薬も過ぎれば毒の段 その五



※嘔吐描写あり




 組頭と同じ想いだったことが分かったものの、特に変わらぬ日々を過ごすこと数日。
 変わらぬとは言いつつも「最近調子がいいみたいですね!」と声をかけられることが多く、確かに近頃失敗してないからなと、全て良い方向に進んでいることを実感していた。



 寝静まった夜更け、自室の外に人影がよぎる。微かな物音に目を覚まし、体を起こすと障子越しに高坂が手短に告げた。

「召集が掛かった。黒鷲隊に伝達を頼む」
「分かった」

 素早く髪を結い、忍び装束に着替えると、机の上に置いていた薬を口に流し込み、一気に水を煽る。どのくらいの忍務になるか分からないので、とりあえずあるだけ懐に入れて部屋を出た。
 せっかく組頭との関係を修復できたのに、これ以上波風を立てたくない。その思いで常用しているのだが、それが良くなかったのだろうか。





「──どうした」

 黒鷲隊は数日の張り込みを命じられ、あと半日で任務を終えようとしていた時、事は起こった。狼隊からの通達を陣内叔父様より受けていると、あまりの吐き気と眩暈に襲われる。思い当たる節は、飲める時に飲んでおこうと適当に服薬していたことしか思い当たらない。
 手足の痺れと耳の奥の閉塞感。じわじわと先端の感覚が奪われていき、脂汗が滲み出る。

「小菜乃さん?」

 陣内叔父様へ返答ができなかったことに、周りが違和感を持ち始めこちらの様子を窺っている。気力で立っていたものの、視界が白く飛び始めた時、ぐらりと重心を失った。





       ◆◆◆





 小菜乃が倒れたと聞きつけ、やってきた雑渡は木の根本に寝かせられている彼女の元に寄る。
 意識はかろうじてあるものの、虚ろな視点が定まらず、ひたすら苦しげに呻いている。明らかな中毒症状だが、毒に慣れきっている身体では相当量の毒物を摂取しなければこんなことにはならないはずだ。
 可能性としては──と、雑渡は彼女の衿に手を伸ばす。

「何かおかしいと思ったらそういうこと」

 胸元から半紙に包まれた薬がいくつも出てくる。すでに服用したと思しき空の半紙を見るに、これが原因だと納得せざるを得ない。

「陣左、忍術学園に伝令を。処置が終わったら運び込む」
「何故忍術学園なのですか?」
「小菜乃の最近の行動を考えたら、この薬の出所は忍術学園の可能性が高い」

 先日尊奈門と忍術学園を訪れた後からみるみるうちに調子を取り戻していった。今思えば彼女の態度もそれまでのものから一変したことに、もっと違和感を覚えるべきだった。ようやく想いが通じたことに、年甲斐もなく浮かれていたのかもしれない。

「黒鷲隊の見張りはそのまま、状況が変われば全体の指揮は陣内がとるように」

 それぞれに指示を出すと、各々瞬時に持ち場へ戻る。
 雑渡は改めて横たわる彼女へ視線を向けた。

「小菜乃、聞こえているな」

 少々冷たさを孕んだ雑渡の呼びかけに、微かに首を縦に振るだけの言葉にならない返事で反応を示す。

「今から胃の洗浄を行う。頑張りなさい」

 いろいろと問いただすのは後だ。このまま意識の混濁を放置すれば取り返しのつかないことになる。
 水を、と手を伸ばせば後ろから竹筒が手渡される。片手で封を弾き、彼女の口元へ持っていくが、何も口に入れたくないのか顔を背ける始末。雑渡は汗で湿った輪郭に左手を這わせ、薄く開いた唇に指を捩じ込む。

「こら。嫌がらないの」

 反射的に歯を立てた彼女にそう優しく言いつつも、容赦なく口を開かせ水を飲ませる。そのまま四つん這いになるよう体を支えて嘔吐を促す。
 しかし、なかなか吐こうとしない彼女は顔面蒼白になりながらも耐えているようで、仕方なしに再びぬるりと指を彼女の口内に入れた。

「吐かないと終わらないよ」

 抵抗する気力もないとばかりに脱力した彼女の舌に長い指を這わせ、喉の奥、舌の根元のあたりをグと押し込んだ。するとすぐにウ、と呻いた彼女は悩ましげに眉を顰め、胃の中身を全部外に出し大きく咳き込む。幸いなことに、忍務で満足に食事を取れていないせいか、固形物を吐き出す苦しさはないようだ。
 再び水を飲ませ、吐き出させるのを繰り返す。体力が尽きてぐったりと憔悴しきっているものの、血の気を取り戻し脈も安定し始めた。
 ひとまずは安心だろうと抱き起こし、そのまま忍術学園へ向かう。先に伝令を飛ばしていたおかげで、医務室には保健委員会委員長をはじめとする善法寺伊作や校医の新野が揃い、受け入れ態勢は万全の状態だった。




「それでこの薬は何かな」

 診察の結果、安静にさせることが一番だと判断され、寝かせられた彼女の横で本題に入る。
 雑渡が取り出した薬を目にした伊作は反応を示した。

「やはり心当たりがあるんだね」

 伊作は雑渡の言葉に頷き、小菜乃がどんな薬を求めていたか、タソガレドキの彼らには秘密にしたがっていたことを伝え、おずおずと懐を探る。

「そして、これなんですけど……」
「ん、紙?」
「服用上の注意事項などが書いてあるものです。これがついこの前、医務室を掃除していた時に見つかって……小菜乃さん、これを落として行ってしまったせいで正しい処方ができていなかったと思うんです」
「ハァ〜〜〜なるほど。納得がいったよ」

 恐らく自分の感覚で服薬していたのだろう。あまりに想像が容易く、雑渡は頭を抱えた。
 そんな彼を見て伊作は勢いよく頭を下げた。

「すみません! あの時珍しく不運が起きなかったと安心してたらこんなことになってしまって……!」
「伊作くんのせいではないよ。もしその紙を持ち帰って見ていたとしても、通常の人間より毒には耐性があるから、効き目を感じなければ用量を守らず服薬していただろう」
「では、念のため今からでも解毒薬を調合してもらいにいった方が……」
「いいや、安静にしていれば良いのであればそれは必要ない」

 雑渡は小さく寝息をたて眠りについている彼女を一瞥する。

「これは私にしか治せない病だから」

 え、と声を漏らした伊作は首を傾げる。
 雑渡は多くを語る必要はないと、口布の下に笑みを浮かべ彼女の頰を撫でた。





       ◇◇◇





「おはよう」

 緩やかに意識が浮上し、目覚めると闇に溶けた自室の風景が飛び込んでくる。私は慌てて身体を起こし、見当たらない声の主の姿を探した。

「良い夢は見れた?」
「雑渡様……」

 縁側に座っている背中を見つけ、ホッと胸を撫で下ろすと共に、疲労が肩にのしかかる。

「……酷い夢でした」

 ずるずると布団から這い出ると「まだ寝ていないと」と制されるが、一枚上に着物を羽織り「大丈夫です」と部屋の外へ出た。

「こんなことで死んだら洒落にならない」
「そうですね……あちらでお兄様に怒られてしまいます」

 彼の隣に座り、視線の先を辿る。空には大きな満月がこちらを見下ろしていた。
 彼は月夜の晩と縁がある。よく月の光に照らされた彼の姿が記憶に焼き付いているのを思い起こしながら、改めて彼へ向き直った。

「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」
「何故無理に薬に頼った」
「水を、差したくなくて」

 すい、と目の端でこちらを捉えた彼に見つめられ、どうしようもなくなり言葉を選びながら白状する。

「せっかく薬のお陰で組頭としっかり向き合えるようになったのに、また前のような状態に戻るのは嫌だったんです……」
「ハァ……そうならそうと言ってくれればどうとだってできたのに。まぁ、その前に脅しすぎた私にも非があるってね。……どうやら堪え性はないらしいけれど、待てができないほど分別がついていないわけじゃない」

 ずっと待っていたと告げられた、あの時の表情を思い出す。これだけ待たせてしまっていたのだから、堪え性がないなんて誰も思わないだろう。

「それに仕事に影響が出るのはどうにかしなければいけないけど、私生活は別にそのままでもいいんじゃない?」
「いや、そういうわけにも……」
「私個人としては、私のことで乱れている小菜乃を見るのは気分がいいからね。二人だけの時なら大歓迎だよ」

 ニヤリと笑われ、カッと顔が熱くなる。のぼせきった頭では思うように言葉が出てこず、蚊の鳴くような声で呟くしかない。

「……いじわる」
「ああ、私ほど意地の悪い男はいない。だから安心しなさい」
「本当に……?」
「うん」

 どこか得意げに頷く彼に、息を呑む。私は勇気を振り絞って胸の内を曝け出す。

「……雑渡様、お慕いしております」

 知ってる、と目尻を下げ柔らかく微笑まれると、心の臓がキュウと悲鳴を上げる。熱いものが込み上げてくるのを抑えながら、私はそっと息を吐き出した。

「私のこの体質が改善するのを待ってくださいますか……?」

 またお待たせするのは忍びないけれど、今すぐに祝言なんて言われたらとても心臓がもたない。使い物にならなくなるのは絶対に御免だ。そこだけは譲れない。
 真剣な面持ちで固唾を呑んで答えを待つ私に、彼は鷹揚に頷いた。

「ああ。だけど一つ条件がある」
「なんでしょう……!」
「その暁には私の元に嫁いでくること。いいね」
「はい……っ!」

 姿勢を正してしっかりと返事をする。彼はその様子に、んふふと笑みを零し、しみじみと満月を見上げた。

「地獄の底から這い上がった甲斐があったよ」

 そうか、とストンと胸の中に落ちる。私が選んだ道は間違いではなかったのだという、証明のような言葉だった。

 これからも彼の生き甲斐の一つになれるのなら、これほど幸せなことはない。
 瞼を伏せ、滲んだ涙をやり過ごす。触れた小指を絡め、胸を高鳴らせながら見上げたこの月の輝きも、今生決して忘れることはないのだろう。








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永遠に白線