土井先生がいない忍術学園の段 その一
※軍師時空
下弦の月が東の空に浮かんでいる。闇に溶けた森の中を夜風が吹き抜けると、木の葉のざわめきに合わせるように人の気配が蠢いた。
ホウホウと梟の鳴き声がいくつか飛び交った後、暗闇からそっと顔を覗かせた私は、小頭の元へ駆け寄った。
ドクタケが妙な動きをしていると報告があったのは数日前のこと。スッポンタケに領地を要求しているとの情報を手にした黒鷲隊は、二手に分かれドクタケ側の調査とスッポンタケ側の調査を行っていた。
私は後者への潜入を終え、報告のためこうしてタソガレドキへ戻ってきていた。
「ご苦労だった」
「いえ、小頭こそ……」
ドクタケに目を光らせつつ、周辺の領地の動きを掴むために各所で暗躍している部下たちの統括。さらには今タソガレドキ忍軍が一番問題視している忍術学園教師・土井半助の捜索≠フ対処。
尊奈門との決闘の果てに姿を消した土井先生を見つけるため、尽力しているが未だ見つかったという報告はない。
主に捜索活動に狼隊が、情報収集に黒鷲隊が駆り出されている。小頭の立場としては、采配に頭を悩ませる問題が降って湧いて出るこの状況は大変だろう。
「次はどちらへ向かえばいいでしょう? ドクタケの偵察か、それとも狼隊と合流して土井先生の捜索でしょうか?」
「忍術学園だ」
即答した小頭に、え、と声を漏らす。瞬きを繰り返し、緩やかに夜風に揺れる彼の雑面を見上げた。
「組頭と尊奈門の身の回りのものを持って行ってやるといい」
「……もうすぐ十日ですか。思いの外、長い滞在になりましたね」
「ああ。あとどれほどになるかは土井殿の行方次第だ」
土井先生がいなくなったことにより、空いてしまった一年は組の授業の穴を組頭と尊奈門で埋めている。そのため、しばらく二人は忍術学園で過ごしているのだ。
私もドクタケが干渉している周辺領地を飛び回っていて、しばらく組頭のお顔を見ていない。
足りなくなった身の回りの着替えなどを届けろという命令だが、これは小頭の気遣いでもあるのだろう。
ただ、現状を考えると素直に喜べないのも事実──。
「土井殿の捜索に混ざりたいか?」
黙り込んだ私に、小頭がそう低い声で問う。
「……何故、そんなことを……」
「いや。随分前から交流があったのだろう? 仲が良かったのなら尚更自分の手で見つけたいと言い出すんじゃないかと思っただけだ」
質問の意図を探るも、再び黙り込む羽目になってしまった。
小頭の眼差しは、たとえ雑面に隠されていたとしても、私の心を見透かしているような気がした。
私は視線を彷徨わせ、緩みかけていた口布をぐいっと上げ直した。
「仲、良かったんですかね」
「それを私に聞かれてもな……」
土井先生との間にある過去の因縁。
起きたことは決して変わりようはない。仲が良かったかと問われたら、少し前の私なら迷わず首を横に振っていただろう。
しかし、互いの心に残っていたわだかまりがようやく解け始めていた今、こんなことになるなんて。
土井先生の行方が分からないと聞いた時は、あれほどの実力者ならばすぐ帰ってくるだろうとそれほど心配はしていなかったのだが、ここまで見つからないとなると最悪の事態を考えざるを得ない。
「……土井先生が命を落としたとは、今も思っていないのですが、もしも……仮に、この手で彼の亡骸を見つけてしまった時、自分が何を思うのか考えると……」
怖くて仕方がないんです。
その言葉を小頭に吐露するのは憚られ、ぐっと飲み込んだ。
あの人は、経緯はあれど亡き夫の仇でもあり、私を生かしタソガレドキに戻るきっかけを作った人。
墓まで持っていくと決めたその事実を抱えながら、彼の骸を目にしてしまった時、もしかすると私は仇が死んだにもかかわらず、良かったと思うこともできず、心の底から悲しむこともできないのではないだろうか。
どう足掻いても後ろめたさが付きまとうならば、いっそこのまま互いにとって一番良い未来を見たい。そう彼と共に前へ進むことができたと思っていた。
しかし、その未来さえも閉ざされてしまった時、何を一番初めに思うのか。それで私の性根が露わになる。私の人生を変えた人間の死を目の当たりにしながら、自分自身のことなど受け止められる自信は毛頭ない。
ポンと肩に手が乗る。思考の底から引き戻された私は、小頭を見上げた。
「なんにせよ、組頭のお手を煩わせぬように」
「はい。心得ました」
怯えきった己が情けない。
小頭の言うように、組頭にはいらぬ心配をかけないようにしなければ。
首を縦に振った私は、悟られないようにそっと唇を噛み締めた。