組頭を怒らせたの段 その四
「組頭、押都小頭がお待ちです」
「ああ」
組頭に連れられて、食堂から小頭が呼び出された部屋へ向かう。廊下に控えていた高坂が、スッと立ち上がり障子を開けた。
「残るのは黒鷲隊のみだよ」
「御意」
中にいた狼隊の面々がゾロゾロと部屋の外に出ていく。
それを廊下で見送る私の肩をポンと叩いた高坂は、部屋の中に入るように促しながらも、「何をしたんだ」と視線で問いかけてくる。
彼とは同じ歳のせいもあり、幼少の頃から関わりが深かったせいか、切っても切れぬ腐れ縁だ。幼馴染なんて可愛らしい関係ではないが、互いの酸いも甘いも知り尽くした仲であるが為に、お互いの身に何があったか気にかけるのが癖となっていた。
私に非があると確信している眼差しは腑に落ちないが、この状況ならばそう思われてもしょうがない。
私は軽く目を瞑り、肩を竦めた。分からないものは分からない。それが伝わったのだろう。高坂は小さくため息を吐いて、障子を閉めた。
中に残ったのは組頭と小頭、五条と私の四人のみ。私はサッと小頭の後ろに控える五条の隣に座った。
「先の無血開城の一件、黒鷲隊の報告では一綱小菜乃単独潜入によるもの≠ニは聞いていなかったけど」
「ええ。人選はお任せいただいたかと」
何が起こっているのかまるで分からない私と五条は、組頭と小頭の会話に耳を傾けながらもゴクリと生唾を飲み込む。
「問題は城主が敵前逃亡し城を明け渡した≠ニだけ報告を上げたことだ」
「それは私の判断です。報告に嘘はない。であるならば、問題ないかと」
雑面の下で淡々と答えを紡いでいた小頭が、深々と頭を垂れた。
「過ぎた気遣いでした。大変申し訳ございません。処分は私のみに」
「小頭……!」
きっと小頭は私の尊厳を守るために気遣ってくれたのだろう。
私とて忍として生きると腹を括っている以上、人として、女としての尊厳などとうの昔に捨てている。しかし、お優しい小頭はそんな私に情けをかけてくれたのかもしれない。
昔からそうやって密かに気遣ってくれる小頭には、多大な恩がある。だというのに、私は彼に頭を下げさせてしまった。
小頭だけに罰を下されるわけにはいかない。私は青くなりながら、「罰なら私に」と畳に額を擦り付ける。
「小菜乃」
「ハ、」
面を上げるよう促され、恐る恐る顔を上げると、組頭と視線がかち合う。
背筋を撫でるような冷たい眼差しだというのに、込み上げてくるのは怖気ではなく、甘い疼きであるのが情けない。
「お前の口から報告を」
「……はい」
小頭と五条が下げられ、ついに組頭と一対一で顔を突き合わせることになってしまった。
口を閉ざした彼は、私が話し始めるのを静かに待っている。この密室空間は大問題だが、内容自体はさほど問題はない。ただ報告するだけだ。そう気を取り直して、私は先の忍務のことを思い返した。
「件の城主は、大変色に溺れた男でして……ちょうど良いのでそれを利用して、城の外へ出るよう促したのです」
「具体的には?」
抽象的にぼかしすぎたのか、鋭く突っ込まれる。反省した私は、単刀直入に結論だけ述べた。
「駆け落ちを」
「……はぁ?」
女中に扮して忍び込み、城主に気に入られれば後は容易い仕事だ。妾として夜な夜な愛と戦意喪失させる言葉だけを囁けばいい。
気の抜けた組頭の返事を前に、私は小頭を見習って淡々と情報を並べていく。
「骨抜きに惚れさせた後、タソガレドキがどんなに恐ろしい軍かを刷り込んでから、愛おしい貴方様が辛い目に合う前に共に逃げようと」
「ハァ……」
天涯孤独のどこにも居場所がない女が、「傍に居てくれるのは貴方様しかいないの」とさめざめと胸の中で泣けば大抵の男はイチコロである。
「城を抜け出してからは、タソガレドキが攻め入った頃を見計らって戻ってきた……という事の顛末ですが……。城内の勢力も一枚岩ではなかったですし、城主が城を捨て女と逃げたとなれば家臣も愛想が尽きたようで、タソガレドキ軍に城を明け渡した流れかと」
すでにタソガレドキ領となっているその城は、寝返った形で支配下に置かれているため、一滴も血が流れることはなかった。実に理想的な平和な解決方法だ。
戦をするにも金がかかる。殿だって痛手を負わずに城を落とせるなら、そうしたいはずだ。だから私に次の忍務に声がかかったのだろう。
誰かの血が流れ、命が失われるより、全ての戦が今回のように収まるのが望ましい。
「まさか組頭が知らなかったとは思いもせず……」
「分かった……もう分かったから」
いつの間にか頭を抱えている組頭が、私の言葉を遮った。
「何故長烈にあんなにも気を遣われたのか、腑に落ちたよ」
「小頭は本当にお優しいですよね」
丸く収まりそうな気配に、私は安堵を滲ませ、意気揚々と頷きながら相槌を打つ。
「情のない相手なんですし、たかだか同衾くらいなんてことないのに」
「──へぇ」
冷めた声音に、一瞬で身を固くする。
何か気に障るようなことでも言ってしまっただろうか。命と同衾を天秤にかけたら、命の方が重いことは周知の事実だ。何もおかしな事はない。
駆け巡る思考の外で、気配が揺らいだ。
「知らない間に立派になったんだねえ」
「は、はぁ、まだまだ小頭や組頭には及びませんが、忍務には真摯に向き合っているつもりです……っ」
まるで幼い頃にされていたように、頭の上に伸びる手。きっとやましい事さえなければ、あの頃のまま頭を撫でられていたのだろう。しかし、彼にだけは、触れられるわけにはいかないのだ。
「何故避ける」
あからさまに躱した手前、そう問い詰められても仕方がない。
後ろに手をついた私に、ゆらりと怒気を孕ませて迫る組頭。こんなにも怒りを露わにした彼を、初めて見た。手が震える。力が入らなくなった身体は、いとも簡単に押し倒された。
「初めは男に触れられることに忌避感があるのかと思っていたけれど……ここは男所帯だし、さっきの椎良たちといい、陣左とのやり取りといい、そういうわけでもなさそうだし、ましてや色ボケ爺と共寝するのもなんてことないときた」
どういうつもりか教えてもらおうか、と威圧されてしまえば、口を開かずにはいられない。
私はまとまらない思考のまま、震えた唇を開く。
「それは……忍務でもありますし、同僚たちや高坂は見知った仲ですし」
「私も見知った仲でしょ」
答えになってないのは分かっている。けれど、容易く私を組み敷き、顎をなぞる組頭に、「ほら何か言いなよ」と口をこじ開けられ、弄ぶように舌と上顎を無骨な指で撫でられてしまえば、何も考えられなくなってしまう。
「……く、組頭。本当に、駄目なんです」
精一杯の抵抗で顔を背ける。しかし、もっとと強請るような恍惚とした下品な女の顔を、隠し切れるわけもなかった。
「全然駄目じゃなさそうだけど」
「だから、駄目なんです……っ」
もうほとんどバレてしまったようなものだ。真っ白になった使い物にならない頭では、どうすることもできないのが情けない。
不甲斐なさとあまりの羞恥に溢れた涙を拭いながら、私は洗いざらい薄情した。
「……房中術を極めようと、頑張ったんです。くノ一として利用できるものは全部利用する。……それで皆の平穏が手に入るなら、なんだっていい」
何も言葉は返ってこなかった。
自暴自棄になりかけた私は、ぐしゃぐしゃに乱れた醜い顔で組頭を見上げる。
「こうして背を預けて、天井を見上げる時……必ず貴方に抱かれることを思い浮かべるんです。そうすれば、相手も、私も、極楽に行けるんですよ」
まるで呪詛のような告白だった。ここまで言わせた貴方が恨めしい。
けれど、それが八つ当たりとして意味を成していたおかげで、どこか気持ちが軽やかだった。
「処分は如何様にでも」
もう隠し事はない。その精神的な負担から解き放たれたせいか、どんな処分を受けようとも、何も怖くはなかった。
「そう」
ポツリと、どこか心許ない相槌が打たれた。
「次の忍務のこと、お前に命じなかったのは、別の手段を取れないかと考えていたからだよ。……長烈が私にありのままを伝えなかったのも、お前というより私への気遣いだ」
「……は、ぇ、?」
理解が追いつかず、思わず目を見張った私に、彼は一つ瞬いて、穏やかな口調で告げた。
「処分、だったね。決めたよ。やっぱり次の忍務、お前が行きなさい」
「……はい、元よりそのつもりでしたので、何の問題もございません」
それだけでいいのだろうか。そんな当たり前のことで、全て水に流してくださるなんて、なんて心が広いお方なのだろうか。
あとは、私がこの身体の悪癖を治すだけ。それも、張本人に知られてしまっているのだから、距離を取るなり、解決に協力してもらえないか相談してみよう。
私は肩の荷が下りた思いで、組頭、と声をかけた瞬間。衣擦れの音と共に、頭巾の布が落ちた。
「──ただし、ここで私に抱かれてからだ」
真昼の陽が障子紙を透かしている。ぼやけた光を背負った彼は、翳りの中、露わになった口元で、私に囁いた。
「次の忍務でちゃんと思い出せるように、しっかり覚えておくんだよ」
「あ、」