薬も過ぎれば毒の段 その一




「失敗した……! 失敗したっ!!」

 何故私がとある城の屋根を駆け抜けているかというと、組頭から罰として任せられた忍務でヘマをしたからである。
 なんでこんなことに、と焦りを滲ませていると、塀の影からひょっこり顔を覗かせた椎良・五条・反屋が手招きしているのを見つける。

「小菜乃さん、こっちこっち」
「今回も出番ないかと思いましたよ〜大丈夫ですか」
「こちらは気付かれてないです! 行きましょう」
「ありがとね、三人とも〜」

 ひ〜ん、と半泣きで確保された退路を進んでいく。
 まったく頼りになる同僚たちである。忍びとしては後輩ではあるものの、タソガレドキ忍軍に入ったのは彼らの方が先なのだ。申し訳ないがこういう時くらいありがたく頼らせてもらおう。
 情けなくも逃げおおせてタソガレドキに戻って来た私たちは、小頭に報告するべく歩みを進める。しかし、待ち構えていたのは一番顔を合わせたくない彼だった。

「忍務、どうだった?」
「く、組頭……!」
「してくれるよね? 報告」
「はい……」

 このタイミングで帰って来るということは、失敗したのだと分かりきっているというのに、どこか嬉々として聞いてくるのは何故なのか。
 心底気まずそうな顔の三人に、私一人で大丈夫だと視線を送る。この前のように巻き込んでしまうのは申し訳ない。
 組頭の後に続き部屋に入る。この場で二人きりになってしまえば、どうしても先日手酷く抱かれたことを思い出してしまう。
 正直なところ何故ここまで組頭を怒らせてしまったか、未だに理解が及んでいなかった。報告は正しく、というのは分かるのだが、同衾についての言及が彼の逆鱗に触れてしまったのかはまるで分からない。ただ、相手を組頭だと思い込み勝手に重ねていたことは反省しなければならないことなので、罰を受けたわけだ。……失敗したけれど。

「お得意の房中術でも落ちなかったなんて、手強い相手だったんだね」

 何故失敗したかなんて分かっているはずなのに、随分と意地の悪い聞き方だ。

「……ッ、手強いというより、私がミスをしました」
「へぇ〜どんな?」

 私の口から事の詳細が語られるのを楽しむように、ニヨニヨと笑っている組頭。恥ずかしさと悔しさで、まともに彼の姿を視界に入れることができず、私はふいとそっぽを向く。

「いつものように取り入って、床に入った後、」
「ふぅん、いつものようにね」
「はい。それで……こう、覆い被さられた時……」
「覆い被さられたんだ」
「そうですけど。何か」

 一つ一つ事実確認をするように相槌を打つ彼によって話の腰が折られる。
 これではいつまで経っても報告が終わらないではないか。一刻も早くこの場から立ち去りたいのに。
 チラリと抗議の視線を向けると、彼は肩を竦めた。

「いーや、なんでも。続けて」
「……そしたら、かなり強引に迫られたので、つい、ペチンと」
「ええ? 張り手打ちしたの?」
「……はい。そしたら吹っ飛んでいって、その音で従者たちが入ってきて追われる目に」

 それ以上でも以下でもない。こんなに長々と話す内容でもないというのに、呆れを滲ませ問いを投げかけてくる。

「なんでまたぶったの」
「ぶってはいません。ぺちんです」
「吹っ飛んでったならぶってるのと一緒でしょ」

 それは正直どちらでも良い。とにかく、相手を拒否してしまった理由が重要なのだが、いざ口にすると大変言いづらい。
 私はもにょもにょと、なんとか口火を切った。

「……全然、違ったんです」
「いや一緒だと思うけど」
「そうじゃなくて! 組頭との閨事と違ったんです!!」

 ええいどうにでもなれ! と直球に告げる。
 私の身体に覚え込ませるように抱いたのは、全部これのためだったのだ。彼の姿を二度と他の男に重ねることがないように、重ねられないように、と。忍務でこの有様ならば、私は今後彼以外に抱かれることもできない。
 あまりの恥辱に半泣きになる私をさらに追い込むように、彼は引き絞った目尻の端で捉えた。

「そんなに大きな声で言ったら誰かに聞こえちゃうよ? 黒鷲隊の誰かが心配してどこかで聞いてるかもしれないのに、大胆だねぇ」
「言わせたのは組頭でしょう……!」

 涙目ながらも勇気を振り絞って彼の顔を見上げた。すると、ますます弧を描く彼の眼によって、品定めでもされるようにジッと視線を注がれる。それがまるで隅々まで暴かれ嬲られているかのようで、ゾクゾクと身体の芯が震える。

「フフフフ」
「なんで嬉しそうなんですか!」
「要するに、私のが忘れられないってことで」
「報告は以上です! 失礼します……っ!」

 図星でしかないが、これ以上は耐えられない。話を遮り背を向けた私は、そそくさと障子に手をかけた。

「あ、この件は本来打つはずだった別の手で進めるから。気にしないように」
「……お気遣い、痛み入ります」

 言わせるだけ言わせておいて、本来ならやらなくて良いことだったと最後に告げるなんて、意地が悪い。けれど、私を失敗させるまでが罰だったのだ。
 房中術はこの乱世を救うと思って極めていたのに、その手段を奪われてしまった今、これまでの努力が無駄になってしまった。



 失意の中、部屋の外に出ると、廊下に控えていた高坂とカチリと視線が交わる。

「聞こえてたぞ」

 何も言わずに通り過ぎようとしたのに、高坂はそう平然な顔で言ってのける。部屋のすぐ傍にいたのなら聞こえて当然だろう。聞き耳を立てている暇があったら、人払いに徹して欲しい。

「……聞いてたの間違いでしょう」
「お灸を据えてくださったんだから反省しろ」
「してるって」

 これ以上深く聞かないでくれと訴えるように、ジトリと高坂へ視線を向けた。しかし、彼の顔を見るとどうしても情けなくなって、両手で顔を覆う。

「うぅ、なんでここまでの辱めを……」
「泣くなよ……」

 焦りを滲ませた高坂の声に、スンと鼻を啜る。
 慌てて私の背中を押す彼によって自室近くの縁側に座らされると、スッと塵紙を差し出された。私はそれを遠慮なく受け取り、涙に濡れた顔を拭い、鼻をかんだ。

「あ〜! 高坂さん、いじめはよくないですよ」
「いじめてない! 泣きたい時もあるんだからそっとしておけ」
「そうなんですか? 小菜乃さん」

 ちょうど通りかかった尊奈門の声が聞こえ、顔を上げる。

「まぁ、そうだね……そういう時もあるよね……」

 ズビズビと鼻を鳴らしながら答えると、尊奈門は「そうなんですね」と素直に頷く。深く聞かれなくてよかったと内心安堵していると、尊奈門の手に持っているものに目が留まった。

「それ何?」
「休暇届けです。流石に次出し忘れたらまずいと思って」
「また土井殿のところに行くのか」
「そうですけど」
「本当に懲りないな……」

 高坂は呆れながら「迷惑掛けすぎるなよ」と釘を刺す。それに尊奈門も「分かってますよう」と口を尖らせる。

「いつ行くの?」
「明日です」

 即答する尊奈門に、私はふむと考える。
 これ以上組頭を怒らせるわけにはいかなければ、忍務に支障をきたすわけにもいかない。組頭と何事もなかったように普通に接することができるよう、そもそもの問題だった私の悪癖を治さなければいけないのだ。

「ねぇ、私もついていっていい?」
「いいですけど。忍術学園の誰かに用事ですか?」
「特にそういうわけではないけど、ちょっと今はここに居づらいから、外の空気でも吸おうかなと思って」

 半分は本心だが、本当の目的は別にあった。私の体質改善の術。それを探しに忍術学園に行くのだ。
 そうと決まれば早速私も休暇届けを出しに小頭の元へ向かう。

「あの、小頭……忍務に失敗したばかりで大変申し訳ないのですが、明日お休みをいただければと」

 届けを差し出しつつ、そろりと雑面の下に浮かぶ表情を窺い見る。

「それは構わないが……何かあるのか?」
「尊奈門が休みを取って忍術学園に行くというので、付き添いたく」
「ああ、それなら安心だな」
「? ちゃんとご迷惑にならない程度に引き揚げてきます」

 ほっと胸を撫で下ろした彼に、首を傾げる。尊奈門のことを心配しているのだろうか。
 そう思って返答した私に、ずい、と距離を詰めてきた小頭は念を押すように言った。

「早めに帰ってくるんだよ」
「はは、子供じゃないんですから」
「真面目に」
「は、はい。肝に銘じます」

 何やらただ事ではない雰囲気に、こくこくと首を縦に振る。
 尊奈門が土井先生に勝負を挑むのはいつものことなのだから、そんなに心配しなくてもいいだろうに。それとも私ってそんなに頼りないだろうか。
 そう考えてみれば、最近のやらかしが次々と頭の中に浮かぶ。これでは尊奈門の目付役も務まらないと思われるまでに、信用を落としてしまっていても仕方がない。
 汚名を返上できるよう、なんとしても忍術学園で解決策を見つけなければ。私は心配そうにこちらを窺う小頭に頭を下げながらも、そう強く意気込んで自室へ戻ったのだった。








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永遠に白線