薬も過ぎれば毒の段 その二



「入門表にサインをお願いします!」
「はい、これでお願いします」

 翌日、予定通り忍術学園にやって来た私たちは、入門表に名前を記入し堂々と門をくぐった。

「ありがとうございます〜! いや〜タソガレドキの皆さんはちゃんとサインしてくださる人ばかりで助かります〜」
「いつも押しかけてる立場ですので、これくらいは」

 小松田くんの話など耳に入っていない尊奈門は、すでに土井先生を探しに駆け出していた。

「尊奈門! 日が暮れる前に帰るからね〜!」
「分かりました〜!」

 遠のいていく尊奈門の背中に手を振る。土井先生と直接顔を合わせるのは未だに慣れないので、尊奈門が引き付けてくれるのは正直ありがたい。
 小松田くんの「親子みたいだなぁ」という呟きに笑いを零す。ここではちゃんと尊奈門の目付役に見えていることに胸を撫で下ろしながら、庭掃除に戻る小松田くんと別れた。

「さてと」

 向かう先はすでに決まっていた。私は迷いなく歩を進めていく。
 忍術学園には定期的に足を運んでいるので、どこに何があるか、隠されているもの以外は全て把握している。
 図らずとも土井先生と巡り会ってしまった一件で、この数年忍たまたちとは何かと交流が続いていた。特に今の六年生は、彼らが一年生の頃に初めて出会ったので、付き合いが一番長い子たちだった。

「あー! やっぱり!」

 近づいてくる声と地響きに振り返る。土煙の中から見知った顔が飛び出してきた。

「小菜乃さんみっけ!」
「小平太くん!」

 いつものように鍛錬をしていたのだろう。全身泥だらけになっていることすら気に留めず、満面の笑みでこちらに駆け寄ってくる。
 この汚れ具合は塹壕掘りかなと予想を立てながら、私は首を傾げた。

「やっぱりって、私が来るって分かってたの?」
「先ほどそこでタソガレドキ城の物置ぞんざえ門を見かけたので! 小菜乃さんもいるかな〜と思って探していたのです!」

 すごい間違え方だと思いながらも、名前を間違えられるのはお決まりなので、笑って流しておく。タソガレドキ城を間違えられなかっただけで十分珍しいことだ。

「暇なら裏々山に遊びに行きましょう!」

 小平太くんは差し出した手が汚れていることに気づいたのか、ぐいっと裾で拭ってから再びこちらに差し出した。
 彼が一年生の頃に助けてもらったお礼≠ニして裏々山までランニングをしながら案内してもらったことから、一緒に裏々山に行くのが定番となっていた。そのため、今回も首を縦に振って彼の手を取りたいところなのだが、あいにく今日はやらなければならないことがある。

「残念だけど、今日は医務室に用事が……」
「まさか怪我を?!」
「違う違う! ちょっと善法寺伊作くんはいるかなと思って」
「伊作ならいつも通り保健委員の当番でいると思いますが……」
「よかった。じゃあ遊びはまた今度、ね」
「はぁい……」

 眉を下げて肩を落とす小平太くんの姿に、罪悪感に胸が痛くなる。

「そんなにしょんぼりしないで。次は小平太くんに会いに来るから」
「本当ですか!? 絶対!?」

 パァと顔を輝かせる彼に「絶対、約束ね!」と頷き返す。
 表情がコロコロ変わる素直な彼の性格は出会った頃から変わらない。いつも勝手に癒されているので、これからも変わらないでいて欲しいなと思いながら、鍛錬に戻っていく彼を見送った。
 その足で医務室に向かうと、小平太くんのいうように伊作くんの姿があった。同じく保健委員の一年ろ組の鶴町伏木蔵くんと一年は組の猪名寺乱太郎くんもいたので、伊作くんと二人きりで話ができるようお願いすると、当番は一年生二人に任せ場所を移動することになった。

「ごめんなさい。急に押しかけて」
「大丈夫ですよ、もう少しで数馬と左近が来るので一年生二人でも問題ないです」

 乱太郎くんと伏木蔵くんは何かとタソガレドキとの関わりが多いので、話を聞かれるわけにはいかない。
 申し訳ないと思いながらも好意に甘えることにして、案内された部屋に入る。

「日中ですし、長屋には誰もいないので安心してください!」
「ありがとう伊作くん。その、折り入って聞きたいことがありまして……」
「はい? 何でしょうか」

 居住まいを正して座り直す。そして、恐る恐る彼に尋ねた。

「薬について詳しくないので、教えてもらえると助かるんだけど……その、身体の感覚を鈍くする薬ってありますか……?」

 私の考えつく手段は、強制的に薬で過敏になった感覚を遮断する。もうこれしかなかった。
 縋る思いで問いかけた私にキョトンとしつつも、伊作くんはあっさりと首を縦に振った。

「はい、ありますよ」
「本当に!? 報酬は弾みます! どうかタソガレドキ、特に組頭には内緒で分けてもらえませんか……!」

 お金で解決というのは汚い手に見えるかもしれないが、彼らが厳しい予算の中で活動しているのは知っている。その足しになればいいのだけど、と思いながら顔色を窺う。
 伊作くんは申し訳なさそうに眉を下げた。

「それが、学園ではなかなか扱えなくて、手元にないんですよね……そうだ! 今から町にいる薬師に薬草を売りに行くので、そこで仕入れたらどうですか?」
「ありがとう、伊作くん……! 案内よろしくお願いします!」

 本当なら乱太郎くんたちと一緒に行く予定だったということなので、変わってもらうこととなり伊作くんと二人で街に出ることになった。一年生組に薬師の元で何を買ってるのか知られてしまったら、うっかり口が滑ってタソガレドキに伝わってしまうかもしれないので、念には念をだ。
 忍び装束から街に降りても不自然ではないように結い上げた髪を下ろし着物に着替える。薬草を入れた籠を背負い、早速薬師の元を目指して出立した。




「ちなみに、薬はどんな用途で使うんですか?」

 気持ちの良い晴天の下、色づいた稲穂を風が撫でている。清々しい風景を見渡していた私は、伊作くんの言葉にドキリと心臓が跳ねた。なんとか心音を抑え、あらかじめ用意していた答えを口にする。

「え……っと、それは、例えば慢性的に痛みがあって、それを無くしたい時とかに使えればなって」

 わずかに歩みの速度を緩めた私を赤とんぼが追い越していく。
 完全に油断していたけれど、この答えなら彼は納得してくれるだろうと、そっと顔色を窺い見る。

「もしかして、雑渡さんのためにですか……?」
「……ん?」

 切なげに眉を寄せ、深刻そうに言う伊作くん。何かとてつもなく勘違いをされている気がする。私は慌てて首を横に振った。

「いやいや! 組頭じゃなくて私が使うものだから安心して」
「小菜乃さん怪我してるんですか?! 大変だ、見せてください」

 ガシッとかなり強い力で手首を掴まれる。今にも着物を捲らんとする勢いの彼に、落ち着くよう肩を叩く。

「してない、してないよ伊作くん! 安心して、もし怪我したらちゃんと言うから。万が一何かあった時のために手元に置いておきたいだけだし」
「……小菜乃さんがそう言うなら」

 まだ疑っているのか伊作くんは渋々と頷いた。怪我ではないのだから、完全な嘘ではない。私にはこのトンチキで下品な体質のことを、付き合いの長い歳下の子に打ち明ける勇気はなかった。
 なんとか薬師の元に辿り着き、目当ての薬を手に入れることができた。調合が難しいらしく、お高めの金額ではあったが、タソガレドキ忍軍の安定した給与をコツコツ貯めてきた身としては、それほど痛手にはならず定期的に買えそうでホッと胸を撫で下ろす。
 服用方法などが細かく記載された紙と共に薬を懐に仕舞い、再び忍術学園に戻ってきた私たちの元に、乱太郎くんと伏木蔵くんが駆け寄ってくる。

「伊作せんぱーい! 小菜乃さーん! 大丈夫ですかー?」
「乱太郎、お二人ともなんともなさそうだよ」
「ほんとだ……! 珍しいね、伏木蔵」

 目を丸くしている乱太郎くんと、「スリルとサスペンスぅ」と両手で頰を押さえている伏木蔵くん。そんな二人に私たちは首を傾げた。

「珍しいって何がだい?」
「不運委員会こと、保健委員会委員長の善法寺伊作先輩が出歩いて傷一つなく戻ってくるなんて珍しいですよ! 明日は雨が降るかもしれませんよ小菜乃さん!」
「乱太郎ぉ!」

 ズコーっと見事にひっくり返った伊作くん。そういえば確かに、常々不運に見舞われている伊作くんと一緒にいたのに、なんのトラブルにも巻き込まれなかった。
 過去には様々不運に遭遇してボロボロになったこともあったなと思い返しながら、何事もないのは良いことだよと励ましていると、遠くを歩いていた土井先生がこちらにやってくる。

「あれ? 二人とも外に行っていたのか」
「はい」
「知見を広げるために薬草を売りに行く伊作くんに着いて行っていろいろ教えてもらっていたんです」

 伊作くんが説明する前に建前をつらつらと並べる。ね? と同意を求めると、本来の目的を秘密にする約束を思い出したのか、彼は強く首を縦に振った。
 土井先生は、特に不審に思った様子はなく「そうでしたか」と相槌を打つ。

「あれ、尊奈門は……? 土井先生の元に行ったとばかり思っていましたけど」
「ああ、彼なら医務室で治療をうけてますよ」
「ま、また負けたんですね……」

 きっとタソガレドキに戻ったら散々いじられるんだろう。
 アハハ、と乾いた笑いが漏れた私をジッと見つめていた土井先生は、神妙な顔つきで口を開いた。

「小菜乃さん……」
「はい? 何でしょう?」

 名前を呼ばれたので改めて土井先生に向き直る。しかし、彼は私へ視線を注ぐばかりで、一向に続きの言葉を口にしようとはしない。
 痺れを切らした私は「どうかしました……?」と肩を竦め、彼の傍に寄った。もしかしたら、町に出た建前の違和感に気づいたのかもしれないと、恐る恐る彼を見上げる。

「……ああ、いや、忍び装束じゃないのが珍しいなと思って」
「そうですね。町に行くために着替えましたから」

 特に何の変哲もない格好。不自然な点はないはずだ。「それが何か?」と問うと、土井先生は「いいえ何でも」と首を横に振った。
 どこか様子がおかしいが、深く問いただして許される関係性でもない。私は傾きかけた西日を一身に受けた彼に頭を下げ、尊奈門の元へ向かった。





       ◆◆◆





「土井先生、大丈夫ですか?」

 伊作の声かけでハ、と我に返る。
 完全に思考が過去の記憶の中に落ちていた。あの日見た、女と呼ぶには幼さが抜け切らない娘の殺気に染まった瞳。命を奪ったばかりの男を抱きながら、こちらを睨みつけるその姿が目に焼き付いて離れない。
 普段の忍び装束では、記憶の中の娘と結び付かなかったが、髪を下ろした姿は爛々と燃える眼差しだけで心の臓を射抜かんとする彼女のままだった。
 あの時、己もまた未熟さが抜け切らない身であったばかりに、顔を見られてしまっている。何故あの時の娘がタソガレドキの忍びをしているのか経緯は不明だが、私が夫を殺した仇だと彼女は気づいているのだろうか。
 引き攣った頬の痙攣を抑え、なんとか生徒に向けても不自然ではない笑みを作る。

「ああ、ちょっとな。伊作こそ神妙な顔してどうしたんだ?」
「いえ……」

 視線を泳がせ目を伏せた伊作は、言い淀んだ末に口を閉ざした。
 土井は教師として彼の不安を見逃せず、傍にいた乱太郎と伏木蔵に頼み事を言いつけ、人払いを済ませる。

「……口止めをされたので、これは他言無用でお願いします」

 土井が促すと、伊作はそう前置きし、おずおずと口火を切った。

「実は……小菜乃さん、雑渡さんにも言えない怪我、もしくは病を患ってるかもしれなくて」
「それは本当か……!」
「確証はないですが、強い痛み止めや麻酔薬を買われてて、それを雑渡さんには内緒にしてほしいって……」

 医の道に明るい伊作が言うのなら、それほどまでに深刻なものだったのだろう。

「心配だな」

 ──生きて、いたのか。よかった。
 その想いに嘘偽りはない。だからこそ、あの時唯一自分の意思で救った娘の命が脅かされているならば。
 知らなければならない。彼女のことを。
 土井は決意を固め、安心させるよう伊作の肩に手を置いた。








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永遠に白線