伊作の説教の段 その二
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あれは今日と同じく、昼下がりの医務室で茶を嗜んでいた時のこと。
近くの町に立ち寄ったついでにと、忍術学園に顔を出していた小菜乃は、茶請けの饅頭を伊作に進めながら、ほっこりと肩の力を抜く。良い子たちの集う忍術学園は、忍務に明け暮れ荒んだ心を癒す憩いの場となっていた。
……のだが。
「なんだか今日は騒がしいみたいだけど、何かあったの?」
流石の小菜乃も、外から聞こえてくる闘志に燃えた大声と、飛び道具によって荒らされていく物音を無視できず、隣で饅頭を頬張っている伊作に問いかけてみる。
しかし、彼も心当たりがないのか首を傾げた。
「さあ、なんでしょう? ちょっと見に行ってみましょうか」
もごもごとしながら答えた伊作の緊張感のなさに、小菜乃は苦笑いを浮かべ、腰を上げた。
騒ぎの声を辿ると、学園の入り口に行き着く。
すでに一悶着終えており、伊作の同級生たちがぐるぐる巻きに縛り上げられた男を囲んでいるところに出くわした。
「おーい! 何があったんだーい?」
「門の前でうろうろと怪しい動きをしていたから捕まえたのだ!」
「もそ」
伊作の問いに声を張る小平太。その後ろで地に臥す男の背にドシリと胡座をかき、動けないよう重しとなってる長次。
そして念には念をと、文次郎が足首を縛り上げ、仙蔵が猿轡に緩みがないか確かめている。門の上にいた留三郎は「他に怪しい人物はいないようだな」と屋根から軽い身のこなしで降りてきた。
捉えられた男もここまでの手厚い歓迎を受けるとは思っていなかっただろう。
よりにもよって何故忍術学園の前でうろうろとしていたのかと思いながら、小菜乃は男の顔を覗き込んだ。
「あれ、この人」
「え。お知り合いですか?」
「以前、派遣忍者の仕事でご一緒した方だけど……」
何か事情があるかもしれないし、話を聞いてみようと言う小菜乃に、小平太は渋い顔をしつつも頷き、長次はのそのそと男の背から降りた。そして仙蔵が猿轡を緩める。
「この裏切り者ぉー!!」
「えええ!?」
唐突な怒声に、小菜乃は驚いて声を上げた。
「急に大声を出すなぁ!」
「錯乱しているようだな」
「よし、では口を塞ごう!」
目には目を、怒りには怒りをぶつけた文次郎は、感情のまま拳骨を喰らわせる。鼓膜が破れるかと思った。
その横で冷静に推察している仙蔵に、小平太がそそくさと猿轡を付け直そうとするので、事情を知りたい小菜乃はまぁまぁと宥めて男に向き直った。
「それで、その、裏切ったつもりはないんですが……」
「お前、タソガレドキの忍びのくせして、よくそんなことが言えるなぁ!」
男の衝撃的な発言に、皆思わず目を剥いた。
「え、タソガレドキ忍者ァ?!」
「フリーのプロ忍じゃなかったんですか!」
「言い出す機会がなかなかなくて……言ってなくてごめんね」
否定をせず眉を下げて笑う小菜乃に「えー?!」と一同の驚く声が上がった。
まさか、あのタソガレドキ忍軍のくの一だとは誰も思うまい。そんなそぶりなど、これまで一度もなかった。だが、それでこそプロの忍者なのだろう。
それよりも、情勢によっては忍術学園とも敵対する可能性のあることに、皆動揺が隠せなかった。
「このご時世、知らぬ間に敵にまわってしまうなんて、そう珍しいことでもないのは、忍びであるならお分かりでしょう」
膝をつき男の目線に合わせた彼女の言葉に、伊作たちは何も言えなかった。
そんな沈黙の中、男は顔を顰め、大きく首を横に振る。
「……そうではない、そうではないのだ……!」
「じゃあどうなのだ?」
小菜乃の代わりに、訝しげに問うた小平太は、腕を組み男を見下ろす。
その威圧感に声を落とした男は、悔しげに唇を噛んだ。
「……万年派遣忍者としてはやって来れているが、やはり何処かの城の忍者として雇われたいではないかっ! それなのにッ! 同じ派遣忍者仲間だと思っていたのに、ちゃっかりタソガレドキに就職していたなんて羨ましい〜ッ! 紹介してくれッ頼む〜!!」
「裏切りってそっちかぁ〜!」
ドッとひっくり返る一同。
就職難に苦しむ忍びも多い。この男も例に漏れずそれなのだろうと察しがつく。同じ境遇だと思っていた小菜乃に出し抜かれたと思い、裏切り者だと呼んだのだろう。
「それにしても、タソガレドキ忍軍か。外から忍びを雇うとは……」
「……もそ」
「ああ、話に聞かないな」
「忍術学園の卒業生でも就職した忍びはいなかったんじゃないか?」
「たしかに、知っている限りでは居ないなぁ」
「俺たちも就職先として考えたこともなかったしな」
ボソボソと耳打ちをしあってる彼らを前に、小菜乃はおずおずと口火を切る。
「あの、言いにくいんだけど、そもそもタソガレドキの出身で……だから外から雇われた忍びってわけじゃなくて、むしろ派遣忍者をしてた時の方が訳ありだったというか……」
「クソぅ、エリートコースじゃねぇかぁ〜!」
情けない男の慟哭が辺りに響き渡る。勘違いの上に嫉妬とは、なんとも嘆かわしい。
「エリートとかでは全くないですけど……。派遣忍者をしてた時もですが、周りにとても恵まれているのには感謝しています。紹介は私の一存ではどうにもできないのですけど、一緒にお仕事できることがあれば、またよろしくお願いします」
ね? と、同意を求めるように、小菜乃はメソメソも情けなく泣く男の覗き込む。そうして固く結ばれた結び目に手を伸ばして縄を解き、バツの悪そうに丸まった男の背中を見送った。
「普通に帰してよかったんですか?」
伊作の問いに、小菜乃もまたバツか悪そうに肩を竦めた。
「うん。特別隠していなきゃいけないわけではないしね」
「いや、逆恨みで襲ってくる可能性も考えられる」
「ああ。ありえんわけではないな」
「あの様子だったら、そんなことしないとは思うけど……もし仮に襲われても、問題なく対処できるようでなきゃタソガレドキ忍軍の名前に泥を塗ることになるから。それくらいはね」
文次郎と留三郎の仮説にも臆することなく、大丈夫と頷き返す。
そんな小菜乃に長次は「もそもそ」と皆が一番気になっているであろう、そのタソガレドキ忍軍について言及した。
「ごめんね。タソガレドキとは関係のないところでみんなと出会ったから、あまりしがらみを持ち込みたくなかったの」
「だからこれまで黙っていたと」
仙蔵の相槌に首肯する小菜乃。すると、これまで口を閉ざしていた小平太が顔を上げ、彼女へ向き直った。
「私たちももう高学年です。実習が多くなるので、嫌でも周辺の領地の力関係には敏感になる。……でも、明確に忍術学園と敵対してない以上、細かいことは気にする必要ない! と、思います!」
だから、と言葉を切った小平太に、小菜乃は一つ目を瞬き、続く言葉を待つ。
「もう来ない……とか言わない?」
伊作たち一同、胸の内に抱えていた、密かな不安。口に出してしまうのを、ずっと躊躇ってきた。
皆、よく聞いたと小平太を心の中で讃えると共に、どんな答えが返ってくるのか固唾を呑んで身構える。
「言わないよ。また来るね」
穏やかに微笑む彼女に、彼らはどっと肩の力を抜いた。安堵に包まれながら、ハハ、と漏れ出た笑い声を、誰も止められなかった。