薬も過ぎれば毒の段 その三
──つけられている。
タソガレドキ配下の城から狼隊への伝令に向かっていた私は、足を止めることなく森の中を進み続ける。
余程の手練れなのか、なかなか撒くことができない。徹底的に死角から出てこようとしないのは厄介だが、相手は一人であるようだしこちらが気付いたと悟らせていないはずなので問題はないだろう。
幸いこれから合流するのは狼隊本隊ではないのでひとまず落ち合ってから、どちらに着いていくのか見極めればいい。
「来たか」
私を待っていた高坂の傍へ降り立つ。私は偽の密書を懐から取り出し、高坂に手渡した。
「これを殿へ」
今回、殿への密書が必要な忍務ではない。もし情報が目当てなら、追っ手は高坂の元へ、そうでなければ私の元へやってくるだろう。
相手の目的を絞るために敢えて渡した密書の違和感に、高坂は微かに眉を顰め、ピシと矢羽音を飛ばす。
「居るな」
「城を出てからずっとつけられてる」
「だが一人か。それなら問題ないな」
どこで待ち伏せをされていたのだろうかと思考を巡らせながら、空気を断つ音を飛ばす。
「私はこのまま忍務から離脱したふりをして相手の出方を見る。組頭に報告をお願い」
「分かった。もしこちらが目的のようであれば頼む」
同時に二手に分かれ背後の様子をうかがう。もし高坂の方に行けば、背後から回り込んで捕縛を試みるつもりだったが、気配は私を捉えている。何が目的かは知らないが、突き止めておく必要がある。
町の中に紛れ込んで様子を見ようと、物陰に隠れ羽織を裏返し、忍び装束から着物へ着替える。最悪、市の人混みで姿を眩ませば撒くことも出来るだろう。
「いらっしゃいませー!」
「そこのお姉さん方〜お茶してきませんか〜?」
「お団子もおいしいですよぉ!」
聞き覚えのある声に、ふと横を見ると乱太郎くん、きり丸くん、しんべヱくんが流行りの茶屋の店先で呼び込みをしていた。
ここは端といえどタソガレドキ領なのに、こんなところまで忍術学園からやって来ているのか。きっといつものアルバイトなのだろうが、しんべヱくんは一声ごとに手に持った団子を口に運んでいる。それを咎める二人の視線が客から逸れたことを確認し、私はそっと道の脇に寄れた。
見つかったら彼らにも危害が加わるかもしれない。そのまま近くの荷車の影に隠れてその場を通り過ぎた。その時、「あー! 土井先生!」と乱太郎くんが声を上げた。
「あれー? ほんとだ! 土井先生こんなところで何してるんですか?」
「お前たちこそこんなところで……っ! いやそれよりもシーッ!」
……つけていたのは、土井先生? 何故?
訝しげに眉を顰めた私は、脇道から彼らの背後に回り込んで様子を窺う。
慌てた様子の土井先生に、きり丸くんが首を傾げた。
「何かあるんすか」
「いやあ、ちょっとな」
「じゃあ土井先生もアルバイト手伝ってくださいよぉ」
「お団子もありますよ!」
「しんべヱ! それ売り物だろう! ってそれどころじゃない……! お前たちはアルバイトに戻りなさい」
「ちぇ〜、そんなに先を急ぎたいなら仕方ないですね〜ならせめてお団子買って行ってください!」
「きり丸〜! お前ってやつは抜かりないなぁ〜!」
買わないとここは通しませんとばかりに立ち塞がる子供たちを前に、土井先生はズコーっとひっくり返る。「きりちゃんほんと商売上手ね〜」「ね〜」と呆れまじりに感心する乱太郎くんしんべヱくんに、きり丸くんが「だろ〜」と胸を張る。懐から銭を取り出す土井先生は「得意げにするんじゃない!」と大声を張る。
それでいいのか忍術学園……と思ってしまうが、「まいどあり〜」と送り出された土井先生が歩き出したので、私もその後をついていく。
私を見失っているはずなのに、彼の足取りは迷いなく、どこかを目指して歩いている。
「……もう何も残ってはいないか」
ふと、立ち止まって呟いた彼の声に、私はようやく辺りを見渡した。
そこは昔、私が嫁ぎ、彼が焼き払ったあの家があった場所だった。
焼け落ちたあとは町民の長屋になっており、以前の面影もない。すぐに気づかなかったのもそのせいだろう。
彼が私の跡をつけ、この場所に来たということは、そういうことなのだと腑に落ち、そっと身を潜めていた影から足を踏み出した。
「何をお探しですか?」
「小菜乃さん……」
「気づいて、しまわれたんですね」
目の前で夫を切り、その上で見逃した女が私であると。
問いかける私に、彼は沈黙を貫く。それを肯定と受け取った私は「そうですか」と小さく頷いた。
「何故、ずっと知らないふりをしていたんです……? あの場で再び顔を合わせた時から、気付いていたはずなのに」
「……別に知らなくて良いと思ったからです」
「貴女は、私を責めないのですか」
「責めません……というより、責められません。私も罪を重ねている身ですから、その立場ではないですよ」
私はそっとため息を吐いた。
今さら彼に怒りをぶつけることなんてできやしない。タソガレドキに戻れたのも、諦めていた忍びへの道も、今こうして手にできているのは、彼がもたらしたものである事実は変わらないのだから。
「ただ、貴方は間違いなく私の人生を変えた人です。……もしかしたら、ここで貴方が殺した男の子供を抱いていたかもしれないし、あの時一緒に死んでいたかもしれない」
恵まれた環境に身を置くことができてしまった私たちには、互いに守りたいものがあると知っている。どう足掻いても後ろめたさが付きまとうならば、いっそこのまま一番良い未来を見たい。
「貴方はずっと子供たちの前で笑っていてくださいね。……私は貴方のあんな瞳を、二度と見たくはない」
全てを削ぎ落とした冷たい眼差し。繰り返す殺生に心を閉ざした瞳。
きっと彼をそうさせてしまった過去があるのだろう。しかし、今はこうして慈愛を宿した眼差しで、守るべき子供たちを見れるのだから。
「私はこのまま帰ります。貴方も子供たちの元に帰ってください」
これ以上、跡をつけていたことには触れませんよと微笑むと、ハハとバツの悪い笑みが返ってくる。踵を返した彼の背はどこか大きく見えた。
ふと、彼が手に持っていたパンパンに膨らんだ風呂敷に視線が止まる。私は遠のいた彼の隣に肩を並べた。
「やっぱり、帰るのはお団子を買ってからにします」
「そうしてやってください。きっとあの子たちも喜ぶ」
噛み締めるような熱い声音が、わだかまりを解かしていく。見上げずともどんな顔をしているか分かってしまい、そっと彼に気づかれないように口角を上げた。