「――そうだ律、僕、今度――と言っても来年かな、伏黒恵君に会ってみようと思ってるんだ」 「伏黒君?」 「ほら、二年前に僕を殺した男の忘れ形見」 「……あー、禪院家の血筋のー、って何で来年?」 「彼まだ5歳なんだよねー」 「5歳、じゃあまだ術式自覚してるか分からないか」 「そ、で、僕さ、たぶんその子の後見人になるから、律にもそのうち会わせるね」 「ふーん、禪院家にケンカ売るんだ?」 「いやー、だってさ、禪院家に行ったら、その子も、その子のお姉ちゃんも幸せになれそうにないもん。子供はさ、やっぱ、のびのび育てたいじゃん?」 「…まぁ、その教育方針に異論はないけど。…って、なに? その手書きのマップ」 「フッフッフ、これはねー、僕お手製のスイーツマップ」 「……グルメガイドだけじゃ足りなかったの?」 「えー? 折角のハネムーンだよ? 甘々に過ごしたいじゃん!」 「………甘々の意味…、まぁ、いいけど」 五条と折原は、この六月、折原の誕生月に合わせて式を挙げた。 ジューンブライドって幸せになれそーじゃん? という五条の一言で決まったのだが、そもそもジューンブライドってヨーロッパの慣習じゃなかったっけ、という指摘は、流石に折原もやめておいた。 そんなわけで、折原は書類上既に“五条律”になっているのだが、諸般の事情により、在学中は旧姓を名乗ることにしている。 それはともかく、無事に人生の一大イベントを迎えた二人だったが、その後学業と任務に追われ、八月に入ってようやく “夏休み” という名の “休暇” が取れたのであった。 ちなみに、広尾の自宅に戻って来られたのは昨夜のことだ。 そして、明日から一週間ほどの予定で北海道へ行くことにしている。 言わずと知れたハネムーンである。 海外に行くことも考えたが、急遽任務で呼び戻される可能性を考慮して国内がベターだろうということになり、それなら、律の実家に顔出しがてら北海道へ、となったのである。 北海道ならば、海の幸に山の幸、五条の好きなスイーツの幸も盛りだくさんだ。 それにしても、と荷造りの手を休め、折原は数か月前の怒涛の結婚準備を思い出していた。 「――え? 披露宴2回もやるの?」 「そ、初めは僕も、えー? って思ったけどさー。ほら、御三家含めた呪術関係者だけでも数百人になっちゃうし、親父の表の仕事関係者含めたら数千人規模になっちゃうじゃん? どこの有名アーティストのコンサートだよって話」 「………」 「第一、そんな怪しい団体と一般人を一緒にできないでしょ?」 「………」 「あー、あと、…たぶんプレスも来るよ」 「――え゛?」 「親父の仕事考えてみなって」 「……実業家で資産家」 「そ、その跡取り息子の結婚だよ? しかも一人息子が学生結婚。経済関係のニュースに取り上げられること間違いなしだね」 折原は返す言葉も見つからず、ソファーに沈み込むと深く項垂れた。 分かってはいた。分かっては、いたけれど。 多方面にステータスの高い男と結婚するって、こんなに大変なことなんだと思わずにはいられない。 なまじ子供の頃から一緒にいるので、そこらへんを忘れてしまいがちな折原であった。 「裏は和式で、表は洋式かなぁ。まぁ、2度楽しめると思って気楽に考えようよ」 「………」 「和装はお袋の方が詳しいから任せるとしてー。ドレスは僕に選ばせてよね。律に似合うウエディングドレス選んであげるからさ」 「……お色直しのドレスもお願い」 「任せてよ」 さて、それからが大変だった。 挙式は親族だけで質素に行うことに決めたが、仏前式か神前式か教会式か、はたまた人前式か。 いや、今まで顔を合わせていない親族もいるから人前式は略式すぎないか? という意見がでたりして、結局、五条の父が所有するチャペル付きのホテルに空きががあったので、教会式で式を挙げることになった。うん、まぁ、ホテルなら挙式後の食事会もできるし、遠方の親族も泊まれるし。 次いで、披露宴の会場は? との話し合いになったが、『じゃあ、披露宴会場もそこでいいじゃん。全部そこで済ませちゃえば手間なくない?』という五条の提案で、午前中に親族のみで挙式を行い、軽い食事会を挟んでから、同日の午後に一般向けの披露宴を、別の日程で改めて呪術関係者向けの披露宴を行うことになった。 同じ会場の同じスタッフさんと、2回も顔を合わせるのか…と思わなくもなかったが、手間がないのもまた事実である。かくして、6月22日、大安の日曜日に挙式と一回目の披露宴を、6月28日土曜日――こちらも大安――に二回目の披露宴を行うことが決まった。 さぁ、会場と日程は決まった。 これから招待状に引き出物に、ホテルと食事メニューの打ち合わせもある…。あー、ドレスもまだ決まってないし…、いったい何から手を付けたらいいのやら…。 と半ば思考が死にかけていた折原だったが、『そんなの、うちの実家に丸投げでいいでしょ』という五条の言葉に、『あら、大丈夫よ。任せて頂戴』という五条母のお言葉を頂き、ありがたく丸投げさせてもらった。 助かった。 披露宴を2回に分けると決まった時点で、もはや個人レベルで対処できる規模を超えていたからだ。 これでドレス選びに集中できる。いや、気分転換にブライダルエステの予約を入れるのもいいかも知れない。 「――ただいまー、おかえりー」 「おかえり、ただいまー」 「――はぁ、ドレスの試着があんなに疲れるものだと思わなかった…」 「お疲れー。まぁ、僕は楽しかったけどね、いろんな律が見られたし」 「それは、ようございましたー」 言いながら、――ぼすんっ、と音を立てて折原がソファーに沈み込む。 「まだちょっと肌寒いね。暖炉に火入れる? それとも先にお風呂の用意したほうがいいかな」 「ん――、暖炉つけといて。お風呂は私が入れてくるよ」 「そう? じゃあよろしく」 「んー」 独り言のように、よいしょーと掛け声をかけて折原が立ち上がる。 若干足取りが怪しいが、どうやら大丈夫そうだ。 頼むから風呂場で転ぶなよ、そう思いながら、五条は薪をひとつ手に取った。 ―――ポチャン、チャプン、――― 「―――はぁー、極楽ー」 「年寄かよ」 「いやー、マジこの数か月で一気に老けた気がするわ」 「やめてくんない? 花嫁さんがババァとか、流石に僕イヤなんだけど」 「肘掛け椅子の分際でうるさい」 「へいへい」 一般的に、式場選びは八か月前から、ドレス選びは半年前から始めるカップルが多いそうだ。 しかし昨年の12月に結納を済ませた五条と折原は、五条のジューンブライド発言により、なんの計画もなかった状態から半年で結婚の準備を整えなければならなかった。 いや、五条のジューンブライド発言は年が明けてのことだったから、正確には、準備期間は五か月だった。 新居だけでも決まっていて、本当に良かったと思わざるを得ない。 当初は “泊まりに来る” 感の強かったその新居も、冬休みの滞在を経て、この春休みの長期滞在でだいぶ “我が家” らしくなってきた気がする。 ―――パシャ、トポン、――― 「あー、でも、やっぱいいねー。おうちで入るお風呂は」 「…もう少しマメにこっち来る?」 「……んー、それもだけど、悟クンが呪高卒業したら引っ越そうかー」 「そしたらオマエ、残りの一年、ここから通うことになるよ? 大変じゃないの?」 「んー、大丈夫じゃない? ここ駅近いし、電車に乗ったら学校まで一時間ちょいで着いちゃうし」 「まぁ、律がいいなら僕は構わないけど。――それとも、式挙げたら引っ越しちゃう? 二人で制服着て電車通学とか憧れない?」 「いや、悟クンは卒業するまで真面目に学生してください」 「なにそれ」 「お勉強は大事って話。――ふうー、あったまったから先に出るね」 ―――ザバァー…――― ―――ザブンッ、 「――ぷはっ、ちょっとなにすんの!」 「抱き枕の分際でうるさい」 「……はいはい」 「………」 「…んっ、ねぇ…」 「んー?」 「…ん…、するなら…」 「……はいはい、するならベッドねー」 そう言うと、五条は折原を抱き上げて湯船から立ち上がった。 「律、…律?」 「へっ?」 「大丈夫? なんか顔赤いよ?」 「いや…、うん、大丈夫」 結婚準備の慌ただしさを思い出していたら、春休み中のあれやこれやまで思い出してしまった。 いや…、うん、あれはあれで、思い出と言えなくもない。良いか悪いかは別にして。 「ホント? 熱あるんじゃない?」 当たり前のように、五条の左手が折原の額に当てられる。 「……んー、熱はなさそうだけど」 当てられた時と同じように、何気ないしぐさで戻されるその手の薬指に光が反射した。 意外とがっしりした五条の手に、少し太めのシンプルなリングが似合っている。 折原の左手にあるのは、同じデザインのちょっと細めのリングだ。 今はデザイン違いの指輪も流行っておりますがーと勧める店員に、指輪は絶対おそろいで、と主張したのは五条だった。 「ホントに大丈夫? 何だったら、旅行延期しても構わないよ?」 「大丈夫だって」 「……ならいいけど。じゃあ、明日も早いし今日はさっさと風呂入って寝ようぜ」 「………」 「………律、今日は大丈夫だから」 「………?」 「え? そういうことじゃないの?」 「……なんの話?」 「だからさー、今日は変なチャレンジさせないであげるって話」 「――っ!」 「クックックッ…、アノ時のこと思い出して赤面するとか、ホント、律って可愛いよねー」 「……なんで…」 「そりゃあ、だって、自分の奥さんのことだもん。――ほら」 差し出された左手に自分の左手を重ねる。引き寄せられるままに立ち上がると、スッと屈んだ五条に抱き上げられた。 「いっぺんやってみたかったんだよねー。律をお姫様抱っこして風呂場に連れてくの」 「……あの時もやったじゃない」 「あれとは違うよー。アノ時は、終わって腰抜かした律を風呂場に連れて行っただけだもん。これはさ――」 五条は折原を抱き直すと続けた。 「これからーっていう、気分の盛り上がりがあるじゃん?」 「……ベタだね」 「そーかもね。でもベタベタでいいでしょ? だって、新婚さんだからねー、僕たち」 んー…と顔を寄せてくる五条に協力すべく、唇を差し出す。 暫くそのまま柔らかく食まれ、意識がのまれ始めたとき、ちゅっ、とわざとらしい程のリップ音をさせて唇が離れた。 「ごめん。やっぱ無理かも」 「……なにが?」 「飛行機の時間、午後に変更していい?」 「……そういうの、マジやめて」 気を取り直したように五条が歩き始める。 「えー? ダメー? 絶対にー? ハネムーンの前夜だよ? 初夜みたいなもんじゃん!」 「アンタの初夜はいったい何日あるの!」 「えー? 律が悦んでくれるなら何日でもいけるよ僕」 「………」 「ねぇねぇー、ホントにダメー? ねぇー」 「………出発、明後日に延期とか、なしだから」 「任せてよ」 途端に軽やかになる五条の足取りに、折原は一抹の不安を覚えた。 え、ホントに任せて大丈夫なの? 私、ちゃんと明日飛行機に乗れる? っていうか、私、明日起きられるの? しかし、時すでに遅し。 ノリノリの五条に今さら何を言ってもムダだろう。 折原は出発が明後日に延びることを覚悟して五条の首に腕を回した。 「―――先生、五条先生!」 グラウンドを横切っているときだった。 半ば必死ともとれる呼び掛けに、五条はその歩みを止める。 「なにー?」 「先日の出張費の精算のことなんですが」 「うん」 「土産物代は出張費に入れないで下さいとお伝えしたはずです」 「あれ? 僕、喜久水庵の領収書入れてた?」 「入ってます。伊地知君忙しいんですから、困らせるようなこと止めてください」 「そんなつもりないんだけどなー」 「それと、頼まれていた制服発注しておきましたけど、今度はパーカー付きなんですね」 「うん、なかなか面白い子だよ。律もきっと気に入ると思うなぁ」 「―――とにかく、提出書類は正確に。と言うか、こんな雑務に副担を使わないでください」 「えー? でも、副担て、担任のアシスタントでしょ?」 「毎回毎回、伊地知君に愚痴られる身にもなってくださいと言ってるんです」 「えー?」 「えー? じゃありません」 「――あ、そうだ。僕今日はこの後予定入ってないからさー。久しぶりに帰りにデートしようよー」 「そんなことより、恵、大丈夫なの? あの子今まであんまり怪我して帰って来ることなかったから心配で」 「……硝子の治療受けてピンピンだよ。って言うか、愛しのダーリンからのお誘いを無碍にするとか、僕、逆に燃えちゃうんだけど」 「……五条先生、まだ就業中です」 「あとそれ。もういい加減 “悟” で良くない? “五条先生” って呼ぶの律くらいだよ?」 「公私混同、イヤなの」 「えー? 公私混同しちゃうのが、五条家の持ち味なのに?」 「そんな持ち味、悟クンだけだから! ――あ、」 「はい、五条先生呼び廃止ー。……あ、でも、たまに呼んでくれてもいいよ、愛の営みの時とかー」 「………」 高い所でニヤニヤしている顔が憎らしいくらいに様になっている。 (この男はーっ!) あれから9年。 学生の頃のような傍若無人さは鳴りを潜めたが、五条は我が儘っぷりに磨きのかかった、手の掛かる王様になっていた。 しかし、律とて伊達に20年も五条の隣にいるわけではない。 器用にも下から見下すような視線を五条へと投げると、バッサリと切って返すのであった。 「……で、その悟クンは、分科会からの審議経過報告書に目を通してくれたんですかね」 「……え?」 「個別回答、今日までだったよね?」 「……え、」 「定時までに終わらなかったら、デートはなしだから」 「………、」 梅雨の晴れ間、気紛れに張り出した太平洋高気圧のお陰か、真夏のような日差しが降り注いでいる。 あの頃と変わらないグラウンドに、あの頃とは違う、大人になった五条悟の「ひどーい!」と叫ぶ悲痛な声が響き渡った。 けれど、彼らにとっては、それさえもおそらくは平穏な日々。 |