組頭を怒らせたの段 その三




       ◇◇◇





「はぁ〜」

 思わず吐き出した大きなため息。目の前に置かれた膳の上には、全く減っていない昼餉が鎮座している。
 美味しそうな香りが鼻腔をくすぐるが、まるで食欲が湧いてこない。

「どうしたんですか。ため息なんか吐いて」
「元気ないすね」

 湯気が立ち昇る味噌汁から顔をあげれば、向かいの席に座る五条弾と反屋壮太がこちらを見ていた。
 忍務に支障が出る前に例の件をなんとかしなければと、悩み始めたら意識が思考の底に落ちていたらしい。
 ガツガツと気持ちの良い食べっぷりで箸を進めている彼らに、ハハと曖昧な笑みを返す。まさか、組頭との情事の想像で忍務を乗り切っていたせいで、身体が過敏に反応するようになってしまったなんて、同じ黒鷲隊の仲間といえど、言えるわけもない。

「これ、どうぞ」

 隣に座る椎良勘介が、パチリと箸を置き、自身の懐を探る。出てきたのは組頭の姿を模したギニョールだった。
 ずい、と目の前に押し出された可愛らしい大きさの組頭は、パチパチと両手を叩いている。

「組頭のお顔を眺めれば元気になるでしょ?」

 ギニョールを操っていた椎良は「貸しますよ」と、人の良い笑みでこちらに受け取るように促してくる。
 当然、悩みの種である張本人を模したものを手元に置いておけるはずもなく、私はそっと押し付けられたギニョールを椎良に押し返した。
 組頭をこよなく敬愛するタソガレドキ忍軍では、組頭のグッズが懐から出てくるのはよくある光景なのだが、今の私にとって組頭の顔を眺めれば眺めるだけ、悩みが増えるのだから勘弁して欲しい。

「あ、ありがとう……気持ちだけで充分……」
「ええ? そうですか?」

 どこか不服そうな彼に「本当に大丈夫」と念押しする。
 これ以上、話を深く聞かれたらボロを出しかねない。どうやって話をそらそうかと思案していると、目の前で五条が声を上げた。

「あ、悩み事って、もしかして次の忍務のことですか?」
「え……? 次?」

 予想外の問いに、首を傾げる。
 私は直属の上司である、押都長烈の姿を思い浮かべた。今朝も小頭と顔を合わせたが、何か言われた記憶はない。

「あれ、何も聞いてないんですか」
「うん……特に何も。どんな忍務だって聞いたの?」
「実は昨晩、殿の御前で、かくかくしかじか──」

 五条曰く、次の戦相手の城に黒鷲隊の中から一人送り込み、タソガレドキが攻めやすくなるよう敵陣で立ち回れ、とのお達しがあったらしい。そして、その一人というのに私の名が上がったということだった。

「また長期忍務なんて大変ですね……お疲れ様です」
「まだ小頭から何も聞いてないからなんとも言えないけど、ありがとう」

 先考の術で密偵として忍び込み、着前の術で本陣の手助けをするというのは、主な黒鷲隊の役目ではあるのだが、長い間睨み合いを続けている城に一人でとなると、難易度が跳ね上がる。
 恐らくその点を彼は思いやってくれているのだろう。そんな椎良に続いて、五条と反屋も励ましの声をかけてくれる。

「小菜乃さんなら、また一人で城落とせちゃいますよ〜」
「殿だってその話を聞いて小菜乃さんを指名したんでしょうし!」
「ア、ハハ……」

 そう声高々に言われると、なんとも居心地が悪い。
 先の長期忍務では、敵の城に忍び込み、房中術を用いて敵方を内部崩壊させたのである。戦どころの話ではなくなったため、実質一人で城を落としてしまったことにはなるのだが……

「何の話かな」
「く、組頭!?」

 ぬ、と背後に忍び寄った気配に背筋が伸びる。
 恐る恐る振り向くと、今一番顔を合わせたくない人間、ナンバーワンの雑渡昆奈門がこちらを見下ろしていた。

「今日は黒鷲隊の食堂にいらっしゃってくれたんですね!」

 嬉しそうに声をかける同僚たちは、それぞれの隊を日替わりで回る組頭が、自分の隊のところにやって来てくれるのを日々楽しみに待ち侘びているのである。

「どうぞこちらに座ってください!」
「いやこっちに!」
「馬鹿、お前この前も組頭の隣だったろ!」
「いーや、関係ないね。組頭! ぜひこの前の話の続きを!」
「どけ!」
「邪魔だ!」
「お前がなぁ!」

 いつもなら組頭が何も言わずにスッと隣に座るため、争いは起きないのだが、皆が皆隣に座って欲しいものだから熱くなってしまっている。
 自分に火の粉が降りかからないのであれば、至って平和な光景だ。私は巻き込まれないように逃げる隙を窺いながら、隣に座る椎良にそっと耳打ちをする。

「……私、別の場所で食べてくる」

 組頭が黒鷲隊といるのが分かれば、他はどこも安全地帯だ。狼隊の高坂のところにでも逃げ込めば、話し相手くらいにはなってくれるだろう。

「静かに」

 パン、と両手を鳴らした組頭の合図で、あれだけ騒がしかった一同揃って、シンと静まり返った。

「今日はここ」

 そう指をさしたのは、五条の隣。つまりは私の正面の席だった。

「組頭〜!」
「……えぇ」

 歓喜と落胆の声が入り混じる。当然私は後者であるが、皆とは逆の意味で落胆してしまった。ギニョールでさえ顔を見るのは避けたいのに、本人を目の前にしてしまったら食事どころではない。挙動不審を気取られないように気を張るのに精一杯だ。

「それで何の話を?」
「少し前ですが、戦前に小菜乃さんが一人で落した城があったでしょう? あの時の話です」
「次の忍務にまた小菜乃さんが選ばれたのも、それが理由かなって」
「──ああ。君たち言っちゃったの。ふうん」

 どこか冷たい組頭の言い草に、五条たち三人はピシリと固まった。
 忍びにとって、情報は命と同義。それを軽々しく漏らすなどあってはならない、のだが……同じ忍軍、同じ隊の仲間相手ならば、厳しく罰するようなことでもない。もし間者が紛れ込んでいたとしたら、それは一人の責任ではなく気が付かなかった全員の責任である。
 だから、三人に非はないと、私はすかさず頭を下げた。

「まだ拝命していないにもかかわらず、彼らに深く聞いたのは私です。申し訳ございません」

 私が原因で軋轢を生みたくない。その一心で謝罪を口にすると、組頭は「そう」一言呟いた。さほど気に留めていないような口ぶりに、私はそっと愁眉を開く。

「それより、あの無血開城、君が一人でやったの聞いてないのだけど」
「えぇ?」

 安堵したのも束の間、あまりに唐突な話題に困惑が隠せない。

「報告は確実に小頭へ上げていますが……」
「もちろん報告は受けた。ただ、君の名前は長烈から出なかったよ」
「はぁ……左様で……?」

 何故? と思う気持ちが大きく、曖昧な返事で答えてしまう。
 理解が追いつかない私を前に、組頭は声色を変えた。

「五条」
「ハッ」
「長烈を私の部屋に」
「只今」

「小菜乃」
「は、」
「行くよ」
「……承知仕りました」

 組頭に命じられれば従うのみ。五条と私はサッと頭を垂れる。
 本当なら彼らにとっては組頭との楽しいランチだったはずなのに、私のせいで台無しにしてしまった。
 なんとも居心地の悪そうな反屋と椎良を横目に、心の中で謝りながら立ち上がる。しかし、組頭はトンと机を指で叩き、私の膳を指し示した。

「それを食べ終えたらね。お残しは許されない」
「確かに……? 許されないですね」

 一気に気の抜けた指摘に、なんとか首肯する。正論は正論なのだが、あんなに張り詰めた空気の後にそれを言われてしまえば、誰だって調子が崩れる。
 箸を持ち、焼き魚を口に運ぶ。咀嚼し、飲み込むその一挙手一投足までもを観察されているようで、焦りが滲む。
 気まずい。何か話して間を持たせてくれれば良いものを。内心そう思いながらも、一所懸命に食べる速度を上げる私に、組頭は苦笑する。

「心配しなくても、ちゃんと待ってるよ」

 頬杖をついて、相変わらずジッとこちらに視線を送ってくる彼に、居た堪れない気持ちになり、思わず声を上げた。

「あの、その……大変食べづらいのですが」
「何故?」

 貴方に見つめられると、食事どころではないんです。なるべく目を合わさないようにして意識を散らさないと、この場にいる全員にこの早鐘を打つ心臓の音が聞こえてしまわないか気が気じゃないんです……!
 なんて本人に言えるはずもなく、泳いだ視線の先にいた椎良を肘で小突き、助けを求める。

「……だって、ねぇ」
「俺に振らないでくださいよ……!」
「ごめん」

 肩を竦めて謝ると、見かねた反屋が助け舟を出す。

「組頭、ジッと見つめられたら誰だって食べにくいですよ」
「そんなもん?」
「そんなもん、そんなもん」

 ニカッと笑う反屋に場の空気が和らぐ。
 反屋ありがとう。今のうちに食べきってしまおうと、黙々と箸を進める私の横で、昼時だというのに何も口にしない組頭へ椎良が疑問を投げかける。

「そうだ、組頭。お昼はどうするんです?」
「これだよ。尊奈門に作ってもらった雑炊」

 思い出したように竹水筒を懐から取り出し、口元を隠したまま、ズズ、と吸い上げる彼に、ズコーッと転ける椎良と反屋。食堂に来ているというのに、携帯食とは。「ちゃんと食べてください!」「身体が資本なんですからね!」「いやぁ、満腹まで食べると胸焼けがね。歳かな」なんて賑やかな会話を聞きながら、私は完食を果たし両手を合わせた。















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永遠に白線