壮大




「ところで、タンスを勝手に漁るのは悪いと思って、パジャマを買ってきたんだが…。これで大丈夫かい?」


一夜明け、お見舞いに来てくれた守おじさんはそう言いつつ、謎の白いネグリジェっぽいワンピースを袋から出してくれた。(可愛い…しかしこれはパジャマではない…)

なんて言えばいいのか分からないけど、彼の厚意を踏みにじる訳にもいかないので、「ありがとう。」と微笑んでおく。しかし繰り返すがこれはパジャマではない。一体どうしてそうなったのか。疑問符をそっと浮かべてみるも彼には届いていない模様だ。

一方、守おじさんはホッとしつつ、次々と同じようなワンピースをショッパーから取り出して私に見せ始めた。

「着替えがいくつかいると思って同じようなものを沢山買ってきたんだ。置いていくから好きなように着てね。」

爽やかに告げられたその言葉に、それはパジャマではない!と言う機会を失った私は、再び、ありがとうと口にするしかなかったのでした。






無事に午前中の診察も終わり、守おじさんも帰った昼下がり、せっかくなので持ってきてもらったワンピースに袖を通して少しお散歩する事にした。お供はカラカラと付いてくる点滴だ。

(まあ流石に3日も眠ってたら痩せるし体力落ちるし栄養も足りてないからね…点滴が染み渡るわ……)


カラカラと音を鳴らしながら歩いていると、廊下の壁が途切れてガラス張りのスペースに出た。ソファや自販機も置いてあるからここは休憩スペースなのだろう。窓ガラスの向こうには太陽の光と初夏の緑がキラキラとしている。
向かい側にも窓が見える…と考えつつ窓の下を覗くと、いくつかのベンチや花壇、数々の木と木陰を中心に、いかにもな中庭が広がっていた。うずうずと外に行きたい気持ちが湧いてきたのでそのまま下に降りる事にする。


(それにしてもいいお天気だなぁ…少し風はあるけれど…)

外はカラッと晴れていて吹き抜けていく風は何となく潮の香りもする。守おじさんの話によるとここは神奈川の病院らしいので、海が近いのかもしれない。おじさんの仲良しのお医者さんがいるから、色々と融通が効くという事でここにしたらしい。飛び降りた事もそっと隠されいて周りに騒がれる事もないし、病室は小さめだけども綺麗な個室だし、至れり尽くせりだ。

ぼけーっと、とりとめのない考え事をしながら歩いていくと、ひらけた場所にエゴノキが立っていた。何となく惹かれて、点滴を連れて歩いて近寄ってみる。風にさわさわと葉や花を揺らす様子はとても綺麗で、まるで呼吸をしているかのようにも見えて、そっと樹皮に触れてみるとほのかに暖かい。

(木も生きてるんだなぁ…)

時間を忘れてぼんやりとその大きな樹を見上げていると、突然ぶわりと大きく風が凪いだ。

(待って、点滴が持っていかれる…!!)

慌てて点滴棒を抑えて捕まえ、ほっとしてふと視線を上げると、先程の風のせいで散ってしまった花びらがふわふわと舞っていた。

エゴノキの白い花びらが降る様子はとても幻想的で、まるでー…


「ゆき。」と思わず呟いてしまう。

すると何故か後ろから、「呼んだ?」と問いかけられてしまった。
どうしたんだろうと振り向くと、またぶわりと風が吹いて目の前で花が散り散りに舞う。

(うわぁ、本当に雪みたい!)

感動のあまりまたもや「ゆき。」と呟くと、いつの間にか後ろにいた人は困惑した顔で「うん?」と問いかけてくる。

(うわ、綺麗な人だな…でも、うん?ってどういう事だろう…………あっ、もしかして雪ちゃんみたいな名前の人なのかな?!)

それだったら知らない私に名前を呼ばれてさぞかし気味悪いだろう。どことなく申し訳ない気持ちになって、必死に私は花びらを指差して誤解だとアピールする。

「えっと、これ、ゆき。」
「ゆき…ってもしかして…雪、かい?」
「あ、……スノー?」
「SNOWか…確かに雪みたいに散ってるね。」
「(そう!そうなんです!!)」

力を込めて頷くと、綺麗な人は少し照れたように笑う。

「?(どうしたんだろう…?)」
「ごめんね、呼ばれたかと思って勘違いしたんだ。俺の名前、幸村っていうからさ。」
「ゆきむら、さん。」
「そう、幸村。」
「(雪村……かな?)スノー?」
「そっちじゃなくて真田幸村の方。」
「(ああ、そっちか!真田幸村…ええと幸せに村の方ね!)……幸せな、ひと?」

必死に思い出した私は何を思ったのかぽろりと口に出していた。違う、幸せな人じゃなくて幸せな村って書く人?って言いたいだけだったのだ。しかし、私に言葉の豪速球を投げられた幸村さんは、キョトンとした表情のまま固まってしまった。

そして硬い表情のまま、ポツリと零す。


「…幸せそうに見えるかい?」


(ああああああ!!完全に地雷踏んだ!!フォロー!しなければ!!なんて言えばいいんだ考えろ私!えーと、)

「幸せ、に、村の……ひと?」
「え、ああ…うん、そう言う意味か。そっちであってるよ。」
「(つ、伝わったのかな…)ゆきむら、さん……幸せ、きれいな名前。」
「ありがとう、ふふ、そんな風に苗字を褒められるとは思わなかったな。」
「苗字…!?(真田幸村の話から名前かと思った…!!)」
「そう、幸村は苗字なんだ。珍しい勘違いをしたね、真田幸村の話を出したからかな?」

こくりと頷くと、幸村さんは綺麗な微笑を浮かべる。その姿は儚くて今にも消えてしまいそうな…そう、まさに雪のような印象だった。

「幸せな人だなんて、久しぶりに言われたよ。」
「(しまった、掘り返された。病院にいるんだから悪い病気かもしれないし、地雷踏んだっぽいしなぁ…)ごめん、なさい。」
「ふふ、大丈夫だからそんなにシュンとしないで?…新鮮だなって、思っただけなんだ。」
「しんせん?」
「そう。幸せなんて言葉は自分から遠いところにあると思っていたからね。こんなに近くに…まさか自分の名前にいたなんて。」

そう言って可笑しそうに笑う幸村さんは、笑っているはずなのにどこか寂しそうでほの暗いものを感じる。

(きっと、相当重い病気なんだろうな…)

私は気軽に励ますことも、同じように笑うことも出来ずに、ただただ幸村さんを見つめることしか出来なかった。
そんな私に気づいた彼は、静かに笑いを消して同じように見つめ返してくる。

私たちの間を風が通り抜けたところで、唐突に彼は眉尻を下げて呟いた。

「君は、近くに幸せがある?」

私は反射的に頷いていた。

「呼吸が…できる、動ける、私を、心配する人がいる。しあわせ。」
「………。」
「生きてる、って幸せ。」

(私は、心配してくれるおじさんがいて、動ける身体があって、ご飯が美味しくて…幸せなんてたくさん身近にあるけどなぁ…)

私の言葉を聞いた幸村さんは、一瞬だけ感情を消すようにすっと目を細めてみせた。

(そんなに諦めた目をしないでほしいなぁ…もったいないよ、いま、生きてるんだから)

この人になんて言葉をかけたらいいのか分からず、気づいたら、頭上に花咲くエゴノキを指差していた。

「大きい、花です。」
「………うん、立派な花だね。」
「(飛躍しすぎたかな?まあいいや、えっと花言葉は…)壮大。」
「そうだね、花言葉は壮大だっけ。確か、新緑の葉の中で枝を埋めて一斉に咲いてる白い花を、下から見上げた印象からつけられたとも言われるよね。」
「(幸村さん詳しいなぁ…じゃなくて私が言いたいのは…)散るけど、壮大に、一生懸命、咲いてます。」

「だから、とても、綺麗。」

どうもやっぱりたどたどしい日本語になってしまったのだが、伝わっただろうか。
花だってそりゃ散っていくの分かっているだろうけど、それでも咲き誇るから心打たれるわけで。そんな咲く前から散った後みたいな顔しないで、頑張って生きましょうよ的なことを伝えたかったんだけれども。
私の言葉を受けた幸村さんは静かに「壮大、ね。」と呟くとゆっくりと目を瞬き少しだけ微笑んだ。

「君の感性は素敵だね。」
「あ、ありがとう…ございます?(不思議な褒められ方だなぁ)」
「ふふ、諦めるのは少し早かったかな…。」
「?」
「君は壮大に咲いてる?」

歌うように、軽く、なのにどこか真剣味を帯びて投げかけられたその言葉に私は微笑んで返した。

「これから、です。」

その言葉に「いいね」と言ってくれた幸村さんからは、少しだけさっきのほの暗さが消えた気がしたのでした。

(ちょっと元気でたみたいで良かったです………って、あ!15時から検診あるの忘れてた!)

「検診っ!」
「ああ、思ったより長居をさせてしまってごめんね。」
「いいえ、じゃあ。」
「うん、またね。」

検診の時間が迫っていることに気づき、挨拶もそこそこにくるりと幸村さんに背を向けた。カラカラとお供を連れてパタパタと駆け出す。相変わらず吹く風のせいで中庭一帯はエゴノキの雪が降り注いでいてそれはそれは綺麗だった。

(そういえば、不思議と幸村さんとは会話がスムーズだったなぁ…少ししか言葉が出ないのに…)



白い花が舞う中に佇む姿はまるで精霊の様だったと思うと、さっきの出来事が全て夢だったかの様に思えたのでした。



- 87 -

*前次#


ページ:


back







top

ALICE+