土井先生がいない忍術学園の段 その四
晴れ間が覗く昼下がり。ドクタケ城下は賑わいを見せていた。特に市場では、多くの人が行き交っている。
人の流れが多ければ人混みに乗じて姿を紛れ込ませやすい。これはありがたいと、私は五条・椎良・反屋との集合場所である茶屋の前で足を止めた。店先にでも座っていれば、気づいて近くの席に座ってくれるだろう。
情報交換は言葉を交わさずとも行える。矢羽音が届く距離であれば問題ない。
お盆を抱えながら慌ただしく接客に追われている店の娘さんに声を掛けようとしたその時、あれと傍で声が止まった。
「小菜乃さん、お一人ですか?」
「え、利吉くん?」
ただの通行人かと思えば、顔見知りに声をかけられ目を見開いた。
「どうしてドクタケに」
「それを言うなら小菜乃さんもでしょう」
爽やかな笑みで言葉を返した利吉くんは、ちょいちょいと手招きし、店の横に伸びる路地を指差す。
ここで立ち止まって話すのは人の流れの妨げにもなるし目立つからと言いたいのだろう。確かにその通りではあるので、着物の裾を翻し彼の後ろをついていく。
「それで、タソガレドキは何を掴んだんです?」
軒下の影の中で振り返った彼は、そっと声を落とし問いかけた。
「いくら利吉くんだからってそれは答えられない質問だって分かってて言ってるよね」
「ハハ、バレましたか」
ジトリ、と嗜めるように彼を見ると、さも当然かのように軽やかに笑い声を上げた。
ここでペラペラと話してしまう者がいれば忍び失格だ。それを分かっていて聞いてきたところを見ると、挨拶程度の気安い冗談なのだろう。
「久しぶりにお会いできたので、情報交換ついでに少しでも話せればと思ったんですが……」
形の良い眉を下げて、そう覗き込んでくる利吉くん。きっと世の女性たちはこの仕草一つでコロッと彼に落ち、彼にだけならと情報を渡してしまうのだろう。
見事な手腕に感心してしまい、私はしみじみと感嘆の声を上げた。
「利吉くん……ほんとに上手だねぇ」
「いやぁ、これは本心なんだけどなぁ」
困ったな、と後頭部に手をやった彼は、苦い笑みを浮かべた。
彼もまた近頃のドクタケに妙な動きが多いことを掴んでの、内部調査といったところだろうか。普段なら和やかにお喋りするところなのだが、恐らく目的が同じだとすると、彼がこの忍務においてどの立ち位置にいるかによって立ち回りを変えなければならない。最悪、彼の雇い主がタソガレドキと敵対している可能性だってあり得る。
どう探ろうかと思案していると、笠を目深に被った男が路地へ入ってきた。
「姿が見えないと思ったら、こんなところにいたんですね」
私たちの目の前でそう言ったのは、五条だった。反対側からやってくる二つの影は椎良と反屋だろう。私に何かあった時のことを想定してか、挟み撃ちの形でそれぞれこちらにやって来た。
少々固い声音であるのは、利吉くんを警戒してのことだと察し、そっと隣に目配せをする。
「タソガレドキの方々ですね」
「うん」
利吉くんもまた警戒していたようで、敢えて素性を口に出して確認する。
私の首肯を皮切りに両者の緊張の糸が緩み、五条たちは笠の縁を押し上げ、目元を晒した。そんな彼らに改めて利吉くんを紹介する。
「こちらフリーの売れっ子忍者の山田利吉くん。昔からの知り合いなの」
「知り合いって随分と他人行儀ですね、姉上」
どうも、と頭を下げた利吉くんは、姉という単語を強調するように口にした。
それに反応を示した三人は、えぇ……と若干引き気味の声を漏らす。
「小菜乃さん……他所で姉なんて呼ばせてるんですか……?」
「年下にはそんな感じなんですね……でもまぁ趣向は人それぞれだし……」
「俺たちに強要しなければ、それで……」
「違うよ!? 私が無理やり呼ばせてるわけじゃないから!」
そうだよね利吉くん!? とすかさず助けを求める。
「ええ、昔元くの一の母の元に、彼女が訪ねてきまして。くの一としての教えを学ぶために、しばらくうちで寝食を共にしていたんです。それで姉のように慕って呼んでいた名残が今も出てしまって」
彼の丁寧な説明に、私は何度も大きく頷いた。
タソガレドキを出て修行に励んでいた時、くの一としての極意を教えてくださったのが、利吉くんのお母君だ。タソガレドキには大所帯の忍者隊があるが、くの一の存在は皆無と言っていい。だからこそ、外に学びに出て教えを乞う目的の中に、くの一からの直接指導もあった。
利吉くんのお母君は、私にとって初めてのくの一の師匠なのである。そんな師匠の愛息子から、姉と慕われるのは嬉しいのだが……私の記憶では、彼が幼少の頃、一度も私のことを姉上と呼んだことはなかったのだ。
何故、今さら……? それに、そもそも名残も何もないのでは……?
そう首を傾げる私をよそに、利吉くんはにこやかに謝罪を口にする。
「あらぬ誤解をかけてしまいましたね、すみません姉上。あ、そうだ、しばらく父も帰ってきていませんし、母も寂しがってるので近々遊びに来てくださいよ」
「うん、私もしばらく師匠にご挨拶してないし、休みが取れたら遊びに行くね」
「その時はせっかくですし、父上と土井先生も呼びましょう。母上も喜びます」
事も無げに土井先生≠ニ口にした彼の様子を窺う。
どうやら土井先生の身に起きたことは知らないようだ。私は気取られぬようすかさず「そうだね」と頷いた。
「それでは、お邪魔しました」
「気をつけてね」
背を向けた利吉くんに手を振る。完全に彼の姿が見えなくなった後、傍に寄ってきた反屋はそっと声を顰めた。
「土井殿のこと、知らない様子でしたね」
「……うん」
土井先生の身に起きたことを伝えれば、利吉くんも捜索に参加すると言い出すだろう。正直なことを言えば、彼には伝えたいところだったが、これはタソガレドキ忍軍と忍術学園の間で起きたこと。両者が内密で動いている今、私の独断で伝えることは叶わない。
ただ、周辺地域には土井先生の名前を出して聞き回っている。何かの拍子にそれを知ってしまうということがあれば、また話は変わってくるのだが……
「恐らく利吉くんがここにいるということは、私たちと同じようにドクタケの動きを探りに来たんだろうから、知る暇もなかったというところだと思うんだけど……」
「そのドクタケの動きですが、どうもチャミダレアミタケとも秘密裏に通じているようでして……」
「ドクタケ内の物資の流れも妙な動きをしてますね」
「スッポンタケとの睨み合いも相変わらずですし、引き続き調査が必要そうです」
顔を見合わせる三人に、小頭から命じられた内容を伝える。
「小頭からはドクタケの兵の動き逐一報告するよう言伝を預かってる。私はドクタケの干渉があった領地へ偵察に行くように言われているから、チャミダレアミタケの調査に向かうね」
「分かりました」
ドクタケ城下の様子とスッポンタケ側の国境の調査、それに加えタソガレドキへの伝令を考えると三人でギリギリ回る見立てだろう。
やはりチャミダレアミタケの調査は私一人で頑張るしかないようだ。
◇◇◇
早々にドクタケからチャミダレアミタケへ向かうことになったのが功を奏したのか、早速チャミダレアミタケ城にて内々に兵を募っているとの情報を得ることができた。
チャミダレアミタケはタソガレドキにも接している。こちらへも兵を差し向けられたらまたしても大きな戦になるだろう。
しばらく様子を見ることができたおかげで、駐屯している兵の規模も把握できた。
小頭と組頭へ報告すべく忍術学園へ向けて足を急がせ、チャミダレアミタケとタソガレドキを隔てる川沿いに下っていく。
はた、と私は足を止め、渓谷の底を覗き込む。
……この川のどこかで土井先生が落ちてしまった。
穏やかに揺らめく水面は細かく陽の光を反射し、キラキラと視界を埋めていく。綺麗なはずなのに、まぶしさに目が眩んだ。その刹那、背後の藪の中でカサリと何者かの気配が動いた。
反射的に木の影に身体を隠す。相手の気配の消し方は、間違いなく忍びだ。
緊張に息を呑むと、聞き覚えのある矢羽音が飛んできた。
「ん……? 高坂?」
「やっぱり小菜乃か……」
ドクタケ側の川沿いだったせいか、瞬間的に敵だと思ってしまったが、味方でよかった。
そろそろと姿を現した私は、枝の上にいる高坂を見上げた。
「高坂、一人なの?」
「近くに狼隊の本陣がある。……土井殿の捜索に難航していてな。なんとか夜の軍議までに手がかりを掴めればと思ったんだが」
「……そう」
やはりまだ土井先生は見つかっていないのか。
再び川底へ目を向けた私の隣に、高坂が降り立つ。
「小菜乃」
「うん?」
「正直なところ、土井殿の行方をどう見る」
高坂はこちらを一切見ることなく、川の流れを目で追っている。
いくら探しても見つからないことに、一番捜索に時間をかけている狼隊の彼が何も思わないはずがない。こんな状況では、他人の見立ても聞きたくなるだろう。
「……遠くに流されてしまったか、自力で動けないほどの怪我を負ったか、あるいは──」
彼と同じように水面を見つめながら口籠もる。その先は言わずとも伝わるはずだ。
「だよな……」
「……でも、生きていて欲しい」
苦い顔の高坂に、私はポツリとそう零してそっと目を伏せる。
「ねぇ、高坂」
「何だ?」
「昔、嫁いだあの家から助けてくれた時……屋敷の人間を襲った犯人、目撃しなかった?」
「……急にどうした」
普段、昔のことはあまり口にしないから驚いたのだろう。雑渡様の縁談相手の代わりとなって輿入れしたあの時のことならなおさらだ。
私は何も言わずにじっと高坂を見つめる。吹き抜けた風と共に何かを感じ取ったのか、彼は思い出すように遠くに視線を投げた。
「駆けつけた時には、もう火が放たれていた。それにあの混乱の中じゃ、敵兵の顔なんて覚えていられない。……あの時はお前を見つけるので必死だった」
「そう、だよね」
高坂には感謝しかない。戦火の中私の手を固く握り、あの場から連れ出してくれたのだから、命の恩人だ。
ただ同時に、夫を殺し火を放った男──土井先生と呼ばれる前のあの人を、高坂が目撃していなくてよかったとも思う。
真実を知っているのは、この世で私と土井半助の二人だけ。私が土井先生に生きて欲しいと願って眉を顰める者は、当事者が口を噤む限り、誰もいない。
「なんでそんなことを聞くんだ」
彼の問いに、私は秘密を腹の底に沈めた上で本音を口にする。
「……私はあのまま死んでいたかもしれない。でも、諦めずに探してくれた人がいたから、帰ってくることができた。だから、土井先生のことも、諦めることにならないよう、無事に事が運ぶといいなって……」
「……ああ、そうだな」
どこか詰まった口調でそう言った高坂。彼の顔色を覗き見るが、触れられたくなかったのか、ふい、と踵を返し、私に背を向けた。
どうやら狼隊の元に戻るぞという合図らしい。どのみち向かう先は同じだ。私も彼らと合流し、共に組頭の待つ忍術学園へ向かうべく、高坂の跡を追った。