薬も過ぎれば毒の段 その四
その後アルバイト先に顔を見せた私に、乱きりしんの三人組は「だから土井先生は急いでたんですね!」と納得した様子だったので、そういうことにしておこうと目配せをしたのは言うまでもない。
結局、きり丸くんのアルバイトを手伝わされることとなった土井先生はその場に留まり、私はそこで彼らと別れた。
帰路につく道中、笠を目深に被った男とすれ違う。
「首尾は」
「……撒きました。どこの誰とは分かりませんでしたが、諦めて帰ったようです」
「そう、せっかく着替えてきたのに」
人気のない峠道に立つ私たちは振り返り、影を重ねる。笠の縁に指をかけ、目元を露わにしたのは忍び装束を解いた組頭だった。
「それなに?」
「お土産です」
先ほどきり丸くんたちから買った団子が入った包みが気になるようで、掲げて見せると「ちょうど良い茶請けが手に入った」とそのまま荷を攫われてしまう。
そういえば、組頭と話すのは久しぶりかもしれない。
薬を飲んでてよかった……と内心ホッと胸を撫で下ろす。感覚が鈍くなっているせいで日常生活が大分不便になったが、その分そちらに気をはらわなければならないおかげで組頭のことを意識している場合ではなくなったのだ。
服用方法が書かれた紙をどこかで落としてしまったため、薬の効きが良いのか悪いのか分からないのだが、結果的に組頭とのことで忍務に支障をきたさないという目的は果たされているので一安心だ。
「せっかくだし城下で買い物してから帰ろうか」
峠を越え、目下には城下町が広がっている。このまま皆と合流するものとばかり思っていたので、え、と声を上げる。
「何かご入用な物でも?」
「ああ、紅でも贈ろうと思ってね」
その言葉にピシリと固まる。
そんな相手がいらっしゃったのか。だったらお灸を据えるためでも私と同衾したのはまずいのではないだろうか。お相手にバレでもしたらタソガレドキ忍軍にはいられなくなってしまうかもしれない。
それに、私には彼以外の選択を失わせたのに、その上で私に贈り物選びに付き合わせるなんて、きっとまだ罰は続いているのだろう。
「お相手はどんな方で?」
「ハ?」
「どのような雰囲気かによって、選ぶ色も変わりますし」
「……必死にお前の気を引こうとする男たちの気持ちが分かったよ」
できるだけ平然を装って聞いたつもりだったのだが、気を悪くさせてしまった。「買い物はやめよう」とスタスタと歩き出した組頭の腕を慌てて引いた。
「え、あの、至らぬ点があり申しわ──組頭……?」
急に動きを止めた彼を不思議に思い、笠の下を覗き込む。大きく見開かれた隻眼が揺らめいたのに、私も思わず目を丸くした。
「小菜乃から触れてくるなんて珍しいと思って。急に目を見て話してくれるようになったから驚いた」
「あ、ああ……なるほど」
挙動不審が改善されたのは、薬のおかげと言わざるを得ない。
どう反応して良いか分からず、すぐに機嫌を良くした彼から離れる。
「そうそう、至らぬ点ね。敢えて言うならこんなところで組頭と呼ぶ軽率なところかな」
「も、申し訳ございません、雑渡様」
人の流れが多くなってきたので、素性を隠しておきたいということなのだろう。肩を竦めて謝ると、先ほどまで彼に触れていた手をするりと掴まれた。
「触れられるのなら、逢引きらしくしようか」
「勘弁してください……」
「手は空いたでしょ」
「……それはそうですが」
にぎにぎとわざとらしく指の間を割り入って手を繋ぎ出す。私の反応を楽しんでいるのだと気づき、本当に薬を飲んでいてよかったと安堵する。そうでなければ、こんなところで腰が砕け動けないまま拾い上げた快楽に震える痴女と成り果ててしまうところだった。
「これで許してください」
私は重ねられた手のひらから逃げるように彼の腕に手を添える。握られるくらいならこちらから触れるだけで済ます方がまだマシだ。恋仲に見えればいいのなら、これで十分なはず。
彼の顔を見れずに、腕を組んだまま歩を進める。
「こうしてゆっくり話す時間なんて今までなかったね」
「申し訳ございません……」
「何故謝るの」
「そ、それは……私が避けていたせいなので」
「それでも、無理矢理作ろうと思えば作れたよ」
命じられたら逆らえない立場であるし、力づくで二人きりになることを強制させることもできただろう。
しかし、そうしなかったのは彼の優しさだ。それに甘んじて私は……
「私のこと、嫌っていないのですか」
恐る恐る尋ねる。彼は目の端で私を見下ろした。
「いつどこでそんな風に思ったのかな」
「だって、最近失敗ばかりですし、怒らせてしまったばかりなのに」
「怒ってはいるよ。でも嫌いなんて一言も言ってない」
立ち止まった彼は不意に耳元に口を寄せる。
「私のこと好きなんでしょ。他の男との房事で重ねるくらいにはさ」
「……言い訳のしようもありません」
今さら取り繕うことなどできないほど、すでに醜態を晒している。恥ずかしげに目を逸らすと、彼はクツクツと喉の奥で笑った。
「別にお前ばかりが背負って頑張ろうとしなくていいんだよ。戦好きの城と言われているが殿も近隣の領地と会談を積極的に行ってるし、血を流したくて戦をしているわけではない。皆がそれぞれ忍務にあたってくれれば、それで事足りるように指揮をするのが私の役目だ」
「組頭……」
私が取れる手段で一番血が流れずに済む方法をと必死になっていた。仲間の死を見たくないばかりに、その仲間に委ねることをあまり選んでこなかったと、今になって気付かされた。
厳しいことも命じなければならない彼が、長として何を考えているのか触れることができて胸が熱くなる。
「また組頭って」
「感動してしまって、つい」
肩を竦めた私へ手を伸ばした彼は、顔にかかった髪を指の腹で撫でながら梳かしていく。
「私は待ってばかりなんだ」
その声色と手つきが愛おしげなものに思え、私はドキリとしながら伏せていた瞳をそっと上げた。
「何を待っておられるのですか?」
「何故、縁談の後早く契っておかなかったのか、考えてごらん」
「それは小頭としての忍務が忙しかったからとか、侍大将のご息女様側に何かご意向があったとか、そういうことではないのですか?」
「違う違う」
鷹揚に首を横に振る彼に、答えが見つからず少々困ったように眉を下げるしかない。
「あの当時のタソガレドキ内の事情は、私には分かりかねます」
「ああ、知らないことを聞くような意地悪はしないよ」
柔らかく細めた目で、私を捉える。
「君を待っていた」
彼はそう言って口元に笑みを携える。
「私のせいで全てを諦めさせてしまった小菜乃のことを犠牲にしたままだなんて、流石の私もできないからね。ずっと機を見計らっていた」
「……待ってばかりなのは私の方です。雑渡様はいつも、迎えに来てくださるじゃないですか」
「そうだっけ? ……ンフフ、我ながら堪え性がないな」
仰ぎ見た青空からポツリと雫が落ちてくる。晴れやかな日差しを受けて輝く通り雨は、パラパラと私たちに優しく降り注いだ。
「嫁ぎ先から戻ってくるのも、修行から戻ってくるのも、私の好意に気付くのも、ずっと待っていた」
張り付いた前髪を拭われる。揺れる瞳を瞬くと、滲んだ涙が頬を伝った。
──こんなことがあっていいのだろうか。
歓喜に震えた唇から吐息が漏れる。それを察したのか、彼は乾いた唇を重ねた。柔らかさを確かめ合うように何度も啄まれる。
笠の影。往来の足音。きっと強まる雨足の忙しなさに誰も私たちのことなど気に留めないだろう。雨宿りにはちょうど良いと、そっと微笑んだ。