は、山の向こうへ沈みかけた西陽に、眩しそうに目を細めた。

「ずっと教師で居続けてくださいね」

 貴方が誰かの先生である限りは、どう整理をつけていいか分からないこの感情を誰にも打ち明けずにいようと思う。それならば、墓まで持っていけるよう、死ぬまでずっと土井先生≠ナあって欲しい。私には真っ直ぐな子供たちの恩師を傷つけるようなまねはできないのだから。
 お世話になりました、と頭を下げて踵を返す。早く依頼主に報告しなければと、足早に山道を抜け、矢文の用意をする。依頼主の屋敷が見える木の上で、弓に矢をつがえキリキリと引き分けた。そうして放とうとした刹那、矢を何者かに掴まれて阻止される。

「随分と長居してたみたいだね」
「雑渡、様……!?」

 ほとんどを包帯で隠されたその姿は、以前の姿とは似ても似つかない。けれど、気配は間違いなく彼のものだ。
 矢を射るのを諦めた私は、弓を下ろす。

「あの合戦、タソガレドキも潜入していたんだよ」
「そうですか……」

 私が雇われの忍として偵察をしていたのも、倒れて忍術学園へ運ばれたのも、全て知っていると言っているようなものだ。
 まさかこのような形で相見えるとは思っていなかったけれど、ずっと前から何を伝えるかは決まっていた。

「雑渡様、あの時は考えが至らず、酷い事を言ってしまい申し訳ございませんでした……本当に、ご無事で良かったです」
「ふうん、そう言う割には帰ってくるのが遅いみたいだけど」

 雑渡様が戻られるまで、と自分で言い出しておいて守らないのはどういうことなのか、問い詰められてしまったら何も言い返すことはできない。
 彼の冷えた口調に続く言葉は何かと身構えていると、ピリと空気が張り詰めた。

「──まさか抜けようなどと考えてはいないね」

 抜け忍となるならば容赦はしないと、眼差しで刺される。
 私はどのように扱われても良いと思いながら、視線を外した。

「……胸を張って帰る勇気がなくて」

 そう情けない本音を、か細く呟くほかない。

「あの頃より強くなったと自負しておりますが、皆の足を引っ張ってしまうのではないかと思うと……」

 命を奪いたくないばかりに、その甘さが仇となりまた誰かを守れなかったら。そう考えるとなかなか戻る決心ができなかった。
 私の返答に雑渡様はよく分からないと言いたげに首を傾げた。

「それ、何か悩む必要ってある?」
「え……」
「だって引っ張ればいいじゃない。みんなそうやって今を生きてるんだから」

 みんなそうやって今を生きている。その言葉がストンと胸の中に落ちた。
 今できる精一杯の積み重ねの先にあるのが未来なら、こんなところで一人立ち止まっているわけにはいかない。

「はい……!」

 滲んだ涙を拭い、確かに頷いた。
 そうして、私は雑渡様と共にタソガレドキへ戻ることとなったのだった。











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永遠に白線